アチラとコチラ (2つ目)

 

2つ目

 

駅前の公衆トイレ

風が強い静かな夜

階段で見た腕時計

 

記憶に強く残っている場面がある。

それは匂いや音を伴い、時間が経っても薄れることなく頭の中に存在し続ける。

私が経験した2つ目の人生の岐路は、そういったいくつかの場面の先に用意されていた。

 

1つ目の岐路を通して拾われたグループに参加するようになっても、学校では変わらず呼び出しを受けていたが、そのことに対する自分の心持ちは変化した。何というか、外側と内側を分けて考えられるようになったのだ。

ヤラレている私だけが、私じゃない。そう思えるようになれたのは、避難所という居場所を確保したことにより、どうしようもない愚か者という役柄以外でいられる時間が増えたのが大きかった。

四六時中仲間に会い、何事もなかったかのように服や音楽の話をしていると、自分が新しく生まれ変わったような気持ちになれた。

 

笑顔を見せる度に、蘇る自尊心。

仲間たちとの楽しい時間が増えれば増えるほど、自分の殆どを形作る情けなさを消し去りたいと願うようになっていった。

 

岐路

 

集まりのメンバーたちに合わせて、流行りのスニーカーや皆が好きだったCD、PHSなどを欲するようになり、それらを購入する金が必要になった。

仲間たちと出会い、学校での体面をあまり気にしなくなっていた私は、当時やっていた新聞配達の配達部数を増やすことにした。勤務時間は夜中から朝方になるので、今まで通り登校することは不可能になったが、そんなことはどうでもよかった。

説明を受けた金額を稼げれば、通常通り週3日の上納を入れても、メンバーたちと同じような服を着て、彼らと変わらない生活ができる計算だった。

 

大幅に増えた配達先のひとつに、どうしても許せない奴の自宅があると知ったのは、順路帳に沿ってルートを確認している時だった。奴の家の近くまでは、荷物や現金の手渡しなどで何度も訪れていたので見間違うわけがなかった。

憎くて仕方がなかった奴の自宅に新聞を配る。それはまるで、悪い冗談のようだった。

深夜、新聞を手にして、奴が寝ているであろう家を見据える。きっと奴の人生には、眠れない夜などないのだろう、そう考えると収まらない怒りが心を占めた。

奴の家へ配達をする度に積み上がっていく憤り。繰り返された暴力と人格否定によって壊されたはずの復讐心を強く認識した私は、そいつの家へ新聞を配った後に向かいのアパートの階段をのぼり、奴の家を見つめるようになった。

 

物事の全ては、紙一重なのだと思う。

人生を変えてしまうトリガーは至る所に撒かれていて、誰かに引かれる瞬間を待っている。 暗い穴への誘導は巧妙で、気付いた時には動けなくなっているのだ。

 

何故そんなことが起きたのか分からないが、奴の家の前に張り付くようになってから少しして、顔見知り程度だった人物からナイフをもらった。もらったというか、目の前でカバンを開けられて、その中にナイフを押し込まれた。

どう頭を働かせても、どうしてその人物が私にそんなことをしたのか今でも理解できない。その時の私の状況を彼が知っていたとは思えないし、そもそも彼とは話をするような間柄でもなかった。もしかしたら、彼は彼で何かトラブルを抱えていて、そのナイフを処分したかったのかもしれない。それに誰かが彼に入れ知恵でもして、何をしても問題なさそうだという理由で私を選んだのかもしれない。ただ、仮にそうだとしても、やはり納得できない。単純にナイフを処分したいのであれば、わざわざ私なんかに預けなくても、どこかの山や川に捨てればいいだけの話だ。

どの角度から考えても彼が取った行動は不自然だったが、当時の私は、渡されたナイフを捨てずに、持ち続けることを選んだ。

 

そのナイフは、私にとってのトリガーだった。

煮え切らない私の背中を押すきっかけ。ストレートに「やれ」と言われている気がした。

その出来事を機に、配達時に携帯していた百円ライターをオイルライターへ変え、小型のオイル缶を携帯するようになり、作業用のカッターナイフを、渡された折りたたみ式ナイフに変えた。

 

オイルライター、オイル缶、火を広げるための新聞紙、そして、上着のポケットに入れたナイフ。

 

私の願望を叶えるための道具が揃い、私はトリガーに指をかけた。 

 

新聞紙の束にオイルをかけて火をつける。燃え上がった炎が全てを焼き尽くしてくれたら文句無し。例えボヤになっても、奴を燻り出せればそれでいい。私はヘルメットを深くかぶった新聞配達員。夜の景色に溶け込み、野次馬としてその場所にいても何の違和感もない。もちろん、外に出てきた奴の背後に立っていたっておかしくはない。

ポケットに忍ばせたナイフを右手で握る。呼吸を整え、煙が出ている家を見ている彼に近づき、真後ろから首を目掛けて刺す。

頭でイメージした一連の動作を繰り返し再生する。映像が定まった後は、駅前の公衆トイレの個室で動きを確認し、流れを体に叩き込んだ。

狭い空間にこもった独特の臭いとカビだらけのタイル。蜘蛛の巣に絡まった蛾の死骸が強く残って今も消えない。

 

その日は、風が強い日だった。

いつもは遅くまで電気がついている近くの家も真っ暗だった。

条件は全て揃っている。後は気持ちを決めるだけ。それは分かっているのになかなか覚悟が決まらず、向かいのアパートの2階から長い時間奴の家を見つめていた。

今まで受けた仕打ちを頭でなぞり、定まらない気持ちを固めていく。

午前2時40分、午前2時45分。腕時計を凝視して自分との約束をする。

2時50分になったら、何が何でもやろう。

そう決心した。

 

約束の午前2時50分。

心を決めた私は、駆け足でアパートの階段をくだり1階におりた。その瞬間、階段の真裏にある部屋のドアが開き、若い女の人が出てきた。

私の様子がおかしかったのか、もしくは、こんな時間に人がいるとは予想していなかったのか、その女の人は私を見て小さな悲鳴をあげた。彼女の声を聞いて、部屋の中から男の人が出てくる。彼は一旦私に対峙してから、アパートの前にとめていたスーパーカブに顔を向け、軽く頭をさげた。

「新聞配達の人だよ」

男の人がそう言ったのを聞いて、私は急いでバイクに戻り、エンジンをかけて走り出した。

今まで何度も、同じ時間帯にこのアパートに来ていたが、人と遭遇したことなど一度もなかった。丑三つ時の住宅街、計画を立てた時点で人に出くわす可能性など考えておらず、ましてやあんなタイミングで誰かと鉢合わせするなど想像もしていなかった。

 

顔を見られたことが、とにかく怖かった。

偶然会ったカップルに、こちらの魂胆など分かるはずがないのだが、内側にある殺意を見透かされた気がして頭が真っ白になった。

決めた覚悟を失った私は、自ら抱え込んだ悪意が恐ろしくなり、逃げるようにしてコンビニへ向かった。

 

それから、私が行動を起こすことはなかった。

我に返ってからのうろたえを目の当たりにした後では、憎悪を持つことさえ身分不相応に思えた。

己の行動で状況を打破できないと痛感した私は、決して頼りたくはなかった方向からの助けで救われるまで、従順なカモとして金と自尊心を奴らに提供し続けた。

 

物事の全ては、紙一重なのだと思う。

あの日、あのタイミングでアパートのドアが開くまで、私は私ではなくなっていた。

午前2時40分、45分、50分。時間が過ぎるごとに、それまでの焦りが取れて気持ちが落ち着いた。感情が暗い落とし穴にはまっているようで、身動きは取れないが何故か心地よかった。

もしも、あのまま邪魔が入らずに奴の家へ行けたなら、火をつけたのだろうか。

もしも、あのまま正気に戻らず、怨恨に体を動かされたままだったら、ナイフで刺したのだろうか。

あれからずっとそのことを考えているが、答えは出ない。

 

あの夜の「もしも」の先は分からないが、あの時、「たまたま」アパートのドアが開いたことで、私の世界は2つに分かれた。

 

私が生きている世界。

私が生きている別の世界。

 

私は今、私が生きている世界を生きている。

 

(続く)

 

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アチラとコチラ (1つ目)

並行世界、パラレルワールド。

呼び名は何だっていい。滑稽な話に聞こえるかもしれないが、私はそういった世界の存在を信じている。

私が生きている世界、私が生きている別の世界、そして私が死んだ世界。

宗教的な話や非科学的な話をしたいのではない。ただ、そう考えるようになったきっかけが、今まで生きてきた中で3つあった。

 

不思議な出来事、そこで別れた世界。

 

1つ目

 

あの頃、全てが真っ暗でどうしようもなかった。

増えていく上納に、終わらない暴力。どれだけ働いても高校生のバイトでは限界があり、家の金にも手をつけはじめていた。学校、家や街、どこにも居場所はなく、呼び出されることばかり気にして毎日を過ごしていた。

何度も心を折られた。でも、私も人を傷つけた。

手に入れた弱さを使って、たくさんの人に迷惑をかけた。だが当時の私は、そのことに罪悪感を抱いていなかった。

(これだけのことをされてるんだ。弱さを売って何が悪い)

そう、考えていた。

周りも自分も、何もかもが嫌で堪らなかった。恐怖と不安で睡眠を取るのが困難になっていたある日、私は授業中に吐血した。

もう、心も体も限界だった。

 

何もかも投げ出して逃げればよかったのだと、今は思う。

でも、当時はそんな考えにならなかった。

家の場所を知られている以上、逃げてもいずれ捕まる。捕らえられたが最後、倍の仕打ちが待っているのは想像に容易かった。それに、あの時私は「世間体」というものを強く意識していた。

クソみたいな仕打ちを受けている自分が恥ずかしくて惨めで、その事実をどうにか誤魔化そうと必死になっていた。だから、不登校などもってのほかだった。

 

顔に目立つ傷を付けられた時、私は担任の先生に呼ばれた。目の下に目立つくまがあったので、今までも何度か呼び出しを受け、その都度適当な言い訳をしていたのだが、この件については追及が激しく、誤魔化すことは不可能だった。

全てを公にした後の復讐を恐れた私は、実行グループの名を告げる代わりに、家族を売った。

 

その日の帰り道、私は私を終わらせようと決めた。

 

原付バイクで向かった近所の山。

脱いだジャージを木に括り付けて見渡す緑。

下着姿で輪っかを抱え、何も出来ずに泣いている自分がそこにいた。

 

階段をのぼれなかった日を境に、私は何者でもなくなった。抗うことも、隠し通すことも、自ら終わらすことも叶わず、ただ目の前のものに頭を下げ、何も変わらない毎日を受け入れるだけの者になった。

 

岐路

 

あの日、学校帰りに乗った小田急線の車内で幼馴染と行き合った。

その日、私は「たまたま」いつも乗る最後尾に近い車両ではなく、前の方の車両に乗り込んだ。

あの時どうしてそんな行動を取ったのかは分からない。他よりも乗客が少なく、安全地帯だと知ってて決まった車両を選んでいた当時の状況を考えると、なぜ自分がそんなことをしたのか見当がつかないが、私は「たまたま」車両を変えたことで、疎遠になっていた彼と鉢合わせした。

入院している友達の見舞いに行く途中だった幼馴染は、私の目のくまの理由を質問した後に、一緒に病院に来ないかと提案してくれた。

彼の誘いを受けて訪ねた病室、足にギプスを付けてベッドに横たわっていた男はこちらを見て、「そっちが入院した方がいいよ」と言った。

 

「たまたま」変えた車両に、「たまたま」疎遠だった幼馴染が乗っており、その時期に「たまたま」大きな怪我を負った幼馴染の友人がいた。入院していた彼は、幼馴染が遊んでいたグループのリーダー格であり、私はその時の出会いをきっかけにして彼らの集まりに拾われた。

そして、そこが私の避難所になり、居場所になった。

 

今でも、あの時の感情を思い出す。

自力で事を成し遂げられなかった私の次の候補地は、国道246だった。

自ら終わらせないのであれば、他力で。

とにかく、何でもいいからどうにかしてどうにかしなければ。

そんな焦りに似た気持ちが、ずっと心にあった。

 

幼馴染をきっかけにして拾われたグループに入っていなければ、今の私は確実にいない。彼らと出会ったことにより、私は常に誰かと行動を共にして生活するようになった。

あの時、「たまたま」車両を変えたことにより、私の世界は2つに分かれた。

 

私が生きている世界。

私が死んだ世界。

 

私は今、私が生きている世界を生きている。

 

私は無宗教であるが、神様はいると考えている。

便宜上「神様」という言葉を使ったが「並行世界」と同じように、呼び名は何だっていいと思っている。

目に見えない大きな存在。

元々、懐疑的な性格なのでそういったものに対して疑いの目を向けていたが、2つ目、そして3つ目の岐路を通して、名前を知らない「何か」の存在を信じざるを得なくなっていった。

 

〈続く〉

 

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Aの中で、Bを見る

 

制限があっても、与えられた中で花を見つける。

 

まだ大洋ホエールズが生きていた頃、私はコントローラーが絶対に回ってこない「ファミコン応援係」という役を与えられていた。

 

仲間に入れてもらえるアイテム、ファンタオレンジを献上して、所定の位置に座る毎日。
表向きはプレイヤーに声援を送っていたが、頭の中ではブラウン管から流れるゲーム音楽を使って遊んでいた。

 

当時のお気に入りは、ネズミ警官がトランポリンを使ってはしゃぐ「マッピー」。

AメロとBメロの頭に「ミスするなら 金返せよ」と、夢のない歌詞をつけ、それをループさせて声を出さずに歌った。
曲が転調してから「トゥントゥントゥン」と続くメロディラインが気持ちよかった。

 

そんな脳内歌謡ショーは、曲のテンポがあがると一旦終わり、ツインビーへと移行するのが常であった。

 

その行為が、あの時、私が見つけた花。
薄暗い中で咲く、一輪の赤い花だった。

 

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***

 

 

喜怒哀楽。
四つ柱のバランスの大切さを強く感じる、今日この頃です。

 

こちらではお久しぶりですが、青いハトの世界では、詩、散文などを毎日書いております。
よろしければ覗いてみてください。

 

 

こんにちは

So this is Xmas

And what have you done

 

何をしたのかと問われれば、「生きてきた」と答えよう。

 

五匹の猫がヒーターの通気孔を塞いでいる午前三時半。

丑三つ時の四角い部屋には、離婚記念で空を飛んできた義理の母が寝息を立てている。

約一ヶ月の滞在。

長い長い拘束生活から解放されたのだ、是非ともピザやポテト、ハンバーガーなどを頬張ってゆっくりしていって欲しいと思う。

 

 

ドアが開き、内へ潜って区切りをつけて、しばらくその場を回った後に、障子を破って部屋を出る。

今年は、そんな一年だった。

 

新宿から乗って、物思いにふけていたら、もう相模大野。

今年は、そんな速さで過ぎていった。

例年通り、二、三ヶ月ちょろまかされている感覚だ。

 

歳を重ねて、「変化」という言葉が好きになった。

変わることは失うことではない、今は無理せずにそう思える。

 

ここ最近、私はたくさんの「こんにちは」をした。

見える範囲を広げたいと望み、今まで通りの線を跨いで、多くの人たちの言葉に触れた。

それはとても興味深く、とても刺激的だった。

 

何と言うか、それはまるで、21世紀型交換ノート。

レンズが変われば、ビジョンも変わる。

上下左右、どこでも広がっていくんだ。

 

有り難い景色に、感謝。

 

***

 

ケーキもチキンもないけれど、お知らせがあります。

 

本日、25日(火)から29日(土)の午後4時まで、Amazon Kindleストアで販売している電子書籍「歩けばいい」の無料ダウンロードキャンペーンを行います。

(2018年度 Amazon × よしもと「原作開発プロジェクト」優秀賞受賞作品)

 

たくさんの気持ちを込めました。

この機会に是非、読んでみてください。
よろしくお願い致します。

 

以下がダウンロードリンクです。


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残った欠片との別れ 

雪が降った木曜の朝8時、ブラックももひきをはいた私は、リクライニングチェアーに腰掛けて、口を大きく開いていた。

 

目の前にはマスクをしたインド系歯科医。

彼のタレ目に見守られ、これでもかとリピートされるクリスマスソングに包まれながら、残り1本になっていた私の前歯は勢いよく引き抜かれた。

 

たくさん打たれた麻酔のせいで痛みはなかったが、歯がなくなった後、何とも言い表せない寂しさを感じた。

 

診察が終わってトイレに寄った私は、口をニカッとあけて鏡を見た。

何だかなぁ、という気持ちが心を覆う。

こんな羽目になった原因は分かっている。しかし、その時の私は、30代で全ての前歯とさよならすることになるとは思ってもいなかった。

 

私の前歯は、入れ歯だ。

抜き差しするタイプや、両脇の歯で支えるブリッジタイプではなく(支える歯が欠けているため、不可能)、口内の形状に合わせて、上の歯茎にカパッとはめる形をとっている。

 

カナダ(オンタリオ州)の医療費は基本無料だが、歯に関してはその制度が適応されない。

そのため多くの会社では、国がカバーしないビジョンケアやデンタルケアなどが含まれているベネフィットを従業員に提供しているのだが、取得するのに色々な制約があり、勤めていれば誰でも支給されるというものになっていない。

ベネフィットを利用せずに個人で歯の治療を進めようとすると、この国ではとんでもなくお金がかかるのだ。

 

こちらに移住して初めて入れ歯を作った時、私は何のベネフィットも持っていなかった。

もちろん働いていたのだが、当時勤めていた会社に人権などという言葉は存在せず、生きていくのに必死で声を上げる術も知らなかった私は、外国人労働者のど真ん中をいく扱いを甘んじて受けていた。

 

なので、診察後に告げられた金額を聞いた時は、悪寒がした。

 (全額負担治療、マジでおっかない)

 私は、そんなおっかない思いをして作った入れ歯を、いちど失くしたことがある。

 

食事を取る際、私は入れ歯を外す。

カパッとはめた入れ歯の隙間に、食べかすが入り込む感覚が嫌だからだ。

 

「外したら、失くさないように専用のケースに入れてくださいね」

 

真っ白な歯をした受付スタッフに渡された、アマガエル色をしたケースが何だか好きになれず、雪のように白い歯をしたお姉さんの言い付けを守らずに、その辺にある紙ナプキンに外した入れ歯を包む癖がついていた。

 

頭ではダメだと分かっていても、なあなあでことを済ます。

外した歯をケースに入れるという、ほんのひと手間を嫌がった無精な私に、天罰が下った。

 

それは、ショッピングモールのフードコートで軽食をした際の出来事だった。

いつものように紙ナプキンに入れ歯をくるんだ私は、それを、食べていたサブウェイの袋の横に置いた。

通常ならポケットにしまうのに、何故に何故だか、その日は無造作に「ポイっとな」してしまったのだ。

何も考えず、トレーの上にあるものを全てゴミ箱に投げ捨て、車に戻ってから青ざめた顔でポケットをまさぐった私を、凍った目で見つめ続けた妻の顔が今でも忘れられない。

今思い出しただけでも、寒気がする。

 

私はサブウェイの袋と一緒に入れ歯を捨ててから、カレッジを挟んで、2回転職をした。

色々と思うところもある現職だが、今回の新しい入れ歯も含め、オファーしてくれているベネフィットで治療費をカバー出来ることは、素直にありがたいと思う。

今でも支払っている学生ローンの価値を感じる瞬間だ。

 

 

雪が降った木曜日、残った前歯がグラグラした状態でレントゲンを撮った。

出来上がった写真を眺めたインド系歯科医は、優しい目をして「抜きましょう」と言った。

それを聞いた私は、1本残った前歯に対して、申し訳ない気持ちになった。

 

痛い思いばっかりさせてきた。

喧嘩で殴り合い、などといった武勇伝ならば、この歯も少しは報われたのだろうか。

そんな派手な話もなく、立ち向かうことも出来ずに、ただただ、痛く辛い思いばかりをさせてきた。

 

キャッチャーミットでもないのに、投げられた硬球を受け止めた顔面と歯。

「顔面ストラックアウト!」と騒ぐ声が耳に残っている。

 

タレ目の歯科医が手に持つツールに力を込めた時、あんなにボロボロだった前歯は、ミキィィと音を立てて踏ん張った。

 

 

もう、いいよ。

 

ご苦労様。

 

長い間、痛い思いをさせてごめんなさい。

 

もう、踏ん張らなくていいよ。

 

ありがとうございました。

 

 

上唇の裏全体に麻酔の感覚が残ったまま、家の駐車場に車をとめた私は、運転席のドアを開けずにその場に留まった。

 

クソッタレ。

 

言葉に言い表せない寂しさを、クソッタレが飲み込んでいく。

 

クソッタレ。

クソッタレが。

クソッタレどもが。

 

予想していなかった怒りが、とめどなく湧き上がる。

 

心が乱れて収まりがつかなくなった私は、シートを倒して浮かぶひとつひとつの場面に悪態をつき、クソッタレを浴びせた。

 

見える景色が雪白で覆われたその日は、静まった車内でクソッタレに溺れた。

 

 

私は、こちら側で声を上げる。

溢れ出た声を、書く。

書き残す。

 

クソッタレの渦中にいる人

クソッタレを引きずって生きている人

クソッタレを終わらせようとしている人

クソッタレのせいで自らを絶とうとした人

そのままいってしまった人

 

そういった感情の横で、私は声をあげる。

その人自身になって書けはしないけど、私は、私が受けてきたクソッタレを背負って、思いを書く。

 

 

区切りはつけた。

20年続いた感情のクソッタレは、10月の終わりに応募した作品に全てぶつけた。

 

でも、 区切りをつけたって横にいる。

怒りと憎しみだけじゃ終わらせない。

 

クソッタレだけに取り込まれるのは悔しいから、その先を書く。

その先にあったものを、しっかりと書く。

 

プラスもマイナスも、頂いた感謝と共に全部出す。

そして、強く願う。

 

どんなにこんがらがった中で生きていても、先を見続けている人たちに幸を。

真っ暗に囲まれて、先を見れない人にも幸を。

理不尽なゲームに搾取されている人たちに幸を。

暴力、非暴力に限らず、やられてる人たちに幸を。

戦う人たちにも、戦わない人たちにも幸を。

 

 

最後に。

私は、入れ歯を舌先で外して口の中で動かす癖がある。

カパッとはめたフリッパーを、コロコロと横にスライドさせる動きだ。

カナダの永住権を取った後に、私は政府が援助している移民学校に入学した。

そこは、私のような新規永住権取得者たちよりも、たくさんの国から亡命してきた難民の方たちの割合の方が多い場所だった。

バックグラウンド、文化、言語、置かれている状況など、何もかもが違う人たちが一堂に会するその場所は、何というか独特な空気が漂っており、ある程度期間が経っても、なかなその雰囲気に溶け込むことが出来なかったが、はめていた入れ歯が、その輪に入る突破口を開いてくれた。

 

ある日、いつも通り授業中にコロコロと入れ歯を動かしていたところ、隣に座るソマリアからの移民のお兄さんが私の肩を叩いてきた。

 

「キャンディー、くれよ」

 

キャンディー? 

彼の言っている意味が分からず、しばらくその場で固まっていると、その人は右手で私の口を指差してもう一度、声を出した。

 

「キャンディー、持ってるだろ。キャンディー、くれよ」

 

彼の意図を理解した私は、コロコロムーヴを一旦とめて、舌で入れ歯を外し、チロっと唇の間から義歯を覗かせて言った。

 

「これは、入れ歯です。キャンディーではありません」

 

目を開いて、一瞬キョトンとした彼は、すぐさま手を叩いて大きく笑った。

正確に言葉で表すと、爆笑だった。

笑い転げた彼の様子に引き寄せられて人が集まり、その結果、私は先生を含む、クラスメートの前でコロコロ動かしてチロっと覗かせる入れ歯曲芸を何度もやらされることになった。

とても単純な動きなはずなのに、やる度にウケる。

熟練の鉄板芸の如く、国の枠を飛び越えてドッカンドッカンわきまくる。

笑わせているというよりも、笑われているので、どうもスッキリとしない気分だったが、皆が心底楽しそうにしている様子は、見ていて悪い気分はしなかった。

 

関係性の距離が縮まった、入れ歯芸。

それは、憂鬱の種だった入れ歯の存在意義が少し変わった出来事だった。

 

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好きな人はいますか?

週間予報に見つけた雪マーク。

楓の国は、もう寒い。 

 

コタツが主役の家で育ったせいか、私は寒さに弱い。

なので、出勤時には防寒ジャケットのジップを上まであげ、手袋をしてハンドルを握っている。

こんな調子では、近日中にブラックももひきの姿を拝むことになるだろう。

 

真冬よろしく着込んで歩く私の目の前を、薄着のカナディアンが横切る。

そんな光景を見かけるたびに、己の生物としての弱さを感じる。

気分はまるで、「ウララァー」と叫んだ未熟超人のようだ。

 

何で、寒くないのだろう。

何で、ショーツでスケボー乗ってるんだろう。

 

移住以来ずっとこの疑問と向き合ってきたが、答えが出ないのでその思いをサヨナラボックスに詰め込んだ。

ちなみに、一つ前に入れた疑問は、何でこちらのリスは玄関の前に固いパンを置いていくのだろう、だ。

 

風に揺られて舞い散るメープルリーフ。

赤や黄色がねじれるその様は風流だが、サラサラではなくガヤガヤ落ちてくる様子では、お茶はすすれない。

団子も食えない。

サンマも焼けない。

 

それでも、雪が降って白に覆われる前の芝生に出来るカラフル絨毯は美しい。

事前に決められていない不揃いな配色を眺めるのは楽しい。

 

そんな時、私は強く思う。

しばらく見ていても飽きないこの景色を、是非、好きな人に見せてあげたいと。

 

好きな人。

 

年を重ねるにつれて、好きな人が増えた。

嫁さんに首の後ろを蹴られる前に記しておきたいが、この「好き」に恋愛感情は含まれていない。

 

城郭が好き。

坂道が好き。

プロレスが好き。

油淋鶏が好き。

 

今ここで話している「好き」は、そういった「好き」にカテゴライズされる好きだ。

 

好き好きうるさい文章だな。

 

とにかく、増えた。

好きの先に肉体関係がない好きは、姿勢がフラットになる。

無駄につんのめらないし、深読みしてのけぞる必要もない。

 

そこは垣根フリーで、年齢、性別、職業、性格、趣味、ステータスなどがゴチャゴチャに混ぜられてすり身にされ、カマボコになっている。

 

私には今、好きな人が数多くいる。

そのうちの何人かは、会ったことも言葉を交わしたこともない人たちで、思いは確実に一方通行だ。

それでも、心地よい。

その人たちの発するものに触れると、嬉しくなる。

 

正直、自分がこんな風になるとは夢にも思わなかった。

 

もともと社交的な性格ではなく、交友関係は狭ければ狭いほど、深ければ深いほど素晴らしいものだと信じていた。

増築部屋に拾われた当時は、助けてくれた仲間、そして繋がりのあった二人の人物以外は、みな敵だと思っていた。

本心を見せたら負けだ、騙されて利用される、本気でそう考えていた。

 

だからとにかく輪を固めた。

 

「集まってる間は、全員参加で同じことをするよーに」

 

手始めに、桃鉄。

はい、終わったらコタツに集合。

次、みんな揃って喋りの時間。

 

 

あのドラマの主人公のセリフ、マズイだろー。

あそこなら、一旦、本をしまってから目線を動かすべきだよなー。

いや、あそこで追っかけちゃマズイって。それじゃ101回目と同じ展開に……。

お前の言ってるCMの案は、お縄もんだ。確実に変質者のたぐいだ。

ずっと思ってたんだけど、ヤムチャとクリリンってどんだけお互いを意識してんのかな。

それより、チャオズが星になった時、鶴仙人は何をやってたんだろう。

お前、今、足の裏の皮をこっちに投げたろ? ふざけんなって。あとそれ、コタツの下に溜めんなよ。これはフリじゃねーぞ。あれ、マジで臭くなんから絶対にすんなよ。

この前言った話、本当にやってくれるんだな。もう企画書は書いたぞ。ハンディカムだってちゃんと動く。

柔道着とランドセルは揃った。メイクはどうすんだ? え、またセロテープ? あれ引きつって痛いんだよ。

部屋半分潰せば舞台作れるだろ? いや、みかんのカゴの上にベニヤ引いてダンボール乗せれば、案外なんとかなるんだって。

ちゃんと撮れた? あ、これじゃダメじゃん。ほら、お前写っちゃってるよ。セリフもグダグダだし。もう一回やろう。大丈夫だって、朝マック食べたらやる気出るから。

 

 

楽しかった。

単純に。

 

そこは、神奈川の隅っこにあったネバーランド。

磨りガラスの薄い引き戸を閉めれば、現実世界で起こっていた全てを忘れられた。

365日入り浸ったネバーランド。

 

そこにいれば襲われない。

殴られない

金も取られない。

 

それが私の全てだった。

同化するほど密な関係こそが適切なのだと、頑なに思っていた。

 

 

そんな感じに目を瞑っても、時は流れる。

 

大人になったロストボーイズが、一人、また一人と増築部屋からいなくなっていき、空を飛べない私はネバーランドを失って現実に引き戻されるのが怖くなり、逃げた。

 

逃げ場所を探している時に出会った、肝の据わったティンカーベルに尻を蹴り上げられて向かった先はカナダ。

そこで私はどうにかこうにか居場所を作った。

 

私は無宗教だが、神様はいると思っている。

根拠はない。

でも、自分がこうして今の状況で生きられていることを考えると、そう考えるのが一番しっくりくる。

納得できる。

 

感謝。

 

 

私はこちらに来てからもしばらくはネバーランドの幻想にすがったが、年を取ると共に人間関係について持っていた固定観念は薄れていった。

 

あれだけ凝り固まっていた考えが、魔法が解けるようになくなっていく。

まさに、ミラクル。

やっぱり、加齢バンザイ。

 

好きな人が増えたのは、それからだ。

 

絶対的な安心がなくてもいい。

全部分からなくていい。

ここは好きだけど、ここはどうかなぁー、があってもいい。

気持ちがイコールじゃなくていい。

 

さっきも書いたが、文章でも絵でも写真でも音楽でも声でも思考でも、好きな人が発するものに触れると、嬉しくなる。

ワクワクして温度があがって、引き込まれて刺激を受ける。

濃いめのコーヒーよりも直に効く眠眠打破。

顔を洗わなくても両目パッチリ。

 

ありがたいなー、と思う。

それ以上に楽しいなー、と思う。

 

そう、楽しいのだ。

 

触れると芽生えて、それが広がり、予想外のものを連れてくる。

 

どうも、はじめましてこんにちは。

あら、何と私の頭の中から来られたんですか。

いやはや、こんな思いが隠れていたとはねー。

 

私は、そんな化学反応に幸せを感じる。

 

 

来年の4月に約3週間ほど日本に行く予定がある。

 

帰ったら、私は好きな人に会いにいく。

ちゃんと顔を見て、ありがとうと伝えるんだ。

 

 

……その前に、私は冬を越す。

シャベルでえっこら雪をかく。

脳裏に蘇るのは、あの衝撃。

 

あぶない腰痛リターンズ。

 

この冬は、人力を卒業しなくてはいけない気がする。

 

さようなら、20世紀。

こんにちは、21世紀。

 

 

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ユワシャ

ハロウィンに特別な思い入れはない。

出勤と同時に化けの皮を被っているのであえて仮装する必要はなく、トリックを披露する場も、トリートを配る機会もないので、職場のバスケットに詰め込まれていた甘いチョコ菓子をかじる以外は、いたって普通の水曜日だった。

 

カナダで口にするチョコ菓子は甘い。

とにかく甘い。

甘すぎるチョコ菓子は、もはやチョコ菓子ではなく、黒くて茶色い砂糖だ。

 

ちなみにドーナツも甘い。

正確に言うと、甘ったるい。

こんなにも糖分が高いものを食べていたら明らかに体に毒だと思うのだが、こちらの人はピンピンしている。

目を疑うほどに、ピンピン。

じーさんもばーさんも杖やウォーカー、もしくは自動歩行器にまたがってカフェへ繰り出し、ダブルダブルのヒーコちゃん(砂糖×2、クリーム×2)を飲みながら甘パンを頬張っている。

その光景は、まるで34丁目の奇跡。

彼らの顔は、一様に幸せそうだ。

 

そんな場面を何度も見てきた。

糖質オフの向こう側にある甘パンワールド。

砂糖の海に浸かっても病気にならない。

 

『食べるものよりも、ストレスが体を壊す』

心に引っかかっていた言葉が頭に浮かぶ。

 

不公平だと思うのは、性格がひねくれているせいか。

 

自分で見てきたものしか分からない。

 

12年間、この目で捉えたメープル国の方々の多くは、笑顔だった。

といっても、決して温厚なわけではない。

『ファック! ファック!』の大合唱がストリートから聞こえ、罵り合いや、我を失って暴れている人たちを見かけるのは、ここでは珍しいことではない。

 

ストレスが溜まったら外に吐き出すハッピールーティン。

理想的で、それでいて全く出来る気がしないポジティブアクション。

そんなアティチュードをフォローしないピーポーは、内へ内へと向かって行き、過去を引っ張り出して自己否定を繰り返す。

 

私は今、自分のことを話している。

 

 

10月17日の解禁以降、街では大麻のニオイがきつくなった。

街だけではない。

住宅地からも、お隣さんのバックヤードからもニオってくる。

 

私は吸わないし、吸おうとも思わないが、大麻自体に対して特に悪いイメージもない。

吸いたい人は吸えばいいと思うし、吸っている人に対してもどうやこうやの感情はない。

それでハッピーになれるのなら吸えばいいのだ。

法律違反でもないし。

 

今日話したご婦人は、「街がケイオスに包まれる」と嘆いていたが、他人を蹴飛ばして好き放題やるユワシャ(You は Shock)は、大麻や酒を摂取していなくても、きっと同じことをするのだと思う。

 

渋谷の街を蹂躙した集団のように。

 

 

一人だけだったのが二人、三人、四人と増えて集団になる。

中心人物が煽って取り巻きに火をつける。

一発、二発。

いいのが入ったのをきっかけに興奮して、目つきが変わる。

いっちょ前にステップ踏んで蹴りなんか入れてきて、しまいに誰がどこまでエグいことをやれるかの発表会になる。

それで、男をあげたってさ。

飲み会のネタが出来てよかったね。

少し話を盛って、武勇伝の完成かい?

 

集団がエスカレートしていく様は、嫌悪感しか覚えない。

とてつもなく嫌なもの。

囲まれた時の目が大嫌いだ。

人が人を捨てる瞬間。

あぁ、あんたもか。

あんたもそっちに行ったのか。

 

 

何とも、寝付きが悪くなりそうだ。

 

 

私は仮装しないし、渋谷にも行かない。

でも、仮装する人は仮装して、楽しくやればいいと思う。

ハロウィンの起源など詳しく知らなくても、それを叩こうとは思わない。

そもそも、地元の祭りの起源を何人の人が正確に言えるのだろうか。

夜に提灯が揺れて、舞う浴衣を眺めながらラムネを飲んで焼き鳥食って、あー楽しい。

それでよいのだと思う。

牌の揃っていないドラえもんドンジャラをつかまされたのも、いい思い出だ。

 

でも、楽しいを盾にして好き放題やるのは違うと思う。

 

楽しいを求めて人が集まると、なぜ攻撃性が顔を出すのか?

エスカレートして歯止めが効かなくなるのは、人間の性なのか?

楽しいだけじゃダメなのか?

 

 

答えが出ない問いは、エネルギーを消費する。

手が届かない「桃太郎ランド」を買おうとする熱量と同じ分を使う。

 お値段、200億。

とんでもないな。

 

 

楽しいことをしていきたい。

楽しくないことがあった分、楽しく生きたい。

ニッコリでも、ニタニタでも、ニヤニヤでも構わない楽しいこと。

 

滅茶苦茶したい時は、頭の中でぐわんぐわんするからそれでいい。

攻撃的な感情も、破壊衝動も、頭の中でぐわんぐわんすればいい。

 

 

2018年のハロウィンが終わる。

 

トリックもトリートも、蹂躙もいらないので、いにしえの水曜日午後7時25分辺りのエンディングで、ブルマがくれると約束したものを頂きたいと考えております。

 

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