Nobody Knows

Nobody Knows

 

閉所恐怖症の人はマスクができない。

でもそんなことは、誰も知らない。

先端恐怖症の人は注射が怖くて仕方がない。

でもそんなことは、誰も知らない。

 

普通の社会は普通に進み、新しい生活様式を強要する。

閉じ込められた苦しさや、針で刺された痛みなど、誰も知らない。

 

同じ色の服を着た正義の行進。

ファッションマスクで顔を隠した正義の行進。

 

「普通」という怪物が街を牛耳る。

彼らは至る所に存在し、「普通」以外を監視している。

通常、彼らは優しい。それが彼らの普通だからだ。

しかし、一歩「普通」から外れると、彼らは牙を剥き、異分子を追い詰める。

そんな彼らと上手く付き合う方法はひとつ、出来る限り「普通」に振る舞うことだ。

 

Nobody Knows

 

あの映画の公開から約16年経った。

今、目の前に何が見える?

どういった世界を生きてる?

 

Nobody Knows

誰も知らない

 

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***

 

No matter what anyone says, I'm gonna live my life the way I want to.

 

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***

 

1998

「おい、おいっ! シンスケ! ちょっと何やってんだよ! こっち!」

「おぉ」

「『おぉ』じゃねーよ。遅れてきて何ボォーッとしてんだよ」

「ケンジ、お前、元気か?」

「は? 何だそれ? そんなことより、他に何か言うことあんだろ。ほら、昨日のやつ。ちゃんと聴いてたんだろ?」

「お前が元気そうで、本当に良かったよ」

「だから何なんだよそれ。気持ちわりーな。あ、あれか? 俺が先に『殿堂入り』して悔しいんだろ? いやー、気持ちは分かるよ。分かるけど、そこは大人になれって。俺だってお前のが先に読まれた時はマジかって思ったけど、ちゃんとファンタ買って祝ってやったろ? でもさ、昨日のやつ、あれマジで面白かったろ? 田中なんか爆笑してたもんな。あの瞬間はテンション上がったなー。ラジオ越しに空気が伝わってくるっていうかさ、おぉ! ていう感じが分かったもんね」

「あぁ、『爆笑問題カーボーイ』のやつか。お前あれ、本当に喜んでたもんなぁ」

「『喜んでた』って何だよ? 勝手に過去にすんなよ。俺は今喜んでんの。ナウだよナウ。分かってねーなー」

「ごめん、ごめん。悪かった。そうだな。うん、おめでとう。お前が喜んでるのを見て、俺もすっごい嬉しいよ」

「シンスケ、お前、何か裏があんだろ。何だ? あ、ダメだぞ、金なら返せねーぞ。バイト代入るの来週だからな。疑ってんなら財布見ろ。ほら、500円ちょっとしか入ってないだろ」

「別に裏なんかねぇよ。ていうか、お前、そういうとこ相変わらずだなぁ」

「何だその返し? 久しぶりに会った親戚のおじさんみてーだな。おい、親戚のおじさん気取るなら、何か奢ってくれよ。何かご馳走してくれてこその、親戚のおじさんだからな」

「あぁ、いいよ。殿堂入りのお祝いもあるし、何でも好きなの買ってやるよ」

「え! マジで? それマジで言ってんの? もう聞いちゃったから撤回できねーぞ」

「撤回なんかしねぇって。いいよ、何がいい?」

「はぁ? どうしたお前? 暑さで頭おかしくなったんじゃねーの? え、本当にどうした? マジで怖いんだけど」

「反応が大袈裟だよ」

「いやいやいや、だってお前だよ? 腹空きまくってた俺に、チョコデニッシュをひと口もくれなかったお前だよ? ガストで山盛りポテトを独り占めした、血も涙もないお前だよ?」

「いつの話をしてんだよ」

「ついこの間の話だろーが!」

「分かった、分かった。今回はちゃんと買ってやるから、何がいいんだよ?」

「おいおい、マジでどうにかしちまったみてーだな。まぁいい。じゃあさ、JPS買ってよ。あの、タクちゃんの親父が吸ってるやつ。あれ、いっかい吸ってみたかったんだよね」

「JPSかぁ」

「この前、やっと売ってる自販機見つけたんだよ。つばき台の坂の上に薬局あるだろ? そこの裏にある酒屋。あそこだったら殆ど人こねーから、制服のまま買っても問題なさそうだしな」

「あれ、そういえばタクちゃんは? 今日こないのか?」

「彼女んとこだよ。一昨日も昨日も今日も彼女。あのクソヤロー、マジで集まり悪くなった。生意気にピッチなんか持ちやがって」

「彼女って、確か、クミちゃんだっけ?」

「クミちゃん? 誰だそれ? サトミって子だろ。青南高の。ほら、とんでもねー厚底ブーツ履いてる子。駅で何回か見かけたろ」

「あぁ、あっちの子か。茶髪のね」

「『だっちゅーの』の右側に似てる子だ。ていうか、『あっちの子』って何だ? あのクソヤロー、まさか二股でもかけてんのか? はぁ? ふざけんなって。まじで許せねー。おい、シンスケ、JPS買ったらブックオフ行こうぜ」

「ブックオフ?」

「先週あいつから借りた電気グルーヴのアルバムあるだろ、あれ売っちまおうぜ」

「最低だな、お前」

「当然だろ。二股かけた罰だ。それと、ルール破って童貞を捨てた罰でもある」

「完全な逆恨みだな」

「天誅だよ。天誅」

「意味分かんねぇよ。まぁ意味分かんねぇけど……やっぱり、お前はお前だな」

「何だそれ? 新手のなぞなぞか?」

「なぁ、ケンジ。本当に悪いんだけど、俺もう戻るわ」

「はぁ? 戻る? 何言ってんの? JPS買ってくれるって言ったじゃねーかよ」

「うん。だから、はい、これ。ちょっとデザイン違うけど、1000円は1000円だから自販機で使えるはずだ。これでJPS買ってくれ」

「え、何これ? 偽札? いやー、これは流石にマズいだろ」

「偽札じゃねぇよ。デザインは違うけど、本物だ。自販機で使うなら問題ねぇよ」

「えぇー、マジかよー。これ、めちゃくちゃ危ないやつじゃん」

「なぁケンジ、今から俺が言うこと、真面目に聞いてくれないか?」

「偽札渡すやつの話なんか真面目に聞けるかよ。じゃあよ、話は後で聞くから、これ本当に使えるか一緒に試しに行こうぜ。いやー、何かワクワクすんな」

「申し訳ないけど、俺は一緒に行けない。もう時間がないんだ。だからーー」

「あれか? また、あいつが家にくんのか? ひとんちのことだからどーこー言えねーけど、あんまし奴に関わんねー方がいいぞ。変な仕事に使われるだけだぞ。ヒロさんに探り入れたけど、いい噂は聞かねーよ。おばさんが入れ込んでんのは知ってんけど、いっかいちゃんと話してみた方がいいぞ」

「ケンジ、ありがとう。でも、そのことじゃないんだ」

「はぁ? 意味分かんねーよ。だったら何なんだよ」

「あのな、まず、お前が凄い心配してた恐怖の大王だけど、問題ない、来年になっても空からは何も降ってこないよ。安心しろ、1999年に世界は滅亡しない」

「は?」

「それで、こっからが大事な話だからちゃんと聞いてくれ。いいか、この1998年から2年経った後の2000年7月9日に、お前は緑奥市に行くことになる。ある人の家に頼まれた物を運ぶことになるんだ。いいか、2000年の7月9日だ。その日、絶対に頼まれた物を運ぶな。7月9日、お前は絶対にその人の家に行っちゃいけない」

「シンスケ、俺はお前が何をしたっていいと思ってる。除光液の匂いを嗅ごうが、何をしようが、それはお前の勝手だからな。でもな、絶対にクスリには手を出すな。おまえんちにくるようになった奴が、お前をどう脅そうと、何を強制しようと、絶対にそういったものに手を出しちゃいけない。最近ナカノさんとかが売ってる、ラッシュとかマジックマッシュルームもやめとけ。『合法だ』って言ってるけど、やべーって話を聞くから、手を出すな。友達として忠告する。もう手を出してるなら、今すぐ使うのをやめろ」

「ケンジ、いいかよく聞け、俺は正気だ。ちゃんとした頭でお前に話している。なぁ、頼むからちゃんと聞いてくれ。お前も俺のことを友達と思ってくれるなら、俺の言うことを必ず守ってくれ。2000年7月9日だ。それがどんなに断れない仕事でも、絶対に行くな。お前がその人にどんなに世話になってても、お前のケツを持っててくれてても、絶対に物を運んじゃいけない。絶対に、絶対にだ」

「……分かった。2000年7月9日な。よく分かんねーけど、分かったよ。だから、お前も約束を守れよ。今手元にあるやつは全部捨てろ。絶対に手を出すな、分かったな?」

「あぁ。分かったよ。でも、安心しろ。俺は何にも手を出してねぇよ」

「やってる奴に限ってそう言うんだよ」

「とにかく、俺はもう戻るけど、約束だからな」

「あ? 何だお前? 何やってんだ? 何でクソ暑いのにマスクなんかつけてんだ?」

「あぁ、馬鹿げてるだろ。馬鹿げてるけど、残念ながら、俺が戻る世界はこれをつけなきゃダメなんだ。クソ暑いのにな」

「あのさぁ、さっきからさ戻る戻るって言ってんけど、一体どこに戻るんだよ?」

「2020年」

「シンスケ、感謝しろよ。お前の頭が本格的におかしくなっても、俺が友達でいてやるからな。大変だと思うけど、いつか悪魔の誘惑を克服できる日がくるから。まぁとにかく、明日も集まりにこいよ。そんな状態だと、この先が心配だから俺が監視してやる」

「ケンジ、こうしてお前に会えて本当によかったよ。心の底から嬉しかった。お前が俺との約束を守って2000年7月9日を超えることができたら、その時は向こうの世界でまた会おう。大丈夫、今より世界がおかしくなってるけど、まだ笑えることが沢山あるから」

 

***

 

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衝動解放活動

前々回の記事でも触れたのだが、楽しい時間はあっという間に終わる。

本当に同じ尺を使っているのかと疑いたくなるほど、楽しい時とそうでない時の体感差が激しい。それはもちろん集中しているか否か、脳内のナンチャラ成分が分泌されているか否かなどと言ってしまえばそれだけの話なのだが、どうもその説明では素直に納得できない。

まだ私が日本にいた頃、銀色の髪をした恐ろしい人の部屋に閉じ込められたことがある。『閉じ込められた』と言うと表現が強くなってしまうが、拉致や監禁ではなく、軟禁だ。

「お前、エヴァンゲリオン知ってるか?」

地元の駅で数年ぶりに再会してしまった恐ろしい中学の同級生は、銀色の髪をしていた。

「お前、エヴァンゲリオン知ってるか?」

私がその時、彼にどう返答したのか覚えていないが、しばらくして何故に何故だか私の体はその銀髪さんが住むアパートにテレポートしていた。時期が夏だったので、酷く蒸し暑い部屋だったことを記憶している。

鬼のようだった中学時代の銀髪さんと、新世紀エヴァンゲリオンとの接点を見出せないまま固まっていると、何の説明もなくビデオデッキにテープが差し込まれた。

「おもしろいから観ろよ」

銀髪の鬼はそんな感じの言葉を口にして、私の横に座った。

残酷な天使のように

少年よ神話になれ

早送り機能が壊れていたのか、もしくはアニメの主題歌に惚れ込んでいたのかは定かでないが、銀髪鬼はそのオープニングテーマを決して飛ばさなかった。

例えどんなに素晴らしいものであっても、受け取る状況によってその印象は大きく変化する。

まだ外が明るいうちに閉じ込められ、辺りが完全に暗くなるまでの間、蒸し暑い部屋で延々と主題歌付きの映像を観させられたせいで、エヴァンゲリオンのイメージがとんでもないものになってしまった。

終わりなきスパイラルのように繰り返された『残酷な天使テーゼ』、そのタイトルが全てを表しているかのような状況で、無言の圧力を感じながら碇シンジの憂鬱と共に時間を過ごした。

今考えても、何故あの時あの蒸し暑い部屋で強制的にエヴァンゲリオンを視聴させられたのか分からない。彼が夢中になった作品の伝道活動だったのかもしれないが、もしそうなら逆効果であり大失敗だ。

私が彼の部屋に軟禁されている間、その場に流れる時間の進みがすさまじく遅かった。アニメの30分枠があれほどまでに長く感じたのは、後にも先にもあの蒸し暑い部屋で観たエヴァンゲリオンだけだった。

 

1日を構成する時間は24で区切られていて、その24の内訳が60だということに異論はない。そして、それらの数が毎日変わらず平等に私たちに配られていることも理解している。だがその事実から数字という概念を取っ払うと、時間は平等なものではなくなるはずだ。……そう、なくなるはずだと言い切りたいのだが、実際のところはよく分からない。

ただ、「1日は24時間で1年は365日だから絶対的に時間は平等!」という説明よりも、「時間は状況次第で速くも遅くもなるから、24時間じゃないかもしれないし、365日でもないかもしれないので平等とは言えない」と説かれた方が腑に落ちるのだ。

楽しい時間とそうでない時間が選択肢としてあるのなら、もちろん楽しい時間を選んで生きていきたい。気が付いたら1、2時間などパッと過ぎてしまっているあの感覚だ。

年を取ったら落ち着くものだ、などと言う定説に賛同する気はないが、年を取ることでいわゆる「あの頃」におこなっていた衝動解放活動の回数は確実に減ってしまった。ここで言う衝動解放活動とは、心が躍る行為であり、もっと平たく表現すると「楽しくて好きで仕方のないこと」である。他の誰かのためではなく、湧き上がる思いを自ら肩に担いで走り回る衝動解放活動。私の頭の中にある「これぞ」という感覚を、さかもツイン id:sakamotwinのねねさんが記事に書いておられた。

『火曜サスペンスごっこ』と銘打たれた彼女の活動は、私が思い描く衝動解放活動そのものだった。ねねさんが取り組んでいる『火曜サスペンスごっこ』とは如何なるものかは、以下の写真で確認して頂きたい。

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1枚目は写真自体が話してくれているので、何の説明もいらない。最初の写真も素敵なのだが、私のお気に入りは2枚目だ。誰もいない波止場、遠くに見える工場の夜景、その光が映った日没後の海、といった火曜サスペンス的な要素が詰め込まれたザ・火サス的なフォトグラフで、「何ともまぁ」という気分になった。

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学生時代50m12秒台の栄光は波より遅いダッシュとして今も私のなかに輝き続ける。

適切に表現できないのだが記事内にある上記のフレーズを目にした時、昔大好きだった炭酸飲料が頭に浮かんだ。「そうだよな、やっぱライフガードだよな」という感情が弾け、液晶画面に向かって何度も頷いた。

上に貼ったリンクの見出しにもあるように、大きな声を出して走り回ったり笑ったりしたほうがいいと、個人的にも強く思う。それは彼女のように実際に体を動かしても、体ではなく心を動かしてもどちらでも良いのだと考えている。

フワッとしたイメージが景色になり、映像に変わって色がつく。そこに音と匂いが入って会話が始まると「よしっ!」となる。胸が高鳴ると楽しい。頭の中で生まれた世界がオンギャーと歩き出した気がして嬉しくなる。その感覚は小説を書いてる時や自分の街を作ってる時だったり、シャワーを浴びている最中に現れるのだが、忙しさにかまけているとすぐに何処かへ行ってしまう。

COVID-19が日常を変える半年ほど前、私は仕事を通して自分の承認欲求を満たそうと決めて昇進のオファーを受けた。その決断が自分の周りにかかるモヤを吹き飛ばすと考えていたからだ。書く時間を犠牲にしてでも、心の隙間を欲で埋めれば総合的に見てプラスに働くものだと思っていた。

でも、違った。私の選択は間違っていた。

心と距離が離れた場所で承認欲求を満たそうとすると、穴の空いた袋にビー玉を詰め込んでいる気分になる。どれだけ玉を入れたところで、袋が満たされることはない。

(これはマズイことになった)

底が抜けた袋を手にしていたことに気付き、慌てて床に散らばったビー玉を回収していると、予告もなしに空からパンデミックが降ってきた。

(とんでもねぇことになった)

穴の空いた袋を手放し、必死に集めたビー玉を放り投げた私は、とんでもねぇことになった社会に対応するため、とんでもねぇ空気になっている会社の会議に参加した。

『マネージャー陣は基本継続して勤務』という有無を言わせない方針が決まり、訳が分からぬまま消毒グッズに囲まれる日々が始まったのが3月中旬。その少し前に、カナダ政府が4ヶ月を上限に月々2000ドルを個人に支給するという政策を耳にしていた私は、半年前に自分が下した決断を深く後悔した。

4ヶ月間の合計労働時間=0hrs

4ヶ月間の合計不労収入=$8000

上の数字は夢だ。言うなれば、エンジェルナンバーだ。

あのまま社員でいたら、4ヶ月間書き放題だったじゃないか。つまり、昼過ぎに起きてチョコが付着したビスケットをかじりながらコーヒーを飲み、好き放題猫んズと戯れてラーメンなどを食い、気になる事件を調べた後にストリートビューで多摩ニュータウンに舞い降りることができたわけだ。

半年前の自分が享受できたであろう生活が頭をかすめ、「何やってんだよ!」という感情が腹の底から湧き上がった。

そもそも動悸が不純だった。決して承認欲求が悪い訳じゃない。対象をすり替えたのがいけなかった。エリーゼを強く欲してる時に、ルマンドやバームロールでは替えがきかない。ルマンドもバームロールも美味しいのだが、そういう問題ではないのだ。それに、承認欲求と衝動解放活動を天秤にかけること自体おかしい。このふたつは全く別物であって比べる対象ではない。たけのこの里を食べたらきのこの山が食べたくなるように、両者の関係が「衝動解放活動ー承認欲求」と付随するのなら分かる、でもmeijiの二枚看板を計りにかけちゃいけない。まさに、「何やってんだよ!」だ。

今回の騒動しかり、自分の昇進の件しかり、物事は何か意味があって起こっているのだと信じている。本当の本当など分からないが、ただそう信じている。自分の身に起こったことを全て都合よく捉えるならば、このきっかけがなければ承認欲求と衝動解放活動の違いをこういった形で意識することができなかったのかもしれない。今の仕事を辞める気はないが、今後何かの決断を下す時は衝動解放活動を最優先に考えようと心に決めた。食べていくことの次に大事なことは、嬉しくて楽しいことだ。嬉しくて楽しい時間が続くと、承認欲求は影をひそめる。きっと、使う脳みそが違うのだろう。

 

どうせなら、嬉しく生きる。

どうせなら、好きに咲く。

 

楽しくて好きで仕方がないから、私は書いているんだ。

 

***

 

(次回は、「ミチコオノという時間があった」の続きを書きます)

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ミチコオノという時間があった(パート2)

ミチコオノ日記を読んでいると、不思議と自分の人生の一場面と重なる時がある。といっても、こちらが勝手に合わせているだけなのだが。

第4話に登場する盾矢ミユキと主人公オノミチコの関係が、そういった場面のひとつだった。

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盾矢ミユキ
O型
蠍座
ダンス部
派手だしオシャレ
友達が多い
わたしもその中の一人だと
自信をもって言えない

最近は廊下で会って

会釈する程度だ
ミユキはいつも人に囲まれている

 

昔はよく一緒に遊んだ
2人だけだった

ミユキは小学校の2年の時に
わたしのクラスに越してきた

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ミユキは転校初日に
消しゴムを忘れた

席は離れていたけど
だれに借りたらいいのか
きょろきょろしてるミユキを
わたしは見ていた

わたしの消しゴムは
ちょうど2個に割れていたから
ミユキにそれをあげた

ミユキは次の日に
わざわざ新品の消しゴム買ってきて
わたしに返してきた

断ったけど
「お願い 使って」
と言われたので
ありがたくもらった
でも
わたしにはもったいなくて
使う事ができなかった

たがらその消しゴムは
今でも家の机の引き出しの中に
大切にしまってある

 

ミユキが今月で引っ越してしまう

やっぱり あの消しゴムは
返すべきだろうか

 

ミユキが越してしまうという
話をわたしは人伝てに聞いた

それがものすごく寂しかったけど
そんなものなのかもと納得した

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小3のサマースクールで
一緒に見た星空を
ミユキはもう覚えていないだろう

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私は小学生の頃、野球部に入っていた。

私を含め、お世辞にも上手いとは言えないメンバーで構成されたチームだったが、そのチームでエースを任されていた子の実力は群を抜いていた。投げる球が取り立てて速いわけではないがコースをつけるコントロールがあり、ピンチになっても冷静さを保てる度胸があった。それに彼は、どんな状況でも場の空気を良い方向に持っていく不思議な雰囲気を持っていたのだ。もちろん、打つ方でも持ち前のセンスの良さを発揮して常に高出塁率を叩き出し、塁上にいるランナーをホームに生還させていた。「ライトにフライが飛んだらお終い」と言われていたチームが、とある大会の地区予選を勝ち抜いて本戦に出たのは、その子がいたからこそ成り立った奇跡だった。

私にとって、彼はスーパーマンだった。運動神経が良く、友達も沢山いて目立つ存在だったが、誰とでも分け隔てなく接することができる子だった。当時の私は、全くもってその子と似通った要素を持った年子の姉のことが大嫌いだったが、そのエースの子とは自然に仲良く遊べていた。

中学にあがり、名字が変わったその子は野球部に入らなかった。

つるむ顔ぶれが変わり、近寄り難くなったその子から野球を続けるつもりはないと聞いた時、ものすごく寂しかったけど、そんなものなのかもと思った。

作中のオノミチコがどんな気持ちで「そんなものなのかも」と口にしたのか分からないが、私がその言葉を吐く理由は、諦めだ。

こうして改めて「そんなものなのかも」と書き出すと、何だか悲しくなる。きっとこの言葉をこういった風に受け取るのは作者の意図に反していると思われるが、悲しいという感情が真っ先にきて、他の思いを外に押しやる。

理解したいのに理解できない。納得したいのに納得できない。心の処理能力を超え、その物事にどう対処したらいいか分からなくなった時に、私はこの言葉を使う。

「そんなものなのかもしれない」

「そんなものなのだろう」

「そういうもんだろ」

「そんなもんだろ」

社会という枠に頼まれてもいないのに勝手にはまっていく過程で、言い回しは徐々に変化していったが、その根底にあるのはずっと変わらず諦めだった。

諦めは、寂しくて悲しい。

年を取れば取るほど、その寂しさと悲しさが直に迫ってくる。

一度手放すと、いとも簡単に切れたり消えてしまうのだと気付いてから、処理能力を超えた出来事に遭遇してもいつもの定型文は出さず、無理にでも疑問形の箱に思考を押し込むように努めた。

「そんなものなのか?」

「そんなもんじゃないだろ?」

まだ最後のクエスチョンマークを付けられない日が多いが、飽きるほど繰り返せば、いつか私の脳みそもこのフレーズを新しい定型文として認識してくれるだろうと信じている。

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ミチコオノ氏の描いたこの絵を見ると、まだエースだった頃のその子の顔が頭に浮かぶ。

例え、いつかのあの子が本戦行きを決めた試合を忘れてしまっても、こちらが覚えている限り、その場面はこれからも頭の中に残り続けていくのだろう。

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***

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ミチコオノという時間があった(パート1)

誰もが知っている通り、楽しい時間はあっという間に終わる。

水曜7時のドラゴンボールも、ドラえもん音頭が流れていた夏祭りも、深夜のファミレスで話し込んだ時間も、冗談みたいな速さで過ぎていき、気が付いた時には何事もなかったかのようにいつもの日常に引き戻されるのだ。

それは、ミチコオノという時間も同じだった。

 

今から約2年半前、私の生活にはミチコオノという時間があった。

はてなブログに突如として現れた超新星。一昔前のスカウトキャラバンのコピーみたいに感じるが、私にとってミチコオノ氏のブログ「ミチコオノ日記」は、まさにその大袈裟に聞こえるキャッチコピーそのものだった。

私とミチコオノ日記との出会いは、13話が始まりだった。

この話を読んだ感想は、ヤバい、だった。

リンクに飛んで頂ければ分かると思うのだが、とにかくヤバかった。感覚的に言うと、「おぉ」や「うわぁ」といった感嘆詞で頭が埋め尽くされた。

私はこの13話で、タイトルにもなっているジン君と出会った。

國分 仁
両親がヒッピーで
一輪車で買い物に行く様な人達
家は一週間の献立が決まっていて
テレビがない
当然 ジン君も 一風変わっている

作中に書かれている人物設定もとんでもないが、ジッとこちらを見据える姿もとんでもなくて、その突き刺してくるような目に吸い寄せられた。

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何度見ても、やっぱりとんでもない。

ちなみに彼は毎年文化祭の日に、校舎裏にある非常階段の1番下で、訪れた生徒に一対一でお話をしている(作中には寄席のような、と説明があった)。

以下がそのお話の内容だ。

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何だこれ、と感じるのは正常な反応だと思う。ここに書かれている①から④は、何だこれ以外の何物でもない。

この作品の主人公であるオノミチコは、③の話を選んだ。ジン君曰く、彼女は当たりを引いたらしい。

詳しいお話の内容はリンク先で確認してほしいが、率直に言うと、ぶっ飛んでいた。

躊躇なくぶっ飛んでいて、とても清々しかった。

とんでもないものを見ると嬉しくなる。自分では表現できない世界に触れると楽しくなる。だからきっとドリカムは、うれしいたのしい大好きと歌ったのだろう。その気持ちは心から理解できる。第13話を読んで、私はミチコオノ日記が大好きになり、すぐに読者登録をした。そして当然のように1話に遡ってページを開いたのだが、そこには理解不能な木彫り人形が立っていた。

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わたしの名前は

オノミチコ

中学3年

部活は書道部と

美術部のかけもち

といっても

どっちも

私しか部員がいない

 

今年の卒業アルバムを見れば

理由はなんとなくわかってもらえると思う

正直、意味が分からなかった。なぜなら、私が13話で初めて目にしたオノミチコは木彫りの人形ではなかったからだ。

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何だか怖かった。

彫刻刀でゴリゴリと削ったであろう鼻のない木彫り人形が、少し怖かった。その後も第1話の中でオノミチコは再度トランスフォームした。

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この時点で私は、脳みそのレバーを中央やや左から目一杯右に引いた。

ブルースリーだって、Don't think. Feelって言ってたしな。

第2話でも相変わらずオノミチコはジークンドーの化身だった。

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第2話では、オノミチコの他に2人の人物が登場する。ひとりは野球部のアカバネ君。

アカバネ君は野球部だ

でも試合に出たことがない

補欠の補欠だ

もう受験なんだし

部活に行かなくても
怒られないのに

アカバネ君は 毎日グランドに
に立っていた

怒られても どなられても

アカバネ君はグランドに

立っていた

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もうひとりは、前の年に卒業した元美術部部長、”天才”大関いずみだ。

大関いずみ は天才だった

 

わたしが 美術部だと言えば
「ああ 大関さんの」
と みんな言う
最後の文化祭で

 

大関いずみ は 『伝説 』になった

『天才 大関』

『大関のいた美術部』

卒業してから

部長はさらに神格化されていった

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現美術部唯一の部員であり、部長の主人公オノミチコが思い出す大関いずみの姿は、いつも後ろ姿だった。

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オノミチコがいる学校の美術部では、できあがった作品をロビーに展示している。しかし、大関の後を継いで部長になったオノミチコは、まだ一点も作品を展示したことはないと語っている。

でもわたしは

一点も展示したことがない

「なかなか仕上がりません」

と 嘘をついている

ほんとは

みんなに見られるのがコワイ

情け無い 部長だ

去年の部長は ちがった

 

部長が新作を描きあげると

必ず 展示を手伝いに行った

ロビーは わたしの 聖域だった

でも今 聖域は
ただの 白い壁だ

なにも 飾らなければ

だれも 見ない

ただの 壁だ

壁だから 何も言われない

言われないから

傷つかない

壁だ

その何もない壁を、野球部のアカバネ君が見つめている。

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第2話は短い話だが、印象に残る場面が多かった。

***

この世の中には、心が踊る言葉が存在する。

何と言うか、その言葉に付随するイメージや記憶を追いかけることができる言葉たちだ。当ブログを読んでくれている稀有な方なら分かるかもしれないが、それはチェリオやエリーゼだったり、大磯ロングビーチやラジオの深夜番組だったり、神宮寺三郎やシロノワールだったりする。

第13話で人生初遭遇した「ミチコオノ」という言葉は、とても自然に心が踊るリストに加わった。

この先いくつかの話に分けて、嬉しくて楽しくて大好きになったミチコオノ日記と、その世界にまつわる思い出を書き残していこうと思う。

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無料ダウンロードキャンペーンのお知らせ

本日5月7日から11日まで、Amazon Kindleストアで販売している電子書籍「じゃあ、またね」の改訂版無料ダウンロードキャンペーンを行います。
以下があらすじ、及び、ダウンロードページのリンクです。

 

ムラセコウタを最後に見たのは、アズマたちに呼び出しを受けなかった「解放日」の帰り道だった。
茜橋のたもとでムラセが手を振った日を境に、サエジマワタルの生活から日常が消えた。

『仇を討ってください。僕はこいつらを絶対に許さない』

手渡された文庫本の余白ページに記されたメッセージ。そこに名前が書かれた四人の生徒たちとの関わりを通して、サエジマ、ムラセの母親、そして協力者であるカネコの人生が大きく変わっていく。

秘めた思いを抱えたまま、ムラセの無念を晴らそうともがくサエジマ。
息子が首を吊った理由を探すムラセの母親。
進むべき道を「神」に委ね、搾取される人生に終止符を打とうとするカネコ。

それぞれの思惑が交錯したまま、止まることのできない運命共同体は進んでいく。

 

ダウンロードページ:

https://www.amazon.co.jp/dp/B07QVDJXGS

この作品には暴力的な表現が含まれていますので、お気をつけ下さい。

 

読んでいただけたら嬉しいです。

 

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子供の頃に見た正月みたいな風景

オンタリオ州の緊急事態宣言が発令されてから今日で1ヶ月と18日。4日間の休みが取れたので、念願だった散歩に出た。

政府からの通達に従い、身分証明書を携帯してウォーキングシューズを履く。

天気は雲が散らばる晴れ。気温10度。歩いて5分程の距離にあるメインストリートに着くと、子供の頃に見た正月みたいな風景が広がっていた。

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ご覧の通り、繁華街の機能は停止している。辺りに人がいないわけではないが、まばら。なので自動的にソーシャルディスタンスを保てている。

この街に移って13年経つが、こんなにも人が少ない繁華街を見たことがない。

道沿いの店舗は全て閉まっているのにも関わらず、週末は人が来ているという話を耳にするので、月曜日の昼下がりという要素も手伝っての風景なのだろう。

 

メインストリートの坂を下って滝に近づいても、状況は一緒だった。

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アメリカ滝もカナダ滝も変わらずそこにあるのだが、その周りにあった人混みとビジネスが何かのイリュージョンのように消えた。

 

COVID-19が世界を包んで、私の生活は変わった。もちろん、私だけの話ではないのだが、私が一番よく知っている私の生活が変わった。

消毒液の匂いに囲まれていると頭痛を起こすのだと知ったのは、この騒動がきっかけだったし、労働そのものに対しての疑問を持ち始めたのも、この混乱がきっかけだった。

「雲を掴むよう」とはよく言ったもので、今現在、自分を取り巻く様々なものがおぼろげな状態になっている。そわそわしていて落ち着かない。ふわっふわしていて決められない。まるで、大戸屋のメニューを前にしている気分だ。

定まらない思いが淡い雲のようだとしても、どうせならもっと濃く、欲を言うなら綿アメみたいに甘ければ悩む必要などないのだろう。食べれるようだったら食べてしまえばいいんだし、口の中で溶かしてしまうことだってできる。

右脳と左脳を動員し、「どう思う」「どうだろう」を繰り返しても答えは出ない。答えが出ないから続けて歩く。

 

この時期、アメリカとの国境も商用配達トラック以外は封鎖されているので、観光目的での入国が主なレインボーブリッジは閑散としている。

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ある程度長く住んでいるのだが、上の画像の右側にある高架下をくぐったことがなかったので、行ってみることにした。

入り口を撮り忘れたが、中の様子はこんな感じ。

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最高だった。

柱がいい。連なる柱がいい。ズンって伸びる柱、最高。

 

高架下を抜けた先に佇むアイスクリームの看板。トリプルポーションがこの国の気質を象徴している。

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写真の順序が前後するが、橋の手前にある公園にもひと家族がいるだけだった。

時間制限なしの貸切公園。後ろが詰まっていない安心感。気を使って早風呂することもない。

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個人的な見解だが、人がいないと成り立たない風景があると思う。

人馴れしている場面と言うべきか。

それはかつて、人との距離が近かったものほど大きな違和感を覚え、その建物単体だと嘘みたいになってしまうのだ。

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ほら、やっぱり嘘みたいだ。

 

車が走らない道路。雑草扱いされ忌み嫌われるたんぽぽも咲き放題。

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誰かが損をすると誰かが得をする法則は、この状況でも変わらないみたいだ。

 

COVID-19に意味があるとすれば、私にとってそれは、ラーの鏡だ。

サマンオサのニセモノ王よろしく、その対象が人であろうが会社であろうが街であろうが、バッサバッサと化けの皮を剥がし、隠されている正体を暴いていく。

自分自身を含め、本性を晒されたらきっと元には戻れないのだろう。

その時に直視するものが、本来の姿なのだから。

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