人間と悪魔を分ける線

寝る前に開いたページで見つけた記事を、放っておくことは出来なかった。

全ての人間が人間のまま生きているとは思えない。実際、人間の皮を被った悪魔を何人も見てきた。「未成年」「未熟さゆえの過ち」「集団心理の暴走」この事件にそれっぽいフレーズは幾らでも付けられると思うが、そんなものは知らない。加害者たちの行動の意味を見つけようとしても、個人的にはそんなものがあるとは思えない。記事で書かれている行為は人間のそれではない。卑劣で残酷で鬼畜な行為。それ以上でも以下でもない。

清廉潔白に生きるべきだなんて考えは持っていない。そんな風に生きてこれなかったし、生きたいとも思わない。マイナススタートでも、紆余曲折があっても、どうにかこうにか立っていればいい、そう思って生きている。事情や状況は人それぞれだ。どうしようもなく流せない日は呑めばいいし、打てばいいし、巻けばいいし、吸えばいい。人に迷惑がかかる云々言う人は言う。それはその人の物差しであって、こちらの物差しではない。もっというと、人間どうこうと書いているが、なんなら人間じゃなくてもいいとさえ感じる日もある。あまりにも周りの考えや行動に馴染めない時、「自分は人間じゃないんだ」と思うだけで、気持ちが軽くなり呼吸が出来るようになる。そういった具合に十人十色の思考が入り乱れても、「線」というものはある。これもこちらが勝手に決めてることなのだが、その線は自分の中で確実に存在する。実際の暴力、及び、言葉の暴力を使って追い込み、人の心を折る。それだけでは飽き足らず、真っ二つになった心を粉々になるまで踏み潰す。そういった行為は引かれた線を飛び越える。人間と悪魔を分ける線を。

記事を読んでいる間、心が痛くて堪らなかった。性を使った継続的な脅しと暴力、そして絶望した後の諦め。書かれている内容が記憶と繋がって、悔しさと怒りで涙が出た。

痛みや恐怖や屈辱は、どれだけ歳を取っても消えない。錠剤や瞑想、タッピングなどで薄めても頭と体に染み付いていて取れない。真っ黒くなった感情は怒りを誘発し、自己嫌悪を連れてくる。そうした負のサイクルに陥っている時は、線を超えて悪魔になった奴らの顔が決まって浮かぶ。

今回の事件の加害者たちは、少年法に守られて刑事責任を問われることはなかった。人一人を死に追いやっても、彼らの時間は止まらず、進み続ける権利を保証された。

この事件に限らず、それが現行の法律判断だから仕方がない、などと思ったことは一度もない。そんなこと思えるわけがない。以前、何とも出来ないやるせなさと向き合おうとして、「じゃあ、またね」という話を書いた。どんな思いが湧き上がっても飲み込もうと決めて進めたが、書き終えた時に心から感情移入できたのは、復讐に対して葛藤を抱く主人公よりも復讐をやり遂げた登場人物の方だった。それが現時点での線を超えた悪魔への本音であり本心。そこに年齢は関係ないと思っている。

軽装でマイナス17度の外へ出た14歳の女の子。

記事の中にあった彼女の写真と描かれた絵を心に刻む。

彼女が生きたこと、そして死を選んだことを忘れない。

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