1998年3月某日の深夜、発泡酒をぶっかける

区切りをつけるという行為は、とても大事なことだ。

今いる場所、状況、従事している事柄から距離を取り、関わり合いを断つ。それは何かを成し遂げた後でも、中途半端な状態でも構わない。とにもかくにも「終わり」と決めて、さよならするのが重要なのだ。

去年の3月から区切りをつけられない毎日を生きている。でもそれはきっと、私だけではないのだろう。

北国特有の長い冬が終わり、街中いたる所に色が付いて木々も青々としてきた。ひと足先に自然界が衣替えを終えても、人間界に住む私は足踏みしたままだ。

半地下にある職場の窓から気持ちよく晴れた日を見上げていると、さまざまな思いが頭に浮かぶ。喜怒哀楽バランス良く湧いてくるのならこの上ないが、最近はそうもいかない。猫で頭を満たそうとしても、新しい生活様式へと変わっていく社会への不安が思考を覆う。

好きな音楽をかけても頭に響かない時、私は心に残っている昔の場面を思い返す。そうすると、まとわりつく圧迫感が幾分ましになる。

ついこの間、整理できない「区切り」について考えていた時に浮かべたものも、忘れずにとっておいた20年以上前の記憶だった。

 

私は、1998年の3月を心待ちにしていた。

それは真っ黒だった高校生活が終わる月であり、逃避先として選んだカナダのバンクーバーへと出発する月でもあった。

やっと終わる、やっと逃げれる、やっと息ができる。私はドロップアウトすれすれだった状況からどうにか卒業まで漕ぎ着けられたことにたいそう浮かれ、のぼせ切ったようになっていた。

「優勝だ! 優勝した!」

嬉しい、の最上級を優勝だと捉えていた当時の私は、居場所をくれた仲間たちに優勝記念にビールかけをしようと提案した。熱にやられて周りが見えなくなった優勝男の戯れ言なのだが、彼らは案外すんなりとこの発案を受け入れてくれた。

 

(以下の内容は、今よりも規制が緩かった時代のお話です。もしくはフィクションです)

 

各々のバイト代と相談し合った結果、飲まないんだから発泡酒でいいだろ、となり、免許を取ったばかりの小金持ち友人の運転で量販店に向かった。最悪無理なら自販機巡りになるなと考えていたが、無事に数ケースの発泡酒をトランクに積み込むことに成功した。今でも印象に残っているヨタヨタ運転で小金持ち友人宅へと戻った私たちは、発泡酒の上にビニールシートを被せて夜がふけるのを待った。

1998年3月某日深夜、私たちと発泡酒が乗る車はいつもの集まり場所である国道沿いの公園に到着した。

人影がないことを確認して、トランクから酒の箱を運び出す。事前に示し合わせていた通り、殆どのメンバーはそれぞれの高校の制服に着替えを済ませていた。

「残したくないから、制服は終わった後に燃やしてしまおう」それが私たちの計画だった。

自然と円陣を組むような形でスタンバイして、手に持った発泡酒を勢いよく振る。

「優勝おめでとう!」

「おめでとう!」

みな口々にそう叫び、深夜の発泡酒ぶっかけ祭りはスタートした。

私のイメージでは華々しく「イェーイ!」となる予定だっだのだがそうはならない。正確には、ならないのではなく、なれなかった。スプラッシュしたアルコール液が目に入って痛い。いや、痛いなんてものではない激痛で目が開けられなかったのだ。それまで生きてきた中で優勝した経験もビールかけをした経験もなかった私にとって、この激痛は想定外だった。

これは、テレビで観たやつと違う。「イェーイ!」とピースして笑う野球選手のイメージは開始直後に崩れ去った。

発泡酒をぶっかけ合って分かったのだが、まず襲ってる感覚が「痛い」で、その次に忍び寄るのが「臭い」だった。これも予想外だったが、発泡酒漬けになった制服が臭くってたまらない。何だか、人の気力を奪い取る臭いだった。

抱いていた華やかな絵面とかけ離れた発泡酒ぶっかけ祭りは、目や皮膚を刺す痛みと異臭のコラボレーションでトランス状態になり、奇声を発しながら痛臭水を浴びせ合う狂乱の宴と化した。

祭りの後に訪れるものは虚無感だと相場は決まっている。

もちろん私たちが催した奇祭も例に漏れず、全ての缶を弾けさせた後に残ったものは、何とも言えない虚しさと痛みと臭みだった。

口数も少なく、持参したゴミ袋に黙々と空き缶を入れる我々の姿は優勝した者のそれではなく、一回戦敗退で甲子園の土を拾う高校球児そのものだった。

3月は冬ではないが夏でもない。どう考えても、異臭を漂わせてびしょ濡れで外にいる時間でないことは明白で、寒くて仕方がなかったことを覚えている。

「燃やす」と宣言した手前あとに引けず、罰ゲームのような感覚で制服を脱いで一箇所にまとめ、ホワイトガソリンをかけて火をつけた。そう、確かに着火したのだが燃えない。燃えるはずがない。少し頭を使えば分かるのだが、びっしょびしょに濡れた衣類は火をつけようがびしょびしょのままなのだ。 

痛くて臭い思いをしたのに燃えてなくならない制服。何の反応もなく横たわるその様子は、自分の高校生活そのものを表しているようだった。

 

想像通りにはいかず、成仏できない感情は中途半端な不燃物になった。それでも、ベタついた発泡酒を熱いシャワーで流したその日、一旦の区切りはつけられた。何も解決していなくても、背中を向けて逃げ出すことができたのだ。

あれからずいぶん時は流れ、私は色々なことに区切りをつけて生きてきた。縁やタイミング、猫や人に助けれられ、奇跡的に自分を捨てずにやってこれた。

今、目の前に、どう区切りをつけて良いのか分からない事柄がある。背伸びをして先を見通そうとしても真っ白で何も見えない。

どうなるんだろう。どうするんだろう。そんな思いばかりが顔を見せる夜が続く。

区切りをつけたいと願っている。

そんな日が来ることを願っている。

傷つかず、傷つけず、押し付けず、押し付けられず。そんな形でトンネルを抜けられたら、今度こそ発泡酒ではなく、盛大にビールでぶっかけ合いたいと思う。

 

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