衝動解放活動

前々回の記事でも触れたのだが、楽しい時間はあっという間に終わる。

本当に同じ尺を使っているのかと疑いたくなるほど、楽しい時とそうでない時の体感差が激しい。それはもちろん集中しているか否か、脳内のナンチャラ成分が分泌されているか否かなどと言ってしまえばそれだけの話なのだが、どうもその説明では素直に納得できない。

まだ私が日本にいた頃、銀色の髪をした恐ろしい人の部屋に閉じ込められたことがある。『閉じ込められた』と言うと表現が強くなってしまうが、拉致や監禁ではなく、軟禁だ。

「お前、エヴァンゲリオン知ってるか?」

地元の駅で数年ぶりに再会してしまった恐ろしい中学の同級生は、銀色の髪をしていた。

「お前、エヴァンゲリオン知ってるか?」

私がその時、彼にどう返答したのか覚えていないが、しばらくして何故に何故だか私の体はその銀髪さんが住むアパートにテレポートしていた。時期が夏だったので、酷く蒸し暑い部屋だったことを記憶している。

鬼のようだった中学時代の銀髪さんと、新世紀エヴァンゲリオンとの接点を見出せないまま固まっていると、何の説明もなくビデオデッキにテープが差し込まれた。

「おもしろいから観ろよ」

銀髪の鬼はそんな感じの言葉を口にして、私の横に座った。

残酷な天使のように

少年よ神話になれ

早送り機能が壊れていたのか、もしくはアニメの主題歌に惚れ込んでいたのかは定かでないが、銀髪鬼はそのオープニングテーマを決して飛ばさなかった。

例えどんなに素晴らしいものであっても、受け取る状況によってその印象は大きく変化する。

まだ外が明るいうちに閉じ込められ、辺りが完全に暗くなるまでの間、蒸し暑い部屋で延々と主題歌付きの映像を観させられたせいで、エヴァンゲリオンのイメージがとんでもないものになってしまった。

終わりなきスパイラルのように繰り返された『残酷な天使テーゼ』、そのタイトルが全てを表しているかのような状況で、無言の圧力を感じながら碇シンジの憂鬱と共に時間を過ごした。

今考えても、何故あの時あの蒸し暑い部屋で強制的にエヴァンゲリオンを視聴させられたのか分からない。彼が夢中になった作品の伝道活動だったのかもしれないが、もしそうなら逆効果であり大失敗だ。

私が彼の部屋に軟禁されている間、その場に流れる時間の進みがすさまじく遅かった。アニメの30分枠があれほどまでに長く感じたのは、後にも先にもあの蒸し暑い部屋で観たエヴァンゲリオンだけだった。

 

1日を構成する時間は24で区切られていて、その24の内訳が60だということに異論はない。そして、それらの数が毎日変わらず平等に私たちに配られていることも理解している。だがその事実から数字という概念を取っ払うと、時間は平等なものではなくなるはずだ。……そう、なくなるはずだと言い切りたいのだが、実際のところはよく分からない。

ただ、「1日は24時間で1年は365日だから絶対的に時間は平等!」という説明よりも、「時間は状況次第で速くも遅くもなるから、24時間じゃないかもしれないし、365日でもないかもしれないので平等とは言えない」と説かれた方が腑に落ちるのだ。

楽しい時間とそうでない時間が選択肢としてあるのなら、もちろん楽しい時間を選んで生きていきたい。気が付いたら1、2時間などパッと過ぎてしまっているあの感覚だ。

年を取ったら落ち着くものだ、などと言う定説に賛同する気はないが、年を取ることでいわゆる「あの頃」におこなっていた衝動解放活動の回数は確実に減ってしまった。ここで言う衝動解放活動とは、心が躍る行為であり、もっと平たく表現すると「楽しくて好きで仕方のないこと」である。他の誰かのためではなく、湧き上がる思いを自ら肩に担いで走り回る衝動解放活動。私の頭の中にある「これぞ」という感覚を、さかもツイン id:sakamotwinのねねさんが記事に書いておられた。

『火曜サスペンスごっこ』と銘打たれた彼女の活動は、私が思い描く衝動解放活動そのものだった。ねねさんが取り組んでいる『火曜サスペンスごっこ』とは如何なるものかは、以下の写真で確認して頂きたい。

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1枚目は写真自体が話してくれているので、何の説明もいらない。最初の写真も素敵なのだが、私のお気に入りは2枚目だ。誰もいない波止場、遠くに見える工場の夜景、その光が映った日没後の海、といった火曜サスペンス的な要素が詰め込まれたザ・火サス的なフォトグラフで、「何ともまぁ」という気分になった。

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学生時代50m12秒台の栄光は波より遅いダッシュとして今も私のなかに輝き続ける。

適切に表現できないのだが記事内にある上記のフレーズを目にした時、昔大好きだった炭酸飲料が頭に浮かんだ。「そうだよな、やっぱライフガードだよな」という感情が弾け、液晶画面に向かって何度も頷いた。

上に貼ったリンクの見出しにもあるように、大きな声を出して走り回ったり笑ったりしたほうがいいと、個人的にも強く思う。それは彼女のように実際に体を動かしても、体ではなく心を動かしてもどちらでも良いのだと考えている。

フワッとしたイメージが景色になり、映像に変わって色がつく。そこに音と匂いが入って会話が始まると「よしっ!」となる。胸が高鳴ると楽しい。頭の中で生まれた世界がオンギャーと歩き出した気がして嬉しくなる。その感覚は小説を書いてる時や自分の街を作ってる時だったり、シャワーを浴びている最中に現れるのだが、忙しさにかまけているとすぐに何処かへ行ってしまう。

COVID-19が日常を変える半年ほど前、私は仕事を通して自分の承認欲求を満たそうと決めて昇進のオファーを受けた。その決断が自分の周りにかかるモヤを吹き飛ばすと考えていたからだ。書く時間を犠牲にしてでも、心の隙間を欲で埋めれば総合的に見てプラスに働くものだと思っていた。

でも、違った。私の選択は間違っていた。

心と距離が離れた場所で承認欲求を満たそうとすると、穴の空いた袋にビー玉を詰め込んでいる気分になる。どれだけ玉を入れたところで、袋が満たされることはない。

(これはマズイことになった)

底が抜けた袋を手にしていたことに気付き、慌てて床に散らばったビー玉を回収していると、予告もなしに空からパンデミックが降ってきた。

(とんでもねぇことになった)

穴の空いた袋を手放し、必死に集めたビー玉を放り投げた私は、とんでもねぇことになった社会に対応するため、とんでもねぇ空気になっている会社の会議に参加した。

『マネージャー陣は基本継続して勤務』という有無を言わせない方針が決まり、訳が分からぬまま消毒グッズに囲まれる日々が始まったのが3月中旬。その少し前に、カナダ政府が4ヶ月を上限に月々2000ドルを個人に支給するという政策を耳にしていた私は、半年前に自分が下した決断を深く後悔した。

4ヶ月間の合計労働時間=0hrs

4ヶ月間の合計不労収入=$8000

上の数字は夢だ。言うなれば、エンジェルナンバーだ。

あのまま社員でいたら、4ヶ月間書き放題だったじゃないか。つまり、昼過ぎに起きてチョコが付着したビスケットをかじりながらコーヒーを飲み、好き放題猫んズと戯れてラーメンなどを食い、気になる事件を調べた後にストリートビューで多摩ニュータウンに舞い降りることができたわけだ。

半年前の自分が享受できたであろう生活が頭をかすめ、「何やってんだよ!」という感情が腹の底から湧き上がった。

そもそも動悸が不純だった。決して承認欲求が悪い訳じゃない。対象をすり替えたのがいけなかった。エリーゼを強く欲してる時に、ルマンドやバームロールでは替えがきかない。ルマンドもバームロールも美味しいのだが、そういう問題ではないのだ。それに、承認欲求と衝動解放活動を天秤にかけること自体おかしい。このふたつは全く別物であって比べる対象ではない。たけのこの里を食べたらきのこの山が食べたくなるように、両者の関係が「衝動解放活動ー承認欲求」と付随するのなら分かる、でもmeijiの二枚看板を計りにかけちゃいけない。まさに、「何やってんだよ!」だ。

今回の騒動しかり、自分の昇進の件しかり、物事は何か意味があって起こっているのだと信じている。本当の本当など分からないが、ただそう信じている。自分の身に起こったことを全て都合よく捉えるならば、このきっかけがなければ承認欲求と衝動解放活動の違いをこういった形で意識することができなかったのかもしれない。今の仕事を辞める気はないが、今後何かの決断を下す時は衝動解放活動を最優先に考えようと心に決めた。食べていくことの次に大事なことは、嬉しくて楽しいことだ。嬉しくて楽しい時間が続くと、承認欲求は影をひそめる。きっと、使う脳みそが違うのだろう。

 

どうせなら、嬉しく生きる。

どうせなら、好きに咲く。

 

楽しくて好きで仕方がないから、私は書いているんだ。

 

***

 

(次回は、「ミチコオノという時間があった」の続きを書きます)

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ミチコオノという時間があった(パート2)

ミチコオノ日記を読んでいると、不思議と自分の人生の一場面と重なる時がある。といっても、こちらが勝手に合わせているだけなのだが。

第4話に登場する盾矢ミユキと主人公オノミチコの関係が、そういった場面のひとつだった。

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盾矢ミユキ
O型
蠍座
ダンス部
派手だしオシャレ
友達が多い
わたしもその中の一人だと
自信をもって言えない

最近は廊下で会って

会釈する程度だ
ミユキはいつも人に囲まれている

 

昔はよく一緒に遊んだ
2人だけだった

ミユキは小学校の2年の時に
わたしのクラスに越してきた

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ミユキは転校初日に
消しゴムを忘れた

席は離れていたけど
だれに借りたらいいのか
きょろきょろしてるミユキを
わたしは見ていた

わたしの消しゴムは
ちょうど2個に割れていたから
ミユキにそれをあげた

ミユキは次の日に
わざわざ新品の消しゴム買ってきて
わたしに返してきた

断ったけど
「お願い 使って」
と言われたので
ありがたくもらった
でも
わたしにはもったいなくて
使う事ができなかった

たがらその消しゴムは
今でも家の机の引き出しの中に
大切にしまってある

 

ミユキが今月で引っ越してしまう

やっぱり あの消しゴムは
返すべきだろうか

 

ミユキが越してしまうという
話をわたしは人伝てに聞いた

それがものすごく寂しかったけど
そんなものなのかもと納得した

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小3のサマースクールで
一緒に見た星空を
ミユキはもう覚えていないだろう

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私は小学生の頃、野球部に入っていた。

私を含め、お世辞にも上手いとは言えないメンバーで構成されたチームだったが、そのチームでエースを任されていた子の実力は群を抜いていた。投げる球が取り立てて速いわけではないがコースをつけるコントロールがあり、ピンチになっても冷静さを保てる度胸があった。それに彼は、どんな状況でも場の空気を良い方向に持っていく不思議な雰囲気を持っていたのだ。もちろん、打つ方でも持ち前のセンスの良さを発揮して常に高出塁率を叩き出し、塁上にいるランナーをホームに生還させていた。「ライトにフライが飛んだらお終い」と言われていたチームが、とある大会の地区予選を勝ち抜いて本戦に出たのは、その子がいたからこそ成り立った奇跡だった。

私にとって、彼はスーパーマンだった。運動神経が良く、友達も沢山いて目立つ存在だったが、誰とでも分け隔てなく接することができる子だった。当時の私は、全くもってその子と似通った要素を持った年子の姉のことが大嫌いだったが、そのエースの子とは自然に仲良く遊べていた。

中学にあがり、名字が変わったその子は野球部に入らなかった。

つるむ顔ぶれが変わり、近寄り難くなったその子から野球を続けるつもりはないと聞いた時、ものすごく寂しかったけど、そんなものなのかもと思った。

作中のオノミチコがどんな気持ちで「そんなものなのかも」と口にしたのか分からないが、私がその言葉を吐く理由は、諦めだ。

こうして改めて「そんなものなのかも」と書き出すと、何だか悲しくなる。きっとこの言葉をこういった風に受け取るのは作者の意図に反していると思われるが、悲しいという感情が真っ先にきて、他の思いを外に押しやる。

理解したいのに理解できない。納得したいのに納得できない。心の処理能力を超え、その物事にどう対処したらいいか分からなくなった時に、私はこの言葉を使う。

「そんなものなのかもしれない」

「そんなものなのだろう」

「そういうもんだろ」

「そんなもんだろ」

社会という枠に頼まれてもいないのに勝手にはまっていく過程で、言い回しは徐々に変化していったが、その根底にあるのはずっと変わらず諦めだった。

諦めは、寂しくて悲しい。

年を取れば取るほど、その寂しさと悲しさが直に迫ってくる。

一度手放すと、いとも簡単に切れたり消えてしまうのだと気付いてから、処理能力を超えた出来事に遭遇してもいつもの定型文は出さず、無理にでも疑問形の箱に思考を押し込むように努めた。

「そんなものなのか?」

「そんなもんじゃないだろ?」

まだ最後のクエスチョンマークを付けられない日が多いが、飽きるほど繰り返せば、いつか私の脳みそもこのフレーズを新しい定型文として認識してくれるだろうと信じている。

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ミチコオノ氏の描いたこの絵を見ると、まだエースだった頃のその子の顔が頭に浮かぶ。

例え、いつかのあの子が本戦行きを決めた試合を忘れてしまっても、こちらが覚えている限り、その場面はこれからも頭の中に残り続けていくのだろう。

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***

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ミチコオノという時間があった(パート1)

誰もが知っている通り、楽しい時間はあっという間に終わる。

水曜7時のドラゴンボールも、ドラえもん音頭が流れていた夏祭りも、深夜のファミレスで話し込んだ時間も、冗談みたいな速さで過ぎていき、気が付いた時には何事もなかったかのようにいつもの日常に引き戻されるのだ。

それは、ミチコオノという時間も同じだった。

 

今から約2年半前、私の生活にはミチコオノという時間があった。

はてなブログに突如として現れた超新星。一昔前のスカウトキャラバンのコピーみたいに感じるが、私にとってミチコオノ氏のブログ「ミチコオノ日記」は、まさにその大袈裟に聞こえるキャッチコピーそのものだった。

私とミチコオノ日記との出会いは、13話が始まりだった。

この話を読んだ感想は、ヤバい、だった。

リンクに飛んで頂ければ分かると思うのだが、とにかくヤバかった。感覚的に言うと、「おぉ」や「うわぁ」といった感嘆詞で頭が埋め尽くされた。

私はこの13話で、タイトルにもなっているジン君と出会った。

國分 仁
両親がヒッピーで
一輪車で買い物に行く様な人達
家は一週間の献立が決まっていて
テレビがない
当然 ジン君も 一風変わっている

作中に書かれている人物設定もとんでもないが、ジッとこちらを見据える姿もとんでもなくて、その突き刺してくるような目に吸い寄せられた。

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何度見ても、やっぱりとんでもない。

ちなみに彼は毎年文化祭の日に、校舎裏にある非常階段の1番下で、訪れた生徒に一対一でお話をしている(作中には寄席のような、と説明があった)。

以下がそのお話の内容だ。

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何だこれ、と感じるのは正常な反応だと思う。ここに書かれている①から④は、何だこれ以外の何物でもない。

この作品の主人公であるオノミチコは、③の話を選んだ。ジン君曰く、彼女は当たりを引いたらしい。

詳しいお話の内容はリンク先で確認してほしいが、率直に言うと、ぶっ飛んでいた。

躊躇なくぶっ飛んでいて、とても清々しかった。

とんでもないものを見ると嬉しくなる。自分では表現できない世界に触れると楽しくなる。だからきっとドリカムは、うれしいたのしい大好きと歌ったのだろう。その気持ちは心から理解できる。第13話を読んで、私はミチコオノ日記が大好きになり、すぐに読者登録をした。そして当然のように1話に遡ってページを開いたのだが、そこには理解不能な木彫り人形が立っていた。

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わたしの名前は

オノミチコ

中学3年

部活は書道部と

美術部のかけもち

といっても

どっちも

私しか部員がいない

 

今年の卒業アルバムを見れば

理由はなんとなくわかってもらえると思う

正直、意味が分からなかった。なぜなら、私が13話で初めて目にしたオノミチコは木彫りの人形ではなかったからだ。

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何だか怖かった。

彫刻刀でゴリゴリと削ったであろう鼻のない木彫り人形が、少し怖かった。その後も第1話の中でオノミチコは再度トランスフォームした。

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この時点で私は、脳みそのレバーを中央やや左から目一杯右に引いた。

ブルースリーだって、Don't think. Feelって言ってたしな。

第2話でも相変わらずオノミチコはジークンドーの化身だった。

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第2話では、オノミチコの他に2人の人物が登場する。ひとりは野球部のアカバネ君。

アカバネ君は野球部だ

でも試合に出たことがない

補欠の補欠だ

もう受験なんだし

部活に行かなくても
怒られないのに

アカバネ君は 毎日グランドに
に立っていた

怒られても どなられても

アカバネ君はグランドに

立っていた

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もうひとりは、前の年に卒業した元美術部部長、”天才”大関いずみだ。

大関いずみ は天才だった

 

わたしが 美術部だと言えば
「ああ 大関さんの」
と みんな言う
最後の文化祭で

 

大関いずみ は 『伝説 』になった

『天才 大関』

『大関のいた美術部』

卒業してから

部長はさらに神格化されていった

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現美術部唯一の部員であり、部長の主人公オノミチコが思い出す大関いずみの姿は、いつも後ろ姿だった。

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オノミチコがいる学校の美術部では、できあがった作品をロビーに展示している。しかし、大関の後を継いで部長になったオノミチコは、まだ一点も作品を展示したことはないと語っている。

でもわたしは

一点も展示したことがない

「なかなか仕上がりません」

と 嘘をついている

ほんとは

みんなに見られるのがコワイ

情け無い 部長だ

去年の部長は ちがった

 

部長が新作を描きあげると

必ず 展示を手伝いに行った

ロビーは わたしの 聖域だった

でも今 聖域は
ただの 白い壁だ

なにも 飾らなければ

だれも 見ない

ただの 壁だ

壁だから 何も言われない

言われないから

傷つかない

壁だ

その何もない壁を、野球部のアカバネ君が見つめている。

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第2話は短い話だが、印象に残る場面が多かった。

***

この世の中には、心が踊る言葉が存在する。

何と言うか、その言葉に付随するイメージや記憶を追いかけることができる言葉たちだ。当ブログを読んでくれている稀有な方なら分かるかもしれないが、それはチェリオやエリーゼだったり、大磯ロングビーチやラジオの深夜番組だったり、神宮寺三郎やシロノワールだったりする。

第13話で人生初遭遇した「ミチコオノ」という言葉は、とても自然に心が踊るリストに加わった。

この先いくつかの話に分けて、嬉しくて楽しくて大好きになったミチコオノ日記と、その世界にまつわる思い出を書き残していこうと思う。

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無料ダウンロードキャンペーンのお知らせ

本日5月7日から11日まで、Amazon Kindleストアで販売している電子書籍「じゃあ、またね」の改訂版無料ダウンロードキャンペーンを行います。
以下があらすじ、及び、ダウンロードページのリンクです。

 

ムラセコウタを最後に見たのは、アズマたちに呼び出しを受けなかった「解放日」の帰り道だった。
茜橋のたもとでムラセが手を振った日を境に、サエジマワタルの生活から日常が消えた。

『仇を討ってください。僕はこいつらを絶対に許さない』

手渡された文庫本の余白ページに記されたメッセージ。そこに名前が書かれた四人の生徒たちとの関わりを通して、サエジマ、ムラセの母親、そして協力者であるカネコの人生が大きく変わっていく。

秘めた思いを抱えたまま、ムラセの無念を晴らそうともがくサエジマ。
息子が首を吊った理由を探すムラセの母親。
進むべき道を「神」に委ね、搾取される人生に終止符を打とうとするカネコ。

それぞれの思惑が交錯したまま、止まることのできない運命共同体は進んでいく。

 

ダウンロードページ:

https://www.amazon.co.jp/dp/B07QVDJXGS

この作品には暴力的な表現が含まれていますので、お気をつけ下さい。

 

読んでいただけたら嬉しいです。

 

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子供の頃に見た正月みたいな風景

オンタリオ州の緊急事態宣言が発令されてから今日で1ヶ月と18日。4日間の休みが取れたので、念願だった散歩に出た。

政府からの通達に従い、身分証明書を携帯してウォーキングシューズを履く。

天気は雲が散らばる晴れ。気温10度。歩いて5分程の距離にあるメインストリートに着くと、子供の頃に見た正月みたいな風景が広がっていた。

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ご覧の通り、繁華街の機能は停止している。辺りに人がいないわけではないが、まばら。なので自動的にソーシャルディスタンスを保てている。

この街に移って13年経つが、こんなにも人が少ない繁華街を見たことがない。

道沿いの店舗は全て閉まっているのにも関わらず、週末は人が来ているという話を耳にするので、月曜日の昼下がりという要素も手伝っての風景なのだろう。

 

メインストリートの坂を下って滝に近づいても、状況は一緒だった。

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アメリカ滝もカナダ滝も変わらずそこにあるのだが、その周りにあった人混みとビジネスが何かのイリュージョンのように消えた。

 

COVID-19が世界を包んで、私の生活は変わった。もちろん、私だけの話ではないのだが、私が一番よく知っている私の生活が変わった。

消毒液の匂いに囲まれていると頭痛を起こすのだと知ったのは、この騒動がきっかけだったし、労働そのものに対しての疑問を持ち始めたのも、この混乱がきっかけだった。

「雲を掴むよう」とはよく言ったもので、今現在、自分を取り巻く様々なものがおぼろげな状態になっている。そわそわしていて落ち着かない。ふわっふわしていて決められない。まるで、大戸屋のメニューを前にしている気分だ。

定まらない思いが淡い雲のようだとしても、どうせならもっと濃く、欲を言うなら綿アメみたいに甘ければ悩む必要などないのだろう。食べれるようだったら食べてしまえばいいんだし、口の中で溶かしてしまうことだってできる。

右脳と左脳を動員し、「どう思う」「どうだろう」を繰り返しても答えは出ない。答えが出ないから続けて歩く。

 

この時期、アメリカとの国境も商用配達トラック以外は封鎖されているので、観光目的での入国が主なレインボーブリッジは閑散としている。

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ある程度長く住んでいるのだが、上の画像の右側にある高架下をくぐったことがなかったので、行ってみることにした。

入り口を撮り忘れたが、中の様子はこんな感じ。

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最高だった。

柱がいい。連なる柱がいい。ズンって伸びる柱、最高。

 

高架下を抜けた先に佇むアイスクリームの看板。トリプルポーションがこの国の気質を象徴している。

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写真の順序が前後するが、橋の手前にある公園にもひと家族がいるだけだった。

時間制限なしの貸切公園。後ろが詰まっていない安心感。気を使って早風呂することもない。

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個人的な見解だが、人がいないと成り立たない風景があると思う。

人馴れしている場面と言うべきか。

それはかつて、人との距離が近かったものほど大きな違和感を覚え、その建物単体だと嘘みたいになってしまうのだ。

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ほら、やっぱり嘘みたいだ。

 

車が走らない道路。雑草扱いされ忌み嫌われるたんぽぽも咲き放題。

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誰かが損をすると誰かが得をする法則は、この状況でも変わらないみたいだ。

 

COVID-19に意味があるとすれば、私にとってそれは、ラーの鏡だ。

サマンオサのニセモノ王よろしく、その対象が人であろうが会社であろうが街であろうが、バッサバッサと化けの皮を剥がし、隠されている正体を暴いていく。

自分自身を含め、本性を晒されたらきっと元には戻れないのだろう。

その時に直視するものが、本来の姿なのだから。

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***

 

これからって時に、敬語はやめませんか

「一応確認しますけど、手順は分かってますよね」

「はい」

「準備はできているので大丈夫だと思います」

「色々ありがとうございました」

「あの、あれですよ、約束では『目が覚めちゃったら自分で』ってなってますけど、もしその時に気が変わってたら、いいですよ、逃げちゃって」

「え、いや、逃げませんから」

「もしもの話ですから。これ、けっこう強いやつなんで、起きることはまずないでしょうけど」

「はい」

「とりあえず話しておくことはそれぐらいですかね。何か質問はありますか? 特になければ——」

「あの、ポーク鍋さんは、何で終わらそうと思ったんですか?」

「え?」

「何で、終わらそうって決めたんですか?」

「……今の段階でそれ聞きます?」

「すみません。でも、こうして顔を合わせたのも何かの縁ですし、最後に聞いておきたいなって思いまして」

「はぁ。いや、最後に聞くような話ではないですよ。そんな大それたものではないですし」

「何でもいいんです。話、聞かせてもらえませんか」

「話って言われましても、まぁ、理由はたくさんあるんですけど、ひとことで言うなら、疲れたってことになります」

「疲れた、ですか」

「はい。何て言うか、この世界って、何かズルっこじゃないですか」

「ズルっこ?」

「別にこっちだって清廉潔白に生きてきたわけじゃないですけど、それなりに気を使ってやってきたんです。それこそ、物心がついた時から。母親が癇癪持ちだったもので。なるべく人様に迷惑かけないように、空気読んで、顔色伺って。でも、そんなの何の意味もなかったんですよ。何たってズルっこが得をする世界なんで。って、今更こんな話しても時間の無駄です。もう終わるんですから」

「だから、もう終わってしまうから聞きたいんです。もし、ポーク鍋さんが嫌じゃなければ、話を続けてくれませんか?」

「いや、嫌とかそういうんじゃなくて、ただ意味がないなって思いまして」

「お願いします」

「うーん、まぁ、ですから、そんな世界に疲れてしまったんです」

「何か直接的な原因があったんですか?」

「直接的って言うか、まぁそうなるなっていうのは、会社の上司になりますね」

「その人がポーク鍋さんの言う、ズルっこですか」

「他にもたくさんいるんですが、彼がその代表格になりますね」

「あの、ポーク鍋さん、敬語やめませんか?」

「敬語?」

「はい。これからって時に、敬語はやめませんか?」

「気になります?」

「はい。あー、うん。気になる。すっごい気になる。だってもうすぐ終わっちゃうんだよ。それなのに、何で敬語で喋ってるの。ちゃんと考えたらおかしくない?」

「おかしいですかね。いやだって、今日初めて会ったんですよ。だったら敬語が普通じゃないですか。友達じゃないんですから」

「随分前からチャットしてたよね」

「それはネットでの話ですよね。顔を合わしてないんですから別物ですよ」

「何で? 実際に会わなきゃダメなの? そんなのおかしいよね」

「ですから—— 」

「敬語やめて」

「あの—— 」

「やめて」

「いやいや、やめてって、いや、おかしいのはそっちでしょ。何でこの段階で自分の身の上話をしなきゃなんないんだよ。俺は終わらせるためにここに来てんの。ひとりで終わらせる踏ん切りがつかないから、一緒に終わらせましょうってことでこうして会ってるんでしょうが。それをおかしい、おかしいって。おかしいのはあんただろっ!」

「……ごめん。あの、ごめんなさい」

「あ、いや、そういうことじゃなくて。あー、何て言うかその、おっきな声出して申し訳ない。それは、ごめんなさい。だから、あのー、うん、分かった。よし、そうしよう。話もするし、敬語もやめるから。約束する」

「ごめんなさい。私が悪かったです。本当に、ごめんなさい」

「いやいや、悪いのはこっちだから。おっきな声出しちゃったし、ごめん。怒鳴って押さえ込もうとするのって最悪だよね。それがどれだけ嫌かって、ずっと受けてきて分かってるのに自分がやっちゃって。本当に、ごめんね」

「悪いのは私です。ごめんなさい」

「敬語、やめようか。あと、謝るのももうやめよう。俺も謝んないし、ネコ腹さんも、もう謝んないでね。謝って終わるのは、何か寂しいから」

「……分かった」

「じゃあ、話の続きをするね。えーと、それで、そのズルっこ上司がさ、病気になって入院したんだ。そん時に部署のひとりが、まぁ、ズルっこの子分みたいな奴なんだけど、そいつが『ズルっこにメッセージを送ろう』なんて言い出して、スマホでビデオレターみたいのを撮り始めたんだ。正気かよ、って思った。散々理不尽にやりたいことやり散らかして、こっちの手柄横取りして、意見したら周りを囲んで嫌がらせしてきて、そんな奴のために何でこっちがメッセージなんか送んなきゃならないんだよって。分かっててやってんだ。わざわざ業務終わった後に会社残って、こっちが困る姿を見て楽しんでたんだよ。本当に、クソみたいな構造だ。ズルっこの子分がズルっこに年貢を貢いで、貢がれたズルっこがそのまた上のズルっこに上納する。いや分かってるよ。それが社会ってもんなんだろ。能力云々の話じゃない、力を持ってる奴に上手く取り入ったもん勝ち。やったもん勝ちじゃなくて、言ったもん勝ちの世界だもんな」

「ポーク鍋さんはコメントしたの? そのビデオレターで」

「コメントはしたんだけど、そこで俺、おかしくなっちゃってね。今までもさ、寄せ書きとかはあったんだよ。退職する時とか、子供生まれた時とか、大して仲良くもないのに形だけで『お疲れ様』とか『おめでとう』とか言うやつ。あれは問題なかった。感情入れないで書けばいいだけだしね。でも、ビデオレターは違った。声に出さなきゃいけないでしょ、あれ。声に出すとさ、嫌でも感情が入るんだよ。『一生病院に入ってろ、何なら死ね』っていう感情が。口ではそれっぽいことを言うんだけど、顔がどんどん歪んでいくわけ。それで何度もズルっこの子分にダメ出しされて、『ちゃんと心配してる顔しろ』って注意されるんだけど、言われれば言われるほど眉間にシワが寄っちゃって。それで何回目かの時に、胸ぐらを掴まれた。『何年社会人やってんだ、クズが』って。それ言われた後に撮ったテークで、俺、言っちゃったんだ……」

「何て、言ったの?」

「『お元気ですか? 心配なんかしてません。一生病院に入ってろクソが!』って。そしたらズルっこの子分がキョトンとした顔してさ。俺、その顔見たら急にムカムカしてきて、バァーってそいつの元に走って、そいつのスマホを取り上げて会社の窓から投げ捨ててやった。それでもさ、そいつ固まってるんだよ。心底驚いたような目でこっちを見て。いやふざけんなよって、だってお前らが仕掛けてきたんだろって、何で予想外ですみたいな顔してんだよって。だから次にズルっこ上司の机に行って、パソコン持ち上げて床に叩き落としてやった。大きな音がするもんだからムカついて、何度もやった。そうやって散々投げ落とした後に、俺、硬いもの探してたんだ」

「硬いもの? 硬いものって、何?」

「分からない。よく分からないんだけど、他の社員の机を開けまくって、片手で持てる何か硬いやつを探してた。きっと……それでズルっこの子分をぶん殴ろうとしてたんだと思う。でも、なかなか見つかんなくて。そうこうしてるうちに、ズルっこの子分が『警備員さん!』って叫びながら部屋を出て行った。それで俺、怖くなって、走って非常階段から逃げた。それっきり、会社には戻ってない。でも、ダメなんだ。せっかく溜め込んだものを出したっていうのに、毎日毎日襲ってくるのは罪悪感ばかりで、嬉しくも何ともならなかった。何かこうもっと開放感っていうか、ワァーってなるのかなって思ってたけど、情けないことに申し訳ない気持ちにしかならなくてね。自分の感情すらも背負っていけないんだって分かった時、あぁダメなんだなって心底思った。それをすんなり受け入れてしまう自分が、そうやって生きてきた自分の人生が嫌で嫌で堪らなくなって、終わらそうって決めた」

「……そうなんだ」

「俺さ、ずっとスーパーの通路の真ん中にカートを置いてる客に憧れてたんだ」

「え、カート?」

「ほら、時々いるじゃん。買い物の途中で通路の真ん中にカートを放置して他の商品を探す客。あれ、本当に羨ましくて憧れてた」

「あぁ、それ私も分かる。きっと私なんかよりずっと生きやすいんだろうなぁって思う」

「そうなんだよ。俺には絶対に真似できない。そんなことしたら周りに迷惑をかけてることが気になって仕方がなくなるからね」

「ねぇ、小さい頃に学校で受けた道徳の授業って何だったんだろうね。人に迷惑をかけちゃいけないとか、思いやりとか助け合いとか、そういう教えを守って生きようとすると、どんどん息が詰まっていく」

「確かに。さっきも言ったけど、俺の母親は癇癪持ちだったんだ。何かあるとヒステリー起こして怒鳴って暴れて。それで部屋が散らかり放題になるんだけど、その部屋を片付けると、母親が褒めてくれたんだ。『自分がやったんじゃないのに偉いねぇ』って。あんまり子供に関心がなかった人だから、そうやって言われることが嬉しくてね。だから頼まれてもないことも率先してやるようになったんだ。でもそうしているうちに、どんどん褒め言葉のハードルが上がっていった。ちょっと手伝ったくらいじゃ何の反応もなくて、だから更にやらなくちゃいけないっていう悪循環になった。まぁ、勝手にやってるのはこっちなんだけど、ただ認めて欲しかったんだよね。どうしようもない母親にさえ、自分という存在がいるってことを。今にして思うと、道徳って言われるものは、一種の洗脳みたいに感じるよ。その逆を実践してる奴らがピラミッドの上部にいて、こっちを支配している構造。小さい頃の話でいうと、母親がそのピラミッドの頂点。負け犬の遠吠えと言われちゃそれまでだけど、実際に見てきたものがそうだから何とも言えない気分になる」

「私はポーク鍋さんみたいな構造を考えたことないけど、自分がやりたいわけでもないのに、知らないうちに『そうすべきだ』っていう言葉に縛られて行動して、何か嘘ばっかりついた気分になって苦しくなる繰り返しだった。ポーク鍋さんと同じ、勝手にやってるのは自分なのにね」

「何か、バカらしいよ。何でこんな風に生きてきちゃったんだろ。何で今まで。まぁでも、それも今日で終わり。長々と話しちゃってごめんね。とにかく、そんな感じで疲れちゃったんだ。ズルっこばっかの世界にも、このままずっと自分のままで生きていくことにも。これが俺の話。じゃあ次、ネコ腹さんの番」

「え、いや、私は——」

「ダメだよ。ここは平等にいこう。俺も話したんだ。ネコ腹さんの話も教えて欲しい。ネコ腹さんは、何で終わらせようと思ったの?」

「スギハラ」

「はい?」

「スギハラミウ。私の名前」

「あ、あー、そうなんですか。スギハラさんとおっしゃるんですね。あ、どうもはじめまして」

「何で急に敬語に戻っちゃうの」

「いや、何か名前聞いたら現実に引き戻されるっていうか」

「さっきも今も現実。何も変わらないよ」

「まぁそうだよね。確かに一緒だ。あー、じゃあこっちも、私の名前は、あの、名前は——」

「無理に言わなくてもいいよ。私は自分で言いたかっただけ。それだけのことだから」

「別に無理なんてしてない。何の問題もないよ。俺の名前は、ポーク鍋こと、ワタナベトシヤです。よろしくお願いします」

「ふっ……ふっふっ……ちょっと、やめてよ。ふっふっふっ」

「え、何で笑ってんの? いや、名前言っただけじゃん。え、だから何で笑ってるの?」

「だって、言い方が。ふっふっ、何その自己紹介。名前だけでいいよね? 何、『ポーク鍋こと』って。しかも最後また敬語になってるし……ふっふっふっ、ハハハッ!」

「そんなに笑うことかなぁ。一応アカウント名も言うでしょ。初めて会ったんだし。そういうもんだと思うけどなぁ」

「ごめんごめん。あー、びっくりした。久しぶりに笑ったぁ。私こんなに笑えるんだね。あー、驚いた。あー、いやー、ワタナベさん、ありがとう」

「感謝されても、何か心外だなぁ。まぁ、いいけど」

「ごめんって、ごめん。でも、ありがとう。感謝してる」

「どういたしまして」

「ねぇワタナベさん、私の話、本当に聞きたい?」

「え、うん。だってそれでイーブンになるから」

「あんまり気持ちのいい話じゃないよ」

「俺のだって全く清々しい話じゃなかったからね」

「分かった。じゃあ、話す。ちょっと深呼吸するね」

 

(スー フー スー フー スゥーーー フゥーーー)

 

「はい、ありがとう。えっと、どっから話せばいいのかなぁ。あのね、あのー、私、介護士だったんだ。老人ホームとかデイサービスとかで働く介護職員。介護の仕事自体は嫌いじゃなかったんだけど、人付き合いが上手くいかなくて。もともと社交的な方じゃないし、意見とかも言えるタイプじゃないから色んなこと溜め込んじゃうことが癖になってて、我慢して我慢して限界になると逃げるように仕事を辞めてた。そうやって逃げ続けてたら七回も職場を変えることになって、再就職の面接で落ちることが多くなったの。だから八番目の職場に移った時、どんなことがあっても耐え抜こうって心に決めた。仕事が見つからない時の不安はもう嫌だったし、ずっと介護職でやってきたから今更、他の職種に就く自信もなかったから」

「うん、そうなるよね」

「最後の職場、その八番目の場所はね、いつも人手が足りなくて、忙しさでピリピリしてた環境だったからストレスが溜まりやすかったんだけど、主戦力で働いてた二人の職員さんがいなくなってから特に酷くなったの。担当する利用者さんも増えるし、泊まり込み勤務も増えるしで、もう限界だった。そんな状態の時、新しく個室で入ってきた認知症のお婆ちゃんがいてね。その人が、夜中に何度も私のこと呼び出すの。最初はちゃんと部屋に行ったよ。何か緊急だったら大変だからね。でも、そのお婆ちゃん、私が行くと、口半開きでこっちを見てるだけなの。『どうしたんですか?』って声かけても何にも言わなくて。呼び出す時は、ちゃんと話せるのに。そんなことが何度か続いて、呼び出しも無視するようになってたんだけど、違う利用者さんがトラブル起こして大変だった夜に、また連絡があって。私、頭にきて、部屋に行って怒鳴っちゃったの。でも、結構強く怒ったのに、その人、何の反応も示さなくて。またいつもの、ボォーっと口半開きしたまま。何か私、その姿を見てたら、無性に腹が立って仕方がなくなって、怒りを抑えきれなかった。それで気付いたら、そのお婆ちゃんの頭を引っ叩いて、手の甲を凄い力でつねってたの」

「あの、スギハラさん、大丈夫」

「ごめん、ちょっと深呼吸するね」

 

(スー フー スー フー スゥーーー フゥーーー)

 

「ありがとう、大丈夫。ずっとね、介護職に携わっていて、今までどんなに溜め込むことがあっても絶対に線は超えなかったのに、あぁ、私とうとうやっちゃったんだって絶望した。だから、次の日に問題になって呼び出されるのを覚悟したの。だって、前に十年以上勤めてた人が利用者さんの顔を殴って、家族からのクレームでクビになったことがあったって聞いたことがあったから。でも、私は何のお咎めもなかった。今、考えたら、あの時辞めてればよかったんだと思う。きっと、あの期間は神様がくれたチャンスだったんだ。でも、私は辞めなかった。もうその頃は仕事を続けていく自信をなくしていたけど、今まで自分が費やした時間を全部捨てるのが怖かった。うん、怖かったっていうか、それにすがってた。それで、結果的に私は仕事も、そのお婆ちゃんに関わることも、どっちもやめなかった。もう絶対手をあげるのはやめようって、その時は心に誓ったんだけど、日々のイライラが溜まって呼び出された夜は、私、また同じことしてた。しかも、今度はもっとズルくなって、ぶたない代わりに体の目立たない部分を思いっきりつねることにしたの。そうすると、そうするとね、凄いスッキリして……。私、その時、自分の中の悪魔に食べられちゃったんだと思う。今でも、夢を見るんだ。夜、真っ暗な廊下を歩いている自分の姿の夢。そのお婆ちゃんの部屋を目指して誰もいない廊下をツカツカツカって、こう、前傾姿勢で歩いてるの。で、彼女の部屋の手前に資料室があるんだけど、そのドアのガラスに私の横顔が映るの。目が据わってて、何ていうか、獲物を狩る前の動物みたいな顔。映ってるのは私の顔なんだけど自分じゃないみたいで。とにかくその顔が怖くて、気味が悪かった」

「スギハラさん——」

「私が弱いから、悪魔に心を食べられた。私が弱くて価値がないから、自分の中にいる悪魔に乗っ取られちゃったんだ」

「スギハラさん、強い弱いじゃないって。気持ちを保てる環境があってこそ、俺たちはこうして何とか他人同士、クソみたいな社会で共存していけてるんだろ。その環境が崩れちゃったら、人のモラルどうこうの話じゃないんだよ。そんな状況で働いてたら、皆んな頭おかしくなっちゃうんだって。だからスギハラさんが悪いんじゃない。そもそもおかしいんだよ! 人をボロ雑巾みたいに扱う社会が!」

「ワタナベさん、それは言い訳だよ。悪いのは私。その社会に馴染める強さを持たない私が悪いんだ」

「いや、そんなのおかしいだろ! 何でだよ、何でスギハラさんがおかしいことになるんだよ!」

「何度も言うけど、悪いのは私。だから神様は、私の前にお婆さんを遣わせたんだ。私の本性を暴くために」

「そんなこと——」

「私がそこから逃げるまでの一ヶ月、私は私自身の意思でそのお婆ちゃんの部屋に行くようになった。ただ私の欲望を満たすためだけに。そんなどうしようもない私の前に、神様は姿を見せたの。あのね、すごく不思議なことなんだけど、やられる日が続いても、そのお婆ちゃん、毎日私を呼び出すの。それで部屋に行くでしょ、そうするといつも通り口を開けてるんだけど、私が一歩一歩近づくと急に思い出したかのように怯えた顔になるの。私がそこを逃げ出す夜も彼女の部屋に入って、お婆ちゃんに近づいて膝立てて座ってから、ふくらはぎの裏を目一杯つねったの。いつもはね、そのお婆ちゃん『うぐぅぅ』とか『あがぁぁ』とか言って耐えてるだけなんだけど、その日はこっち向いてさ、『ごめんね、もう大丈夫だよ』って言ったの。心臓がとまりそうなくらいビックリして、そのお婆ちゃんの顔を見たら、お婆ちゃん、泣いてた。そしてね、すごい優しい顔で私の頭を撫でたの。私、つねってるのに。私の全部を包むように、ゆっくり、何度も撫でてくれて……。ビックリしたけど、暖かくて、とても安心した。神様がね、こっちへ来いって言ってるみたいだった。そこをさよならして、こっちに来いって。だから、行くことにした。これもただの言い訳で、結局逃げてるだけだけど、あの時私が感じた暖かさは本物だと思うから、それに包まれたいと強く願った。……自分でね、色々試したんだ。でも最後の一歩が踏み込めなかった。怖くてね、怖くて仕方がなかったの。だからあの掲示板に書き込んだ。そしてポーク鍋さ、あ、ワタナベさんに会った。これが、私の話。初めて他の人に話した。聞いてくれて——え、何で、何でワタナベさんが泣いてるの?」

「分かんない。悔しくて、寂しくて、苦しい。何でこんな気持ちになるのか分かんない。どうしていいか分かんなくて、どうしていいか分かんないから涙が出てくる」

「……ワタナベさん。あのね、ワタナベさん、これ、最後の質問。本当に最後の最後。もし何かひとつ、全部が終わっちゃう前に、何かひとつできるとしたら、何がしたい? 今まで生きてきて、一番楽しかったこと。もう一回それができるとしたら、ワタナベさんは何がしたい?」

「今までで、一番楽しかったこと?」

「うん、そう。もう一度できるとしたら、何がしたい?」

「……大磯かな。もし叶うなら、大磯ロングビーチに行きたい」

「大磯ロングビーチ?」

「うん。ずっと昔、子供会で行ったんだ。その時の記憶が強く残ってる」

「そこで何がしたい?」

「何がしたいとかはない。ただ、あの時の雰囲気を味わいたい。スギハラさんは、大磯ロングビーチに行ったことある?」

「ううん。名前は聞いたことがあるけど、行ったことはないよ」

「日本なのに、南国なんだ。ザ・南国リゾートって感じ。まぁ、南国に行ったことがないからイメージなんだけど。海の真ん前でヤシの木がいっぱいあってさ、オーシャンブルーのパラソルがプールサイドに続いているんだ。高い飛び込み台があって、でっかい流れるプールもある。何ていうか、ハワイみたい。これも勝手なイメージだけど。子供会でそこに行った日、散々泳いだ後にすぐ近くにあるボーリング場に行ったんだ。日焼けして身体中痛かったけど、その痛いままでボールを投げるのが本当に楽しかった。痛いから全然まっすぐいかなくて、ガーターばっかりだったけど、それが楽しかった。本当に、楽しかった」

「そうなんだ。いいねぇ」

「じゃあ、スギハラさんは? 何がしたい? 何が一番楽しかった?」

「楽しかったじゃないけど、一番したいことは、おんぶかな」

「おんぶ?」

「うん。あ、するほうじゃなくて、されるほうね。私、中学生になるまでお婆ちゃんと一緒に暮らしてたの。子供の頃、嫌なことされて泣いてると、お婆ちゃんがよくおんぶをしてくれたんだ。こうやってゆっくり左右にリズムをつけながら。お婆ちゃんは背が低かったんだけど、おぶられるとすごく安心できたの。暖かくて優しくて、その時だけ嫌なことが全部飛んでいった。それでね、しばらくすると『ミッちゃん、あまパン食べようか?』って聞いてくるの。あれね、あまパンってシロノワールのこと。あの、コメダ珈琲に売ってるやつ。分かる?」

「いや、コメダ珈琲行ったことないから分かんない」

「形は丸型の大きなデニッシュパンで、中央にアイスクリームがドンって盛られてて、真っ赤なサクランボが一個添えてあるの。え、ワタナベさん、食べたことない? もったいないよ、すごく美味しいんだから」

「コメダ珈琲に行く機会がなかったからなぁ」

「そっかぁ。それが、本当に美味しくて。安心した後だからかなぁ、お婆ちゃんと食べる時はいつも特別美味しかった。美味しく感じただけかもしれないけど」

「いや、きっと美味しかったんだよ。あの時行った大磯ロングビーチの楽しさと、きっと似てるものがあると思う」

「ワタナベさんは、最後にいつロングビーチに行ったの?」

「えー、最後も何も、その子供会で行ったのが最初で最後だよ」

「え?! 何で? 何でそれから一度も行ってないの?」

「いや何でって、行く機会がなかったからね」

「行く機会がないって、だって一番楽しかったんでしょ? それなのに何で? 行く機会なんていくらでもあったよね? 今まで生きてきた中でいくらでも。だって——」

「ないよ、そんな機会。なかったよ。本当に楽しかった場所だから、気を使わなきゃいけない人とは一緒に行きたくなかった。誰か心から気を許せる人がいたら、絶対に行きたいなって思ってたけど、そういう人に会えなかったしね。それに、ひとりで行ったってしょうがない場所だし」

「行けばよかったじゃない、ひとりだって何だって。せっかくそんな場所があるのに。何で一度も……」

「ひとりでなんて行かないよ。行けるわけないよ。そんなことしたら人の目が気になって無理だよ。そうやって言うけど、じゃあ、スギハラさんは? お婆さん以外に誰かにおぶってもらった? お婆さんの時と同じ味のあまパンを食べられた? あの時と同じような安心感を得られた? 得られないでしょ? 無理なんだよ、楽しかった思い出を掴もうとするなんて。なくなってしまったから、俺たちここにいるんでしょ? なくなってしまったから、こうして終わらせようとしてるんでしょうが!」

「……」

「あ、また……。違うんだ……違うんだって。申し訳ない。いや、責めるつもりはなかったんだ。そういうんじゃなくて、だから、違うんだよ。あの、あー、もう、本当に嫌だ。もうおっきな声なんか出したくない。もうこれ以上、自分も誰かも責めたくない……」

 

(ダンッ)

(スタスタスタ)

(バリ バリ バリリリ バリ)

 

「ちょっと! え、何してんの? え? スギハラさん! ちょ、ダメだよ! 目張り取ったら窓の密封が——」

「今日、何曜日?」

「え? は?」

「今日は何曜日かって聞いてるの!!!」

「え、あ、はい。え、だから、一昨日が日曜日だったから、えっと、火曜日、です。はい」

「半額日」

「……はい?」

「大磯のボウリング場じゃないけど、国道沿いの緑奥ボウル。火曜日は半額日なの」

「あ……はぁ」

「ボーリング、したいんでしょ? だったらすればいいじゃない!!!」

「え? 一体、何の話を——」

「敬語はやめてって!!!」

「あ、はい、あ、あの、おぅ」

「何『おぅ』って。ワタナベさん、錠剤が入ってる小瓶取って」

「え、あの、取ってって言われても」

「はやく!!!」

「はい、お、いや、おぅ」

 

(スタスタスタ)

(ガッ ガンッ ガガッ)

(スッ)

 

「え、何で、何で投げるの?」

 

(……バリッン……)

 

「あ、え、何で? 何でそんなことすんの?」

「あんただって、窓からスマホ投げ捨てたでしょ」

「それとこれとは——」

「一緒だよ。全部、一緒」

「スギハラ、さん?」

「ワタナベさん、ごめんね。でも、どうせなら、やることやろう。どうせ終わりにするなら、やることやってから、終わりにしよう」

「スギハラさん……」

「だって、シロノワール食べたことないんでしょ? あんなに美味しいのに、食べたことないんでしょ? だったら、食べようよ。最悪、食べてから終わりにしようよ。だって本当に美味しいんだから!」

「……」

「世界はね、きっとこのまま。ワタナベさんが言ったように、ズルっこたちがはびこって、それに馴染めない人たちはズルっこたちの餌食になる。しょうがないよね、弱肉強食だもん。それが世の中ってやつなんだから。カートを通路の真ん中に置けない私たちは、くだらない道徳に縛られて、しつこく付いてくる罪悪感に襲われるの。どうしようもないけど、そういったものを受け入れるしかないよね。だって仕方がないでしょ、そうやって育てられて、その感覚を染みつけて生きてきたんだから。ワタナベさん、人生は映画やドラマじゃない。都合よく物事が運んだり、救世主が窓を割って助けに来てくれたりはしない。だから、だからどうせなら、やりたいことしようよ。少なくとも、やれることをしよう。……私はやる。急に計画を変えて申し訳ないんだけど、やっぱり私は死なない。卑怯だけど、死にたくない。だって、まだやれることやり尽くしてないもん。情けなさも恥ずかしさも全部受け止めて、やれることしてから死ぬ。ワタナベさん、本当に、本当にごめんなさい。ワタナベさんが自己紹介した時、あの時に心から笑っちゃって、死ぬ気がすごく削がれたの。本当に身勝手でごめんなさい。何もかも台無しにしちゃって、本当にごめんなさい」

「……救世主は、窓を割って入ってこなかったけど、窓を開けて瓶を割ったよ。スギハラさん、人生は映画やドラマじゃないってさっき言ったけど、あなたが立ち上がって窓の目張りを剥がした時点で、じゅうぶん都合よく物事が運んでいるよ。何だよこれ、何だよこの展開。……フゥー。あの、ちょっとごめん、訳わかんないから、深呼吸させて」

 

(スー フー スー フー スゥーーー フゥーーー)

(スー フー スー フー スゥーーー フゥーーー)

(スー フー スー フー スゥーーー フゥーーー)

 

「ありがとう。少し落ち着いた。あのー、あのさ、おんぶするの、俺でもいいかな? 今すぐできることって、とりあえずおんぶでしょ?」

「ワタナベさん……」

「あんまし長くできないかもしれないけど、とにかくやってみるよ。リズムの速度は、おぶった時に教えて」

 「うん」

「それとさ、おんぶ終わったら、シロノ——何とかだっけ? まぁその、あまパン食べに行こう。あ、でも、あの、ボウリングはさ、半額日だけど今日はやめとこう。どうせだったら、やっぱり大磯に行きたいんだ。あのさ、色々と整理しなくちゃいけないことがあるから、いつになるかは分からないけど、もし迷惑じゃなければ、大磯、一緒に来てくれないかな? スギハラさんさえよければ、その時も、あまパンをご馳走するから」

 

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サラバ、私が見てきた世界よ

家の近くにあったレンタルビデオ店は、「TSUTAYA」ではなく、「すみや」だった。

店の内装や雰囲気は駅前にあったTSUTAYAの方が洒落ていたが、私はアットホームなすみやが好きだった。

閉店間際に行って映画を3本借り、すぐ横にあったセブンイレブンでチェリオのライフガードと午後の紅茶レモンティー、牛カルビ弁当とおにぎり2つを購入し、国道沿いの自動販売機でタバコを3箱買って帰宅するのが私の定番だった。

映画はもちろんのこと、CDの購入も殆どせずにレンタルばかりを行なっていた私にとって、すみやは巨大なジュークボックスであり、映画館でもあった。

当時の私は、年がら年中行動を共にしていた集まりの影響で「売れ線=悪」という歪んだ思想に侵されており、すみやジュークボックスのプレイリストでは満足できなくなっていた。

クリックひとつで何でも買える社会が訪れる前の旧世界、箱型Windowsを未来のツールだと認識していた私は、自分の望みを叶えるため、重い腰をあげて電車に乗った。

古着のセーターにLevi's 501、には手が届かなかったのでLeeのジーンズを合わせ、街に出る時だけ箱から出したエアマックスを履いて向かったのは、タワーレコードやディスクユニオン。背伸びのしすぎで足は疲れたが、欲しくて堪らなかったCDを手にした充実感と共に下り電車に揺られるのが好きだった。

アキレス腱を伸ばして背伸びをするのは服を買いに行く時も同じで、お決まりの自己ベストに身を包んで下北沢の駅におりていた。

 

何てことはない、ひと昔前の風景。

インターネットは存在していたが気軽に声をかける間柄ではなく、情報の殆どをテレビや雑誌から得ていた。いつでも知りたい時に知りたい情報が手に入るわけではないため、その正確さは曖昧で、店の営業時間や在庫情報などは出たとこ勝負、せっかく足を伸ばしたのに目当ての商品が置いていないなどということもよくあった。

でも、今は違う。

上に述べた店や在庫の情報はもちろん、何なら実際に足を運ばなくても、クリックひとつで望みの商品を自宅まで届けてくれる。しかも新品だけではなく、お財布に優しい中古品までその状態の詳しい説明付きで販売してくれるのだ。これでもうお手頃価格の小説や漫画を求めてブックオフ巡礼する必要も、趣味の本を探しに有隣堂を歩き回る必要も、その有隣堂にも置いていない雑誌を求めてヴィレッジヴァンガードの門を叩く必要もなくなった。私たちが手にする情報はとても正確で、間違いはほぼない。だから、買い物に関しての失敗は少なくなった。家の中でポチッとすればよいので、着飾る必要もなく、パジャマの裾を靴下にインしたスタイルでそれっぽい服を購入できるようになったのだ。私たちが享受する便利さに反比例して、煩わしさや失敗、背伸びや恥はどんどん減っていった。

あの頃から見れば、今の状況は未来そのものだ。小さい頃におさがりでもらった本に描いてあったようなピタピタの宇宙服や空飛ぶ車を目にすることはないが、確実に私は今、未来世界を生きている。

そう、生きている、未来を生きている、そう思っていた。これが未来なのだ、私はそう思っていたが、何だか違うみたいだ。

2020年、COVID-19がどこからともなく現れた。このウイルスは凄い勢いで世界中に広まり、ここ数ヶ月で私の見ていた景色を飲み込んで変えてしまった。

3月16日、カナダ政府の声明に合わせるように、私の勤めている会社は一部を除き完全冬眠に入った。あれから約1ヶ月。まだ稼働している部署に移った私は、異世界のようになった街に通い、消毒液の匂いに囲まれてる。

PC、電話、椅子、机、ペン、ドアノブなど、ありとあらゆる箇所をサニタイズし、ボォーッとしながら会社のインスタグラムを眺めていると、街の地ビール会社がドローンを使って注文客の家のバックヤードに商品を届けている映像が流れてきた。きっとプロモーションの一環なのだと思うが、その光景は、私の知っている未来ではなかった。

いつか来るであろうが、今すぐには来ないであろうと考えていた近未来の風景。私が認識していた未来は、その映像を見た時点で、もう未来ではなくなってしまった。

この混乱の後に、きっと世界は変わる。

不衛生で危ないものだと認識されてしまった紙幣やコインも、今後登場回数を減らすだろうし(現時点で多くの店舗が受け取りを拒否している)、食品を含めた日用品のデリバリーも、その数を飛躍的に増やすのだろう。人が運ぶ必要のないものは機械が運び、レジや受付、一般的な銀行業務なども今以上に人を配置する必要がなくなる。

ワークスタイルだってそうだ。これを機にテレワークが伸びるだろうから、出勤という概念そのものが変わっていくのだろう。

 

カセット、CD、CD-R、MD、そしてMP3。

すみや、ディスクユニオン、タワーレコード、そしてiTunes Store。

再生プレーヤーと店を変えながら、アナログとデジタルを泳いできた。

インターネットの魔法が使えるようになるまで、紙をめくり、チャンネルを変え、曖昧な情報を抱えたまま電車に揺られて歩き回り、目当ての本や音楽や服を購入してきた。

そのどれもが遠回りで面倒だったけれど、目当てのものを得られた時は心の底から嬉しかった。

 

正直、現時点でも充分過ぎるほど未来なのだが、世界はそのままでいる気はないらしい。

ニケツで自電車を漕いだ安藤政信と金子賢よろしく、旧世界という名の校庭をグルグル回っていたかったけど、どうやらそうもいかないみたいだ。

だから、先に別れを言っておく。

サラバ、私が見てきた世界よ。

前情報なしで入ったラーメン屋、クソまずかったな。

今はレビューが見れるけど、そんなもん無視してまたフラッと入ろうな。

またすぐ思い出すから、それまで元気でな。

 

***

 

【お知らせ】

4月13日の月曜日まで、Amazon Kindleストアで販売している電子書籍「メープル通りの白樺荘」が無料でダウンロードできます。

よろしければ読んでみてください。

以下がリンクになります:

amazon.co.jp/dp/B084LD72GV

 

 

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