空ではなかった

「あれは空だ」

 

ずっと長い間 

その言葉を信じてきた

 

当たり前のように植え付けられた常識を

疑った事なんてなかった

 

 

2017年 6月15日

 

遠く見上げた先にあるものは

とてつもなく大きな手のひら

 

青く着飾っているけれど 

あれは空ではない

 

 

頭のおかしな人の裏にいるのは

誰だ

コトを起こして恐れを引き出し

操ろうとしているのは 

誰だ

 

目の前で繰り広げられる寸劇は

私が生まれて見てきたものと変わらない

 

 

思い通りにしたいから

殴る

他校の奴らから守ってやっていると

ゆする

「お前らの為になる」と理不尽なルールを

作る

近いうちに抗争があると

煽る

 

「恐怖」という名の目隠しは

視界と思考を奪い取る

 

 

弱いものを叩くのが人の性ならば

喜んで人間を辞めよう

 

家族の形を定めるのなら

望んでその輪を抜けよう

 

戦争を放棄できないのなら

泣く泣く故郷を捨てよう

 

 

もう

争いはたくさんだ

 

受けた暴力が残したものは

痛みと恨み

 

薄めて口に含むまで

何十年も掛かった記憶

 

ドンパチやって解り合える

そのイメージが浮かばない

 

 

空が見たい

押さえつけてくる手のひらではなく

高く伸びる

空が見たい

 

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届いて欲しいお知らせ(追記しました)

本日から来週の月曜日までの間、Amazon Kindle ストアで販売している自分の電子書籍「五厘クラブ」の無料ダウンロードキャンペーンを行います。

 

この作品は、自分にとって特別なもので、強い思い入れがあります。

幾つかアイデアはあったのですが、一番初めに出すものは、これだと決めていました。

大袈裟ではなく、自分の人生を救ってくれた「五厘クラブ」と名のついたグループの物語。

 

この作品で表現したかった思いは、心を込めて表すことが出来ました。

 

是非、皆様に読んで頂きたいです。

 

以下に作品の内容と、Amazon や、ブログ内で頂いたコメントを紹介したいと思います。

 

作品内容:

「五厘クラブがこの世に存在していた証に、生前葬をする」
リーダーの提案で、クラブ発足二十周年の会合で行われることになった生前葬に参加するため、オレはカナダから日本に戻る飛行機の中にいた。


同じ団地に住む四人組、通称「オリジナルフォー」から始まった五厘クラブ。ファミコン、ひょうきん族、ゴムボール野球で作られていた日常の黄金比が、メンバーの一人であるイシハラの引っ越しをきっかけにして崩れ始める。


フランスパンを自転車の前カゴに突き立て、疾走していったイシハラの母親。
漫画のように、ケイゴの口から吹き出された豚キムチラーメン。
調理室裏でツヨシを囲んだ誉め殺し大名ゲーム。
そして、姉の存在から広がった影。


葬儀で担当することになり作成した五厘クラブの年表を通して、オレはその一つ一つの記憶と向き合うことになる。

 

コメント:

「登場人物のキャラクターがそれぞれはっきりしていて、会話のテンポも良く面白かったです。フランスパンが登場するシーンや、調理室裏の場面、車に刻むメッセージなど思わず吹き出しました。部活の顧問へのお礼参りや、不良グループへ立ち向かう時のリーダー達との結束などストーリー展開の暗い場面でさえ、ただ重苦しいだけでは終わらずに友情の熱さがうまく表現されていたと思います。こんな友達がいたら自分の学生時代も楽しかっただろうなと思いました」

 

 

「物語の流れがテンポが良く進み、幼い頃から大人になるまでのエピソードや心の葛藤が、その年代に応じて上手く表現されていました。
友情がテーマだけど、恋愛や家族でしか理解できない負い目のような感情も描かれていて、とても興味深かったです。
キャラクターの個性も魅力的で、会話や情景描写にユーモアがあって笑えました。
きっと好きになるキャラクターがいます!
10~30代後半の方にお勧めかな。。。」

 

 

「「五厘クラブ」拝読しました。思春期から大人へ成長する過程が力強く、時にユーモラスに書かれていました。 少し前までの背徳(不倫やら、詐欺やら)だらけの小説とは違い、人の内面と社会的問題をテーマにしながらも清々しい読後感でした」

 

 

「ただの青春ものではなく
人とのつながりをとても感じられた作品でした。
自分が関わってきた人を大切にしたいな…と
改めておもいました。
また、違う作品も読んでみたいです」

 

 

このブログで何度か書いているのですが、人に読まれてこそ、作品は呼吸ができると自分は思っております。

この無料期間中にダウンロードをしてもらい、皆様に読んで頂けたら心から嬉しいです。

そして、もしよろしければ、読んでくださった感想を教えて頂けると大変ありがたいです。

 

宜しくお願い致します。

 

Amazon Kindle 「五厘クラブ」リンク:

https://www.amazon.co.jp/dp/B01LB7NQ0G

 

追記:

一部、文字化けしている箇所がありましたので、修正しました。

6月10日、土曜日の朝には修正版のダウンロードが可能になる予定です。

申し訳ございませんでした。

 

* キャンペーンは終了いたしました。期間中にダウンロードして頂いた方々、自分の記事を紹介して下さった方々、ありがとうございました! 

 

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こんな場所が欲しかった

ずっと前から

こんな場所が欲しかった

 

ただ顔を合わせるだけでは

目にする事が出来ない世界

 

挨拶を交わすだけでは

晒してはくれない世界

 

何を思い

何を考え

何を表現するのか

 

頭と心にある世界を

電波に乗せて表に出し合い

生まれた感覚を交差させる

 

ずっと前から

こんな場所が欲しかった

 

自分とは違う言葉を使い

異なる思考で綴られた文章が

スクリーンに溢れる

 

通すレンズが変わるから

写真にうつる空も雲も

全く別のものになる

 

それらをこの目に出来るのは

決して当たり前の事ではなく

感情をくれる至福の時間は

掛け替えのない大切なものだ

 

幾度となくスレ違い

お互いを牽制し

分かり合えずに距離が離れ

時間を掛けてはまた近づき

弱さと引き換えに理解を引き出して

初めて内側に触れられる

 

そんなプロセスを踏まずとも

覗かせてもらえる頭の中

只々 有難くて仕方がない

 

 

ずっと探していた場所

ずっと欲しかった場所

 

 

押入れの布団に挟んだ詩集を

ここでは隠さなくていい

 

溜め続けた小説のプロットも

理由を付けて破かなくていい

 

どうしても忘れたかった記憶も

もう そのままでいい

 

「趣味程度だ」なんて

自分を裏切らないでもいい

人生をかけて楽しんでいるんだ

嘘で誤魔化さなくていい

 

この世に生まれたものに息をさせる

胸を張って呼吸をしてもらう

 

 

もう二度と殺しはしない

 

 

出番を待つ記憶とアイデアを

もっともっと言葉にしたい

 

生きていける場所があるならば

紡いできたストーリーを外に出したい

 

 

衝動に激しくせっつかれ

体はくるっと背を向ける

 

仕事から帰って服を脱いでも

眠くならなければいいのに

 

炭水化物を口にして

ノートとペンを胸に抱き

ソファーに寄りかかる午前二時

 

一瞬閉じたつもりの瞼

ハッとしてこじ開けると

時空は歪んで午前六時

 

ぼんやりと浮かび 漂うイメージ

消え去る前に紙に書き

白いブラインドをゆっくりと開ける

 

静かな歩道を照らす黄色い朝日

しばらく光に見とれていると

「缶詰を開けなさい」と猫が足を踏む

 

ピンと立った二つの尻尾に

「今日は寝ない」と強く誓い

庭の楓に手を合わせる

 

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取っ払う

枠には入れなかった

 

入らなかったのではない

 

入れなかったのだ

 

 

はじき出されて 何を想う

普通を横目に 何を想う

 

 

付いたレッテルはどうでもいい

それが意味をなさない事は 

ここまで生きて身に染みた

 

付けられたレッテルも気にしない

そんなものは

他人にひとときの優越感を与えるだけだ

 

でも 人は忘れていく

どんどん気にせず 忘れていく

 

ならば

すり寄った時間は幻か

抱えた苦悩は無駄死にか

共存しようと付けた飾りは

もはや無用の長物か

 

 

だったら

枠には収まらない

 

収まれないのではない

 

収まらないのだ

 

 

ネクタイは締めなくていい

いつかそれで首を括るのなら

 

傘は差さないでいい

いつかそれで他人を突くのなら

 

男にも女にもならなくていい

その役割に押しつぶされるのなら

 

 

雨に濡れても

そのまま歩こう

 

寒くないのなら

このままずっと歩いていこう

 

大丈夫

もう その枠は要らない

 

無理して中に居なくても

確かに存在していけると

時間を掛けて分かったのだから

 

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茜橋で待ってます《後編》

 

 

「大学おめでとう。おばさんから聞いたよ。何で直接教えてくれなかったの?」

久しぶりに顔を合わせたエミちゃんは、いつもそうしているように小声で俺に話しかけた。

「ごめん。なかなか言うチャンスがなくて。最近バイトも被らなかったし」

 

2月半ばの登校日。

まだ試験が残っている生徒もいるせいか、思っていたよりも空席が多い。

前回のバイト帰りに「ダルい。行きたくない」を連呼していたサキヤマさんは、意外にも、教室の右隅で友達の肩を叩き、口を開けて笑っていた。

 

「ナオト君、何で大学を徳島にしたの? 誰か知り合いでもいるの? それともそこの大学でしかやってない学部があるとか?」俺が座っている席の横に立つエミちゃんは、こちらではなく、前を向いて話を続けた。

「いや、受かった中で奨学金をもらえるのがそこだけだったから」

「でも徳島って、ずいぶん遠くない? ナオト君の成績だったら、この周りでも都内でも絶対あったと思うんだけど」

「そんな事ないよ。ある程度の額で給付だけに絞ったら、結構、条件厳しいところが多かったし。それに、地元じゃなくて新しい場所に行くのもいいかなって思って」

 

突然、自分の体が前に押し出され、床に擦れた机が大きな音を立てた。

 

「おい、葉っぱ。何、一丁前に語ってんだよ」

 

ワカマツの声を確認し、自分が椅子ごと前に蹴られた状況を把握する。

机にうつ伏せになった状態で左目が捉えたのは、エミちゃんの固く閉じられた手。

 

「逃げるだけだろ、葉っぱ。それっぽい言葉並べて偉そうに語ってんけど、ここから逃げるだけだろ? この街にいたら、俺らからバカにされるから逃げるんです、って何でそう正直に言わねーんだよ」

 

クラスの空気が固まっていくのが分かる。

 

見えない視線がどんどん突き刺さる。

 

俺は、この感じが大っ嫌いだ。

 

「結局、親のスネかじって大学行く奴なんかは、こんなもんだよ。言葉だけカッコつけて、腹が据わってねぇの。ダッセぇな」

ワカマツの声が一段と大きくなる。

 

 

「マジで、昨日の修造ヤバかったの! 子供達相手に超気合い入っちゃってさ! 『本気出せよ、本気っ!』って、もうラケットブンブンよ!」

 

 

笑い声がする。

教室の右端から、よく通る笑い声がする。

 

 

俺は上体を起こし、賑やかな音のする方に顔を向けた。

 

目を見開き、右手をラケットに見立ててブンブンと振る、サキヤマさん。

大袈裟に机を叩いて、友達と笑い合うサキヤマさんが、そこにいた。

 

「だから俺みたいに就職して、社会に出て……おい、サキヤマ! うるせぇよ!」

 

「怖っ! 超、睨まれてるんだけど!」

ワカマツに怒鳴られたサキヤマさんは、ゆっくりと首をすくめ、「行こう」と友達の腕を掴んで後ろのドアからクラスを出た。

 

 

チャイムが鳴り、先生が教室に入ってくる。

 

サキヤマさんはその日、ホームルームが始まってもクラスに戻ってこなかった。

 

***

 

(逃げるだけだろ)

 

ペダルを強く漕ぐ度に、冷たい風が頬をはたく。

曇った空は、視覚的に寒さを際立たせる。

 

(逃げるだけだろ)

 

赤信号ばかりに捕まるのは、気のせいだろうか。

真横に止まった車から大音量の音楽が漏れている。

 

(逃げるだけだろ)

 

自分の自転車が、やけにトロく感じるのは何故だろう。

 

(逃げるだけだろ、葉っぱ)

 

……うるさい。

 

うるさい。

 

うるさいっ! 黙れっ!

 

俺の名前はアオバ ナオトだ。

葉っぱなんかじゃない。

 

 

逃げるだけだろ、って、それの何が悪い。

逃げてでも生きたいって思う気持ちの、何がいけない。

 

情けないレッテルが付きまとう街で生きたいバカが何処にいる。

 

卒業して就職するのがそんなに偉いのか?

ウチの状況も知らないくせに、狭い思考で決めつけて。

 

声の大きい奴の意見が通る場所なんかで、生きたくはない。

今の自分がこれからも続くなら、生きていたくはない。

 

なぁ、頼むから俺を放っておいてくれっ!

 

両手で目一杯ブレーキを引き、自転車を道の端に止める。

頭がクラクラして、肩が痛い。

 

砂糖が、必要だ。

甘くて美味しくて、気が鎮まるものを口にしたい。

 

心に浮かぶのは、商店街にあるサエキベーカリーのチョココロネ。

今から急いで行けば、何とかバイトに間に合う。

俺は自転車の頭を180度逆に向け、立ち漕ぎをして風に逆らった。

 

***

 

エミちゃんは、いつも赤いコートを着ている。

白いニット帽を被り、白い手袋をはめている彼女は、まるで遅れて来たサンタクロースだ。

 

「今年は去年より、ずっと寒いね」

 

二人でいる時のエミちゃんは、ちゃんと顔を見て話をしてくれる。

外が寒くても、バイトが混んでも、エミちゃんはいつも笑顔だ。

 

「昨日は、巻き込んじゃってゴメンね」

「昨日? 何の事?」エミちゃんは目にかかっていたニットを上にずらした。

「ホームルーム前のワカマツの事」

「あぁ、いいよ、全然。何でもないよ。でもさ、昔はもうちょっと優しかったんだけどね、ワカマツ君」

「優しかった時期なんてあったっけ?」

「うん、あったよ。ほら、小学生の時とか、いじめられてた子を庇ったりしてたでしょ」

「そうなんだ。全く覚えてないよ」

「それにね、クラスで飼ってた亀とかザリガニの世話を一番してたのも、ワカマツ君」

「今の姿を思うと、信じられないね」

「中学校に上がって悪くなっちゃったけど、それでもその頃は、誰にも手を出してなかったと思うよ」

 

きっとエミちゃんは、小学校時代からワカマツの事が好きだったのだろう。

 

「でも、高校生になって変わっちゃった。暴力を振るうようになっちゃったからね」

エミちゃんは顔を前に向けて、大きく息を吐いた。

 

「ねぇ、人って、どんどん変わっていっちゃうのかな?」前を向いたままのエミちゃんの先に、茜橋が迫る。

「変わるって、性格の事?」

「うん、それもそうなんだけど、外側だけ一緒で、中身が全部そのまま取り替えられちゃったみたいになるって事」

 

「全部かどうかは分からないけど、変わるよ。人は絶対に変わる」

 

「ふふっ。ナオト君が言うと、説得力がないなぁ。ナオト君は、ずっと変わってないからね。あ、悪い意味じゃなくて、良い意味でね。ナオト君は、今も昔も、私が知っているナオト君のままだよ」

「何かそれ、全く成長してないみたいで嫌だな。まぁ、実際、成長してないんだけど。でも、変わると思うよ。絶対に変わっていくって、俺は信じてる。だって、このままじゃ、このままでしか生きれないから」

「そっかぁ、変わるのか。じゃあ、私も変わるのかなぁ。どんどん、変わっていっちゃうのかなぁ」

 

独り言のように声を出したエミちゃんの視線は、左に見えてきた工業地帯に向けられている。

 

「エミちゃん、あの、エミちゃんは、何を思ってあのオレンジのライトを見てるの?」

 

1歩だけ、1歩だけでいいから、今まで跨いだ事のない線を越えてみたい。

 

「え? どんな気持ち? どうしたの、急にそんなこと聞いて」

「いや、深い意味はないんだ。俺もいつも帰る時に見てるんだけど、エミちゃんは何で見てるのかなって思って。あの、ごめん、変なこと聞いて」

「ううん、大丈夫。あ、違うの。今、少し笑ったのは、前にサキヤマさんと一緒に帰った時に同じような質問をされたから、不思議だなぁって思って」

「サキヤマさんが?」

「うん。あ、ごめん、私が見ている理由だよね。別に大した意味はないんだけど、ただ、頑張っているなぁって思いながら見てるの」

「頑張っている? え? オレンジのライトが?」

「あそこさ、いつも凄く綺麗に輝いてるでしょ? あれってさ、人に置き換えたら本当に大変な事だと思うんだ。いつも輝いている人って、綺麗で優雅で憧れるけど、あの人達って何かを捨てて光っているように思えるの。何ていうか、命を削って輝いているって言うか。私は絶対に出来ないし、想像しただけでも息が詰まりそうになる。だから、あの光を見ると、勝手にそういった人達を思い浮かべて、頑張ってるなぁ、大変だなぁ、凄いなぁって思ってるの。これで、質問の答えになってるかな?」

「うん、十分なってる。物凄くエミちゃんらしい答えだなって思って、妙に納得した。ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」エミちゃんはそう言って、優しく微笑んだ。

 

「トリマーの専門は都内だよね? 一人暮らしするの?」

エミちゃんの家の近くになり、俺は意識的に歩みを遅めた。

「ううん。何とか通える距離だし、お金もかかるから家から通う。ナオト君は、もちろん一人暮らしだよね? 徳島、通えないもんね」エミちゃんは口を押さえて笑った。

「通えない、通えない。もちろん、一人暮らし」

「そっか。……ねぇ、初めてだね、私達が離れるの。家も近所で、小、中、高って、ずっと一緒だったもんね。何か、何か寂しいね。付き合ってもいないのに、何とも言えない変な感じ」

 

静かな冬の夜。風がない分、あまり寒さを感じない。

 

俺達はとてもゆっくりと歩き、俺の家の前を通り過ぎて、3軒先にあるエミちゃんの家の玄関に辿り着いた。

 

一時停止を押したような沈黙。

上手く「またね」が切り出せない。

 

「エミちゃん、あのさ」

「はい」

「あの、いや、おばさんによろしく」

「あ、うん。こちらからも、よろしく言っておいてね」

「分かった。じゃあ、また、だね」

「うん。送ってくれてありがとう。それじゃあ、またね」

「じゃあ、また」

 

夜に映える赤と白。

真顔のエミちゃんは、家には入らずに、こちらを向いた。

 

「ねぇ、ナオト君、出発前に、また会えるよね?」

「え? あぁ、うん。行くのはまだ先だから、またバイトが被ると思う」

「そうだよね、うん、ありがとう。何か安心した。じゃあ、おやすみ」

「あのー、うん、おやすみなさい」

 

笑顔で手を振ったサンタクロースは、茶色いドアの中へ消えた。

 

(あの、エミちゃん、7と共にいた数字って、何だと思う?)

 

聞けない。

そんなことは、聞けない。

 

ゆっくりと時間をかけて3軒先に戻り、来た道を振り返る。通りは静かで風はなく、寒さを感じない夜だった。

 

***

 

「数字の歴史」「秘密のナンバー」「魔法の数字学」「数字にみる、配列の法則」

 

手当たり次第に借りてきた本の返却日が迫る。

 

神が天地を創造した後に休んだのが7日目。

7は完了を表す終わりの数字。

地球のサイクルは7で回る。

7は故人が三途の川に到着する日。

真実を見つめる数字、7。

 

今朝9時過ぎに起きて、真っ先に確認したポストに入っていたコピー用紙。

今週も、水曜日がやってきた。

 

机に座り、書かれたメッセージを凝視する。

 

茜橋で待ってます

今夜、7と共にいた数字の時に

茜橋で待ってます

 

7は聖なる数字。いや、違う。7そのもの意味が知りたいんじゃない。7と共にいたとされる数字が知りたいんだ。俺の調べ方が悪いのか、今の所、ヒントすら見つけられていない。

 

7、7、7。

 

数字に囚われるからいけないのか?

飛躍しすぎかもしれないが、「今夜、7と共にいた数字の時に」という部分が暗号になっていて、それを読み解けば、求める答えは出るのかもしれない。

 

例えば、アナグラムと考えるのはどうだ。

 

コンヤ ナナトトモニイタ スウジノトキニ

 

→ コンナニモ ヤイタ ナスト ウニト キジトノ

 

→ こんなにも 焼いた 茄子と ウニと 雉との

 

 

「こんなにも焼いた茄子とウニと雉との」……雉との……何なんだ? 

文が途中で終わってしまっている。

 

雉との……雉との、ハーモニー。

 

続く言葉が、「ハーモニー」しか思い浮かばない。いや、言葉を勝手に付け足してしまったら、アナグラムの意味は成立しない。

不完全なままのメッセージでも、手を加えてはいけないんだ。

 

そうなると、つまり、水曜の夜に、こんがりと焼きすぎるほど焼いた、茄子とウニと雉を用意して茜橋に向かえば、何かが起こるという事か……。

 

何かが、起こる……はずがない。

 

ちょっと待った。俺は、何を考えているんだ。

そんなものを揃えて、茜橋に行って、何をする気なんだ? 黒魔術の生贄か?

俺は、あの世から何かを召喚するつもりなのか?

 

ダメだ、考えすぎて、思考が訳の分からない方向へ突き進んでしまっている。

これ以上、続けても時間の無駄だ。

 

基本に立ち返ろう。

7と共にいた数字の存在を見つけ出せばいいんだ。

 

***

 

「で、いつ徳島に行くんだっけ?」

ホットのお茶を頬に当てたサキヤマさんは、落ちていた小石を足で弾いた。

 

「再来週の月曜日」

あと、10日だ。俺は頭に浮かべたカレンダーにバツ印を付けた。

 

「バイトはいつまでやるの?」

「出発前日までだよ。もう荷造りとかは終わってるしね」

「ていうかさ、何で徳島なの? 徳島って四国だよ? ちゃんと距離分かって言ってるの?」

「分かってるよ! 分かってなきゃ行かないよ」

「つまんない回答だねー。何の捻りもなくてビックリした」

「え? ちゃんと答えちゃダメなの? サキヤマさんの求めてる答えなんか、分かんないよ」

「何、その、のび太的な発想。分かんないよーって言えば、どうにかなると思ってるの? 私、人間だし、どら焼き好きじゃないから、ひみつ道具は出てこないよ。それで? だから何で徳島なのよ?」

「何でって、色々だよ、色々」

 

(逃げるだけだろ)

 

教室でワカマツに言われた言葉が、耳から離れない。

 

「ふーん。出てくる答え、ことごとくつまんないねー」

「さっきから失礼だなぁ。だって、つまるとか、つまらないじゃなくない? じゃあ、何でサキヤマさんは地元の大学にしたの? 何か特別な意味があるの?」

「行く大学に特別な意味はないよ。でも、距離は大事だから、絶対に近くがよかった。ウチは家でお婆ちゃんを見てるから、人手が必要なの。私のお母さん、結構バリバリ働いている人だから、よく残業してくるんだ。だから、その時は私が家にいる担当。お父さんはいつも帰り遅いしね。ここ最近、ていうか半年くらい前から、お母さんの仕事で何か新しいプロジェクトみたいなのが始まったらしくて、帰りが遅くなる日が多くてさ、そのせいでアオバに結構迷惑かけちゃったね」

「迷惑? 俺に?」

「ほら、何度もバイトを代わってもらったじゃん。『一生のお願い』付きのメッセージばっか送って」

「え? お婆ちゃんを見てるって、あれ? 彼氏がどうとかで代わったんじゃなかったっけ?」

「彼氏? あー、一番始めのメッセージね。あれ、初めてお願いするから理由書いただけで、彼氏が原因で代わってもらったのは、その時だけだよ。そいつとは、その日で別れたしね。それ以降は訳を書かなかっただけ」

「え? あ、そうなの?」

「何? アオバ、何で、そんなに驚いてるの? ていうか、久しぶりに思い出したら腹が立ってきたー。あいつ、まじむかつく。アオバ、体だけ求めてくる男なんか、最低だからね、人として、最低」

「体だけ、あー、え、うん。そうか、はい」

「そうだよ。いやー、本当に最低な男だった」

 

体だけ……。

 

セックス。

 

そうだ。

 

サキヤマさんは、きっと、セックスをした事があるんだ。

 

そうだ。

そうだよ。

18歳なんだ。

当たり前の事だ。

 

セックスなんて、みんなしてる事だよ。

驚く事じゃない。

 

そうだ。

そりゃ、そうだ。

 

 

「ねぇ、ちょっと! 話、聞いてる? アオバは、呆れるくらい工場が好きなんだねー。どれだけ集中してオレンジライトを見てるのよ。ありがとう、って言ってるでしょ! お母さんの仕事が落ち着いたから、もうないと思うけど、今までいっぱい代わってくれてありがと。本当に感謝してるんだから」

 

「あぁ、いや、どういたしまして。ありがとうございます」

 

「何でアオバがお礼してるのよ? ちょっとー、夜景見すぎて、この子頭がおかしくなっちゃったー。どうする、今から救急車呼ぼうか?」

 

「うん、ありがとう。お婆さんによろしくお伝え下さい」

 

「ちょっと、本当に大丈夫? 気分悪いの? アオバ、ウチのお婆ちゃんと何の面識もないでしょ? あー、ここで待ってて、今すぐウチに行ってヤクルト持ってきてあげるから、きっとそれで良くなるよ」

 

「うん。問題ないよ。大丈夫。じゃあ、おやすみなさい。さようなら」

 

マンションへ入らないサキヤマさんが、俺の背中に何か言っている。

振り向けない自分が小さすぎて嫌だ。

 

 

何がそんなにショックなのだろう。

サキヤマさんが誰とセックスをしていようが、どうだっていい事じゃないか。

何の問題があるというんだ。

 

関係ないよ。

何も。

 

 

自分の気持ちの弱さに嫌気がする。

どうでもいい話ばっかりして。

 

今日は、お礼を言うはずだった。

本当にありがたかったから、サキヤマさんに感謝の気持ちを伝えるはずだった。

 

(あの時、ワカマツの注意を引いてくれてありがとう)

 

伝えるところを想像すると、むず痒い思いになったけど、これだけは言わなければと決めていた。

 

なのに、何だ。

よく分からない感情に圧倒されて、頭がストップしてこのザマだ。

救ってくれた人に、感謝さえも伝えられない。

 

情けなくて、恥ずかしい。

 

こんな気持ちを引きずったまま、家に帰りたくない。

 

遠くに見えるオレンジの夜景。

俺には、この美しい輝きを眺める資格がない。

 

体の正面を北側に向ける。

黒くて深い夜の姿が、そこに広がっている。

 

エミちゃんも、誰かとセックスをするのだろうか。

何でこんな事ばかりが、頭をよぎるのだろう。

 

(色々だよ、色々)

 

俺は答えを誤魔化した。

 

(お婆ちゃんを見てるから)

 

彼女は答えを誤魔化さなかった。

 

この差だ。

この差がある限り、同じなんだ。

 

彼女に対して正直に「逃げるんだ」と伝えられなければ、場所が変わろうと、役柄を変えようと、舞台を、劇を変えようと、俺は、俺の配役を捨てられない。

 

何やってんだ、俺は。

いつまでも外着ばっかり増やして。

 

脱いでいかなければ。

服を増やすのではなく、どんどんと減らしていくんだ。

外ではなく、内を変える。

 

どんなに着飾っても、夜は夜。

本質は変わらない。

 

今日の思いを忘れないでおこう。

この情けない気持ちに、これからも鍵をかけないで向き合っていこう。

 

***

 

この街を出る前に迎える、最後の水曜日。

 

ポストの紙を確認した俺は、黒田三郎の詩集にホッカイロとフリスク、それに、ほうじ茶が入った水筒をカバンに入れ、午後4時50分きっかりに家を出た。

 

茜橋で待ってます

今夜、7と共にいた数字の時に

茜橋で待ってます

 

時間の謎は解けていない。

でも、今日、この日を迎えた事で、不思議な文の意味を解読する必要性はなくなった。

 

この日が俺に残された最後の水曜日。

謎は残っていても、「今夜」「茜橋」という2つのキーワードがあれば、それで十分だ。

今日はバイトがない水曜日、つまり夜の予定が何もない日。

 

茜橋は家のすぐそばにある。

夜が始まる午後5時から、ずっと橋で待っていれば、手紙を出した張本人に会えるはずだ。

その相手が誰でも、例えワカマツ達のいたずらだとしても、目の前に現れるであろう事実を受け入れるつもりだ。

 

何かを待つのは、もう終わりだ。

動いた先の結果を、この目で見るんだ。

 

 

<午後5時>

 

橋の中央にある窪みで待機する。人通りは多く、帰りを急ぐ人達が目の前を往来している。

様子のおかしい人や、立ち止まる人はいない。強いて言えば、キョロキョロと辺りを見回している自分が、一番の不審者に思える。

 

<午後6時>

 

黒に青が混ざったような色に包まれる。

緊張の為か、持ってきた詩集を読む気になれない。

通行人が前を横切る度にしていた、「誰かと電話をしているフリ」という小芝居を止める。よくよく観察すると、誰も俺の事など気にかけてはいない。

 

<午後7時>

 

北側の黒が濃くなる。

引き続き、不審者なし。

口の中が痺れてきたので、食べ続けていたフリスクをカバンにしまう。

口臭を気にするよりも、食べ過ぎによるお腹の不調の方が心配だ。

 

<午後8時>

 

初のトイレ休憩の為、橋からそう遠くない、バイトをしているコンビニへ行く。

店までは一本道なので、後ろを確認しながら歩ける分、家へ帰るよりも人影を見逃すリスクが少ない。

コンビニへ入ると、サキヤマさんが品出しをしていた。

「ちょっと急ぎでトイレ」と言うと、「うんこマン」と声をかけられた。何だかシャクなので、急いで小を済まして戻ると、「汚いので、手を洗って下さい」と死んだ目を向けられた。

ここでのロス時間、約3分。

この間にもし張本人が現れていたとしたら、もうその時はその時だ。

潔く諦めるしかない。

 

<午後9時>

 

風に冷たさを感じ始める。

何度も体の重心を左右に入れ替えているのだが、足の痛みが酷くなってきた。

止まったままでいるのが原因だと考えたので、人がいなくなるタイミングを見計らい、その場をグルグルと回るようになる。

 

<午後9時40分辺り>

 

スーツを着た中年の男に「あんまし変な気を起こすなよ」と声をかけられる。

お酒の匂いがしたので、酔っていると思われるが、態度はいたってまともだった。

彼には俺がどんな風に映っていたのだろう。

 

<午後9時55分辺り>

 

若い女の人が、俺がいる中央の窪みへやってきた。

黒いコートを着た女の人。知り合いではない。

「ちょっといいですか」と言われた時は、どうして良いか分からず、体が硬直した。

その人は俺の真横に立ち、スマートフォンを西側の高台にあるマンション群へ向けた。

何度もアングルを変え、写真を撮っている彼女に、変に意識をした自分が気不味くて堪らなくなり、本日2度目のトイレへ向かう。

店に入るとちょうどレジを打ち終わったサキヤマさんが俺を見て、とても不思議そうな顔をした。

「また、うんこ?」と尋ねる彼女を無視し、今回も秒速で用を済ませ早足で出てくる。

「ねぇ、さっきから何やってるの?」と不審がる彼女の矛先を変える為、「まだ上がらないの?」と店の時計を指す。すると彼女は「混んだから30分残業だって菓子パンティーチャーに言われた」と悪態をついた。

菓子パンティーチャー、菓子パンのうんちくを話すと止まらなくなる、バイト先の店長の事だ。

サキヤマさんと少し話し込んでしまい、ここで約10分失う。

体の疲れの為か、この時間のすれ違いはやむなし、という考えを頭がすんなり受け入れる。

 

<午後10時20分辺り>

 

本日唯一の水分である、ほうじ茶が底をつく。

先ほど2回目のトイレの時に、何も買わなかった自分の浅はかさを恨む。

月がとても綺麗で、しばし見とれる。

この頃になると、誰かが来て欲しい気持ちと、このまま誰も来なくて良いのかもしれないという気持ちが半々になる。

これが例え手の込んだいたずらだとしても、俺がこうしてこの場所に何時間も立っているのが、自分の出した答えだからだ。

 

<午後10時40分過ぎ>

 

バイト帰りのサキヤマさんが橋に現れる。

4時からスタートだったらしく、「疲れて、お腹減った」と何度も口に出した。

予定外の残業を頼んだ菓子パンティーチャーの事がどうしても気に触るらしく、「菓子パンメガネヤロー、時間配分、何も分かってねー」とあだ名を変更して文句を言った。

 

<午後10時50分>

 

サキヤマさんが帰る気配はない。

店長の話は終わったが、徳島に関しての質問をいくつか尋ねてきた。

ここに残って話すのは楽しいが、今夜、つまり最後の水曜日が終わるまで、あと約1時間に迫っている。

正直、最後の瞬間は一人で待ちたいという思いが心に浮かぶ。

 

<午後11時>

 

サキヤマさんの電話が鳴る。

「家からじゃないの?」と彼女に問いかけると、「アラームだよ」と短いため息をついた。

 

 

「アラームだよ」

サキヤマさんは、諦めるような短いため息をつき、下を向いた。

 

「アラーム? こんな時間に?」

今は午後11時ジャスト。起きる時間でも何でもないはずだ。

 

「アオバ、全然ダメ。これ、全く想像通りじゃない」

「ん? さっきの徳島の観光名所の話?」

「アオバ、あんた、ものすっごくピンとこないよね。私、何度もシミュレーションしたけど、こんな結果は予想してないよ。ねー、どうすればいいの? 何も考えてない!」

「ちょっと、さっきから何の話だよ! 全然話が見えてこないよ」

「私が言おうと思ってた第一声は、『気付くのが遅いよ』なの。アオバが11時にこの橋に来てて、バイト帰りにメイクを直して、心も落ち着いた状態の私がそこに現れる予定だったのにー。バイトは延びるは、本人はチラチラトイレ借りに来るは、挙げ句の果てに、何の事かも気づいてないはで、もー全然ダメ」

 

背中が急に熱くなり、体が棒のようになる。

サキヤマさんの背中越しに見えるオレンジが、やけに明るくて気になる。

 

俺は急いでスボンの後ろポケットに手を入れ、四つ折りにしていたコピー用紙を広げた。

 

茜橋で待ってます

今夜、7と共にいた数字の時に

茜橋で待ってます

 

「エミちゃんに来て欲しかった?」

 

サキヤマさんは、見た事もない顔をしてそう言った。

 

「何だか分からない意味深なメッセージ。アオバ、よく本読んでるから、こういうの好きかなーって思って。色々考えたんだけど、やっぱり何にも浮かばなくてさ。だからもういいやって思って、一番シンプルなやつを入れたの」

 

言葉が上手く口から出ない。

サキヤマさんは、とても強い目をしている。

 

「脈はないかもって思ってた。エミちゃん、良い子だしね。だから、これに賭けた。私、ズルイから、これでアオバが現れなかったら、何にも言わないつもりだったんだ。もし来なかったら縁がないんだって、そう思うつもりだった。毎週水曜日、私が10時に終わる日で、アオバのバイトがない日。手紙を入れてから、バイト終わりに毎回メイク直して色々と準備してたんだけど、アオバは全然現れないし。そしたら段々、焦ってきちゃって。これが最後の水曜日、アオバは来週の月曜に行っちゃうって思ったら、どうするべきか分からなくて、ずっと考えてた。そしたら今日、アオバが橋にいた。でも、今日に限って残業入ってメイクも直せてないし、髪もボザボザだし、どうしよう」

 

「ごめん。見てわかると思うけど、俺、今、凄い動揺してるの。あの、ほら、正直手も震えてるし。あのさ、分からないことが一杯頭に溢れてきてるんだけど、少し質問していいかな?」

俺は手に持っていた紙をサキヤマさんの近くに寄せ、真ん中に書かれている文を指差した。

「この部分、ここ。7と共にいた数字の時、これ全然意味が分からなかった。いや、色々調べたりしたんだ。図書館行って本をたくさん借りたり、自分なりに推理してみたり、出来る限り、とにかく考えた。でも、答えが一向に分からなかったんだ。だから、何度も水曜日のチャンスを逃した。本当は、自分を変えたいって心から思った時から、すぐにでも行きたかった。でも、時間の謎が解けなくて、こんなにギリギリになっちゃって」

 

どうしてだろう、涙が出てくる。

 

「アオバ、私、アオバのそういうところ、本当に好きだよ。真っ直ぐで、一生懸命で、訳わかんなくて、優しいの。覚えてる? バイト始めて少し経ってさ、初めて一緒に帰った時の事、あの時アオバ、頼んでもないのに家まで送ってくれたの。『ちょうどこっちに用があったんだ』って下手な嘘ついて。私の家さ、東側の角だから、送ってくれた後のアオバの姿が部屋から見えたの。用があるって言ってたくせに、すぐ橋まで戻って、しばらく工場の夜景見てたでしょ? それ見てさ、この人は優しい人なんだって思った。それからだよ、アオバの事を意識して見るようになったの。それまでは正直、『いつも本を読んでる簿記検定の人』って印象しかなかったからね」

 

耳が変だった。

今、目の前でサキヤマさんが話してくれているのに、その声が何故かテレビやラジオから発せられる音声のように聞こえる。

頭がパニックになって、まるで何かの映像を見ているような感覚になる。

 

「7と共にいた数字の時って、何だったんですか?」

口から咄嗟に出た敬語。自分の発言を自分でコントロールできていない。

 

「まだ分からないの? 超シンプルなのに。アオバ、顔を左に向けてみて、何が見える?」

「コンビニの看板です」

「そこに何の数字がある?」

「7です」

「ねぇ、ちょっと敬語やめてくれない? 気持ち悪い!」

「ごめんなさい」

「やめてって。それで、その7と共にあったのは?」

「何か、足の長い緑の人が歩いているようなマーク」

「アオバ、確実にバカだよね。それ今の看板でしょ」

「あっ! イレブン! セブンイレブン! えっ! なんだっ、凄い単純! 11だよ! サキヤマさん、11。セブンイレブン! だから11時!」

「いや、分かってるよ。自分で書いたんだから。ねー、超シンプルでしょ!」

 

俺は、ゆっくりと深い呼吸をした。

心のつっかえが取れた事によって、今現在の状況がスゥーッと頭に入ってくる。

 

「全く考えてもいなかった。まさか、サキヤマさんがメッセージを入れてたなんて」

「何か気持ち悪い事して、ごめんね。でも直接、何のクッションも置かないで気持ちを伝えるって考えると、恥ずかしくて恥ずかしくて、絶対無理って思ったから」

「よくウチの場所、分かったね」

「エミちゃんに教えてもらったの。一緒に帰った時に頼んで。理由を説明したら、エミちゃん、一瞬だけ複雑な顔してた。エミちゃんがアオバの事をどう思ってるか分からないけど、私はちゃんと気持ちを伝えたよ。気になってるって。そしたらエミちゃん、アオバがどれだけ優しいかって一生懸命説明してくれてね。それを聞いてたら、もしエミちゃんが相手だったら、私は敵わないかなって思った」

 

「サキヤマさん、ちょっといいですか」

周りの事や、これからの事、そういう思考を全部取っ払って、今、強く思う気持ちを言葉にしようと、そう決めた。

 

「いいけど、何で敬語なの?」

 

「分からない。きっと自分に自信がないからだと思う。でも、どうしても話を聞いて欲しい」

 

「はい。何でしょう」

 

「俺はサキヤマさんの事を、殆ど知らない。正直、サキヤマさんみたいなタイプの人とは、俺なんかが関わる事はないと思ってた。俺は、今までのサキヤマさんを知らない。俺が知っているのは、バイトで一緒になった3ヶ月間のサキヤマさんだけだ。サキヤマさんは、俺とは全く違ったタイプで、強くて誤魔化さない人だ。あの時、言えなかったんだけど、登校日にしてくれた行動を、俺はずっと忘れない。でも、今から言う気持ちは、助けてくれたからとかじゃないんだ。俺は、もっともっとサキヤマさんを知りたい。あなたに興味があります。人として、そして女の人として、興味があります。だから、あの、自分から、言いたいです。いいですか?」

 

「もう、よく分からない敬語も気になりません。どうか聞かせて下さい」

 

「バイトを代わる度に溜めていた約束、あの『何でもするから』って約束がまだ生きてるなら、どうか俺と付き合ってくれませんか? 来週に徳島に行っちゃうけど、距離が遠く離れても、俺と付き合ってくれませんか? もっとたくさん、サキヤマさんの事を知りたい。俺に知るチャンスをくれませんか? お願いします」

 

俺は目をつむり、頭を深く下げた。

 

「調べたんだけど、徳島はそんなに遠くないよ。大丈夫、そんなに離れないよ。一緒にサブちゃんの詩集は読めないかもしれないけど、私をもっとたくさん知ってください。もっともっと、アオバに知ってもらいたいです。よろしくお願いね」

 

暖かくて柔らかい感触が手に触れる。

人の手は暖かい。

 

「バイト代を貯めて、夏に行くからね」

 

南のオレンジ、北の黒、東の賑やかさに、西の静けさ。

 

この街は美しい。

例え、ここを離れていっても、この街は、以前よりも美しい。

 

茜橋で待ってます

今夜、7と共にいた数字の時に

茜橋で待ってます

 

 

あの日、あの水曜日の夜。

7と共にいた数字の時に、茜橋で俺を待っていたものは、生まれた街を美しいと思える、忘れる事のない記憶だった。

 

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(予想を超える長さになってしまいました。読んでくださった方に心からの感謝を送ります)

茜橋で待ってます《前編》

茜橋で待ってます

今夜、7と共にいた数字の時に

茜橋で待ってます

 

白いコピー用紙にプリントされた文字。

週に1回、決まって水曜日に投函されるこの紙を見るのは、これで3度目だ。

何が目的かは分からないが、入れたヤツの目処はだいたい立っている。

どうせワカマツ達の誰かだろう。2月に入って自由登校が増えたから、きっと暇なんだ。

それにしても、凄い執念だ。SNSのメッセージをブロックしているからって、わざわざ家にまで来ることはないだろう。 

こんな寒い時期に厚着をしてポストに紙を入れている姿を想像すると、何とも言えない気分になる。

そこまでして、俺をからかいたいのか。

 

「また変な紙入ってたの?」

やるせない気分になり、玄関先で立ち止まっていると、俺の姿を確認した母親が居間の窓を開けて顔を出した。

「あぁ。しつこいねぇ」俺は力なく返事をし、一緒に入っていたピザ屋の広告とその紙をヒラヒラと振った。

「あんまりなら、先生に相談すれば」

「いいよ。そんな事しなくても。もうすぐ卒業だから」

 

頬に刺さる風が痛い。

あと約1ヶ月で高校生活も終わりだ。

その時がくれば自分を囲む煩わしさとも、この街ともおさらば出来る。

もう少しの辛抱だ。

 

***

 

アオバ先生

最後の一生のお願いだから、今度の金曜のシフト代わって。4時から9時までのやつ。まじで何でもするから。お願い、アオバ先生!

アオバ先生……。いつもは呼び捨てなのに、頼み事がある時だけアオバ先生。

最初の一行で内容が分かる。

俺は今、先週送られてきたメッセージと全く同じものを見ている。この現象は、間違いなくデジャヴというヤツだ。

サキヤマさんがバイトを始めて約3ヶ月。俺はその間に、幾度も彼女のシフトをカバーした。いや、代わるのはいい。コンビニのバイトも嫌いじゃないし、お金だって必要だ。ただ、頻繁に登場する「一生のお願い」が嫌なんだ。しかも最近は、しれっと「最後の一生のお願い」にバージョンアップしている。元々、意味が崩壊しているところに追い打ちをかけるボディブローが許せない。

了解。金曜ね。

何か他に打ったほうがいいと思うが、メッセージだと誤解を生む可能性がある。

次だ。次にバイトが被ったら、その時は面と向かって「一生のお願い禁止令」を伝えよう。

気が強い彼女の事だ、絶対に何か言い返してくるはず。そうなったらすぐに話をずらそう。深追いはやめておいた方がいい。

うん、やっぱり状況次第だな。言えたらでいい、無理は禁物だ。

 

***

 

「しかし、迷惑な寒さだよねー」少し遅れて裏口から出てきたサキヤマさんは、両手をコートのポケットに突っ込んだ。

「今日、結構混んだね」歩くスピードを少し緩め、彼女の歩調に合わせる。

「本当だよー。こんなに寒い日に出歩くなって感じ。あ、そうそう。この前、シフト代わってくれてありがとね。助かった」

「うん、それは問題ないんだけど、あのさ、あの、バイトの交代を毎回頼むときに……」

「ねー、それ何が入ってるの?」サキヤマさんは話を遮り、俺のカバンを叩いた。

「え? 何って?」

「カバンの中だよ。いつもバイトに持ってきてるよね? 何が入ってるの?」

「大したものは入ってないよ。本とかノートとかくらい」

「どんな本が入ってるの? 何? エロ本? うわぁー、バイト先にエロ本とか変態だね、アオバは」

「え、何で勝手に決めつけるの? エロ本なんか入ってないよ」

「じゃあ、何の本?」

「いいじゃん、何でも。絶対サキヤマさんが興味ない本だよ」

「でた。最低だね。そうやって人を決めつけて見下してさ。嫌だね、根暗は」

「根暗って何だよ。別に決めつけた訳じゃないって。詩集だよ。黒田三郎って人の詩集が入ってる」俺はカバンの外側をさすった。

「詩集? サブロウ? 何それ、本気で言ってるの? サブちゃんの詩集? そんなの読んで面白いの?」

「サブちゃん? 変な呼び方しないでよ。ほら、だから言いたくなかったんだよ! 絶対バカにすると思った。サキヤマさんはどう思っても、俺はそのサブちゃんが書いた詩が好きなんだよ!」

「分かった、分かった! ごめんなさい! 『好きなんだよ!』って急に熱くなって、ビックリするでしょ。何? 修造? あー、アオバはやっぱり面白いねー。このバイト始めるまで、そんな印象、全然なかったよ。クラスでは、本ばっか読んでるイメージしかなかったからね。私達の間では、『簿記検定』ってあだ名が付いてたもん」

「え、そうなんだ。出来ればそういう情報は聞きたくなかったよ」

簿記検定。もはや生き物ですらない。なんにせよ、酷い呼び名だ。 

 

コンビニを出て10分ほど歩くと、茜橋に着く。

手紙を受け取るようになってから、一応注意して橋を歩くようになったのだが、今のところ何も変わった様子はない。

渡りきるのに3分ほどかかるこの橋は、街の真ん中を切り裂くように流れている玉鈴川に架かっており、東側に広がる平地と、再開発が進み新興住宅地やマンションが群立する西側の台地を繋いでいる。

橋の中央にある膨らみは、ちょっとした夜景スポットになっていて、気温が暖かくなると南側の川沿いに連なる工場のライトや、西の高台に立ち並ぶマンション群の光の階段などにカメラを向ける人達を見かけるようになるが、冬場はその寒さの為か閑散としている。

 

この街は、美しい。

北には緑が繁り、南には大好きなオレンジのライトが溢れる。東の商業地域へ行けば大概の物は揃うし、西の人工的な建造物群は想像力を刺激してくれる。

この街は、美しい。

でも、ここに居たくはない。

この街で生まれ、この街で育った自分とは、もうこれ以上、共に生きていきたくはない。

(18年間やり通してきた役柄を、引き続き演じる)

この街に留まる自分を想像すると、いつもそのイメージが頭をよぎる。周りの配役やセットが大幅に変わらない限り、この劇は終わらない。でも、それじゃあ、同じ役しか回ってこないんだ。

自分が想像出来る自分になるのが怖い。「やっぱり、こうなった」を受け入れる勇気がない。

全部、真っ白に戻したい。

舞台を壊して台詞も忘れて、衣装も脱ぎ捨てて、綺麗さっぱり真っ白に。

 

「いつも工場の夜景見てるよね? 飽きないの?」視界に入るお馴染みの景色は、俺の左側に回ってきたサキヤマさんの顔で塞がれた。

「飽きないよ。それに、いつも同じじゃないって。今日は特に寒いから、普段よりクリアに見えるし」

「うわっ。それ、昨日の帰り、エミちゃんも同じこと言ってた。何? あんた達、付き合ってるの? そういえば、エミちゃんもバイト先に本を持ってきてるしねー。それに、アオバさ、教室でエミちゃんとは喋ってたよねー。えぇー、やっぱりそういう関係?」

「そんな訳ないじゃん。付き合ってないよ。エミちゃんとは家が近いし、親同士の仲も良いから昔から知り合いなだけで、ただそれだけだよ」

「へぇー。まぁ、確かにねー。簿記検定にエミちゃんはもったいないしねー」

「その呼び方、やめてくれないかな。簿記検定って、試験じゃん。人につけるあだ名じゃないよ」

「本当だ! 確かに、試験だ! 言われるまで気がつかなかった! そうだねー、ちょっとそれは酷いね。じゃあー、簿記マンってどう? 人間ぽくない? 簿記マン!」

「なんか、それ響きがギリギリだよ。もう、簿記から離れてくれませんかね。勘弁して下さい」

「でた。変態。気持ち悪っ! ギリギリって、こっちは簿記マンってしか言ってないじゃん。いつも変なことばっかり考えてるから、ちっちゃい『つ』を想像しちゃうんだよ。うわぁー、とりあえず家帰ったら通報しとくから、連行される準備だけはしときなね。じゃあ、またねー、簿っ記マン!」こちらを振り向かずに手を振ったサキヤマさんは、大袈裟に逃げるフリをしてマンションの入り口へと消えていった。

 

ダウンのフードを被り、左右を確認する。

ありがたいことに、目に見える範囲に通行人はいない。不名誉なあだ名を叫ばれ、逃げるようにして女性が建物に入っていった状況だけを誰かが目撃したら、本当に通報されかねない。

 

帰りに送って欲しい、と頼まれたことはない。ただ、サキヤマさんの住むマンションが橋からすぐの距離にあるので、同じ時間にバイトが終わる日は、自然と彼女を家まで送るようになった。

誰もいない夜の通り。両手を後ろに伸ばして、深呼吸をする。肺に取り込まれた冷気が心地良い。寒さは人の背筋を正す。街全体が緩む夏よりも、空気がピキッと引き締まる冬の方が、個人的には好きだ。

 

(エミちゃんも同じこと言ってた)

 

エミちゃんもオレンジ色のライトが好きなのだろうか。

彼女がバイト先に持ち込んでいる本は、どんなジャンルなのだろうか。

 

昔から面識はあっても、突っ込んだ話は1度もしたことがなかった。

優しくて、おとなしくて、いつも笑っている動物好きな子。

俺が知っているエミちゃんの特徴は、どれも表向きなものだけ。彼女が何を考え、どんな思いで工業地帯の明かりを見ているのか、俺は知らない。

時間と距離は比例しない。

どれだけ長い間近くにいても、心の内側を晒し合わなければ、毎日流れてくるニュースと同じで裏に真実が隠れていようとも、表面の事実しか分からないのだ。

 

視線を右側に移し、北側を覆い尽くす黒を見つめる。

輝く夜景は、そこにはない。

これが本来の色。

夜のまんまの、本音の色。

 

俺は暗闇が怖いから、華やかな明かりに魅せられる。

何もない無が怖いから、自己主張をする光に目を奪われる。

でも、それは夜本来の姿じゃない。

 

いつでもいい、どれだけ時間がかかっても構わないから、今、目の前にある真っ黒を美しいと思えるようになりたい。

 

頭に被っていたフードを外した俺は、橋のたもとまで戻り、斜めに下る坂道を走っておりて、家路を急いだ。

 

***

 

水曜日。

予想通り、ポストには白いコピー用紙が入れられていた。

 

茜橋で待ってます

今夜、7と共にいた数字の時に

茜橋で待ってます

 

先週と同じメッセージを受け取った俺は、その紙をゴミ箱に捨てる代わりに、自分の部屋へと持ち込んだ。

 

何かが、おかしい。

 

この紙を入れたのが本当にワカマツ達ならば、何故こんなに回りくどい事をしているのだろう。

書かれている内容は、謎掛けのようになっている。

もし俺を誘き寄せるのが目的ならば、誘い出す対象が言葉の謎を解けていない時点で、この作戦は失敗となる。

それに、俺が過去何回かそうしていたように、コピー用紙を捨ててメッセージを無視してしまえば、カモは永遠に現場には現れない。それでは意味がないはずだ。

学校が自由登校になり、クラスでからかうチャンスがないという理由だけなら、以前のように、バイト先のコンビニに顔を出してバカにすればよいだけの話だ。

つまり、どう考えても、この方法ではワカマツ達側に何のメリットもない。

 

ベットに寝転がり、コピー用紙を日の光に透かしても、隠された文字などは出てこない。水に浸けたら、と思い立ったが、体を起こす前に気持ちを抑えた。

送り主は、忍者ではない。

茜橋で待ってます

この部分は、きっと言葉のままだ。

茜橋、俺が知っている限り、この街で茜橋と名のつく橋はあそこだけだ。

今夜、7と共にいた数字の時に

問題は、この部分だ。

この紙が投函されるのは決まって水曜日。「今夜」というのは水曜日の夜で間違いないだろう。

じゃあ、「7と共にいた数字の時」というのは? 

書かれている文は「いた」と過去形になっている。

なぜ「いる」のではなく、「いた」となっているのだろう?

でも、ここが仮に「いる」となっていても、文の意味は通じない。

 

理解できない箇所を一旦置いて全体を見ると、水曜の夜「7と共にいた数字の時」に、この手紙を入れた張本人が茜橋で俺を待っているという事になる。

 

本当に、誰かが俺の事を待っているのだろうか?

 

いや、そんなはずがない。

誰が好き好んで、俺なんかを待っているというのだ。

やっぱり、何かのいたずらだ。

 

仰向けになったまま、白い天井を見つめる。

近所の子供の泣く声に、横のアパートの駐車場から聞こえるエンジン音。

いつもの日常が、ここにある。

 

今日は水曜日。バイトがない俺は、昨日と同じ部屋着を着て、テレビを見ながら夕飯を食べ、風呂に入った後、本を少し読んで眠るのだろう。

明日は木曜日。登校日で学校に行く俺は、久しぶりに会うワカマツ達にからかわれ、クラスメートの前で恥をかくのだろう。そして、何とも言えない気持ちで帰ってきた後はすぐに着替え、バイト先のコンビニへ向かう為に、茜橋を渡る。

3月の卒業まで、この繰り返しだ。

 

天井のライトの脇に、蜘蛛の巣が張られている。

絡まったまま動かなければ、いつか食べられてしまう。

 

1ヶ月以上先に控えている出発の荷造りは、もうとっくに済んでいる。

準備は万全だ。

やらなければいけない事は、何もない。

後は、繰り返すだけ。

ならば、役柄を変更するのに、時を待つ必要があるのだろうか?

舞台は確実に変わる。では、今この瞬間から役を変更してもいいじゃないか。

 

(俺なんか)

(誰かが、俺なんかを待っているはずがない)

 

決まり切った感情の服を脱ごう。

絡まったまま食べられるのはごめんだ。

十分、恥はかいてきたじゃないか。今更、1つや2つ増えたところで、大したことではない。

 

茜橋で待ってます

今夜、7と共にいた数字の時に

茜橋で待ってます

 

何かに賭けてみたい。

「動かない」という選択肢以外の結果を知りたい。

 

大きく伸びをしてベットから起き上がった俺は、外行きの服に着替え、何かヒントになる情報を求めて図書館へと自転車を飛ばした。

 

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(後編へ続きます)

爺さんとアルバム

「明日、仕事がないやつは朝までな」
 
テーブルの上にビールのケースを置いたコースケは、母屋に向けて手を合わせ、いつものように白い歯を見せた。
 
亡くなったツヨシの爺さんの意思により、親族席に座ったコースケは、式の間中ずっと泣いていた。
小学校から付き合いのある彼の泣き顔を見たのは、その時が初めてだった。
 
「九十二歳、大往生だよ」コースケからビールを受け取ったツヨシは、一度上に目をやって、タバコに火をつけた。
「間違いない、大往生だ」ケイゴは回ってきたビールを横のリーダーにパスし、レモンティーのペットボトルを開けてから落書きだらけの壁をさすった。
「こんなに自由になんもかんもやらしてもらってな、正直、お前の爺さんには頭が上がらねーよ。俺ら全員、土下座もんだよ、本当に」
 
リーダーの言う通り、ツヨシの爺さんにはいくら感謝してもしきれない。
 
みかん畑を持つツヨシの家の敷地内にある、作業用のプレハブ小屋。
爺さんの好意によって、中学一年から使わせてもらうようになったこの空間で、俺たちは一体どれだけの時間を過ごしたのだろう。
 
内装の壁に落書きをしても、学校が休みの度に泊まっても、タッちゃんが持ち込んだCDラジカセのボリュームを上げてパンクを流しても、爺さんは何も言わなかった。
 
「掃除は自分たちでしろ。あと、おめぇらが中で悪さしたら、ぶっ叩くぞ」
爺さんは事あるごとに俺たちにそう言って聞かせたが、実際にぶっ叩かれた事など1度もなかった。
「遊ぶのは悪くねぇ。悪りい事つぅのは、人の道を外れる事だ」
庭に出したプラスチックの椅子に座って、タバコをくゆらす爺さんの姿が浮かぶ。
 
秘密基地、溜まり場、オアシスに避難場所。
日常生活で何があっても逃げ帰れて、どんな状況に置かれても本来の自分に戻れる場所を提供してくれた爺さんは、間違いなく人生の恩人だ。
 
 
小学校時代から知っていたとはいえ、俺たちが爺さんと本格的に関わるようになったのはプレハブ小屋に集まるようになってからだが、メンバーの中でコースケだけは、ずっと昔、それこそ小学校にあがる前からツヨシの爺さんと繋がりがあった。
 
親子二代でみかん畑とアパートを経営し、決まって家に誰かいたツヨシの場合とは異なり、コースケは団地組の俺たちと同じく、鍵っ子だった。ただ俺たちと状況が違うのは、彼の母親はパートではなく、正社員として朝から晩まで働きに出ていた事と、コースケには父親がいないという事だった。
ツヨシの家の近所に平屋を借りていたコースケの母親は、自分の仕事が休みの日や、みかん畑の繁忙期などにツヨシの家の手伝いをしており、その関係で、昔からコースケはツヨシの家に預かってもらう事が多かった。
親戚などが近くにいないコースケの家の事情を理解してか、小学校に上がる前に幼稚園にも保育園にも行っていなかったコースケの面倒を、ツヨシの家族は進んで申し出た。
小さい頃から内気で、人と一緒に遊ぶのが苦手だったツヨシを、ほぼ毎日出入りするようになった活発なコースケが無理矢理外に引っ張って行く姿を見て、一番喜んだのは誰よりもツヨシの爺さんだった。
シベリア抑留からの帰還者で自身の経験から「楽しんで生きるのが一番」と常々口にしていた爺さんは、家に籠もりがちだった孫を変えてくれたコースケに感謝をし、コースケの母親に来る度に弁当を持たせなくてもよい旨を伝え、コースケの分の昼食を毎回用意するように家族に頼んだ。
小学校に上がっても、給食のない土曜や日曜の昼食はツヨシの家でとることが習慣として続き、平日の放課後も含め、コースケは自分の家にいるよりも圧倒的にツヨシの家で過ごす時間の方が多くなった。そしてそれは、中学、高校と進んで家に顔を出す頻度が減っても、決して途切れる事はなかった。
 
 
「俺さ、爺さんから孫って言われた事があるんだ」銀色の空き缶がテーブルの隙間を埋め始めた頃、紙コップに焼酎を注いだコースケが、こちらに顔を向けた。
「孫?」かっぱえびせんの袋を開けたタッちゃんは、少し大きな声で反応した。
「うん。みんなに言ってなかったけど、俺、成人式の朝にツヨシの爺さんに挨拶してさ、そん時に言われたんだ」
「成人式の朝って、俺ら結構早い時間にここに集合しなかったっけ?」俺は自分の記憶を辿った。
「早いって言っても九時とかだったろ? その前、お前らが集まってくる前、確か七時くらいにスーツを着て裏のみかん畑で話をしたんだよ」
「俺、家にいたはずなのに全然気がつかなかった」ツヨシが驚いた顔で、テーブルに空き缶を足した。
「気付かねえって。だってお前その日遅刻したろ、家から一番近いのに。あと、そこのイカゲソ食ってるやつも遅刻した。しかも一時間。俺たちに、あん時の時間を返せ」
「しょうがねーだろ! 家にベルトが無かったんだからよ」ケイゴに責められたリーダーは、ゲソを激しく噛みちぎった。
「ベルトが無い家ってなんだよ! あんだろ普通一本くらい! ていうか、何でズボンのサイズが合ってねーんだよ」ケイゴの追撃は止まらない。
「必要なかったら、持ってねーだろ! それまでの俺の人生にはベルトが必要なかったんだよ」
「それで、ツヨシの爺さんのサスペンダーが登場したんだよね」タッちゃんが嬉しそうに手を叩いた。
「あったあった、懐かしい! 売れないマジシャンね。あれは酷かった。まんまマジシャン」俺の頭の中に、ブカブカのズボンをサスペンダーで吊った奇妙な見た目のリーダーが顔を出した。
「おい、ブカブカマジシャン。お前は成人式を冒涜している」コースケがリーダーを指差した。
「バカ、あれがあったからこそ、俺は成人式に出れたんだよ。お前こそ、万能サスペンダーを冒涜してんだろ。まぁ、でもいーじゃねーか、あん時、ツヨシの爺さんすっげー笑ってたしな」
「あの後、ウチの爺さん結構その話をしてたからね」ツヨシが笑顔で腕を組んだ。
「それで、七時に会って、何を話したの?」話の続きが気になった俺は、脱線した線路を引き直した。
「うん。いや、挨拶がしたかったんだ。俺、昔からここん家にお世話になってたじゃん。だから成人式を一区切りにして、どうしてもお礼が言いたくてね」紙コップに入った焼酎を飲み干したコースケは、深く息を吸った。
「今まで家族同然に接してくれてありがとうございました。この恩は一生忘れません、って言ったの、そしたら爺さんが『ちょっと待っとけ』って母屋に戻って白いアルバムを持ってきたんだよ。それ開いたらさ、全部ね、全部あったの」コースケの口角がゆっくり上がった。
「小学校時代にあげたやつ、爺さんが欲しがったから、俺、いろいろあげてたんだ。折り紙とか、作文とか、絵とかそういうやつ。あと、そこに切り抜きもあった。ラグビーやり始めてからの広報とか、地元紙とかに載せてもらったやつの切り抜き。試合結果とか、細かいのまで全部。蛍光ペンで線引いてあってさ。高校で全国行った時のやつなんか、何枚もコピー取ってて。俺、それ見たら、もう、もうダメで」コースケの声が震えている。
 
「ありがとうじゃねぇだろ。おめぇは俺の孫なんだから、これからもよろしくお願いしますの間違いだろ、って爺さんは言ったんだ」呼吸を整えたコースケは、「何か、悪いね」と頭を下げて続けた。
「血は、血は重要じゃねぇんだ、って。それは戸籍上の問題で、あんまし大事じゃねぇんだ、って言ってね。紙の上で俺の兄弟は三人だけど、実際は両手じゃ足りねぇくれぇいるぞ、シベリアでその事に気が付いたって説明してくれた。あん時、俺を助けてくれたやつら、日本人もロシア人も関係なく兄弟だ。俺の事を本気で大事に思ってくれたやつとの繋がりの方が、血よりも濃いんだって、爺さんそう言ってた。そんな感じで兄弟はいっぱいいる。でもな、孫は二人だ、この世の中にツヨシとおめぇの二人だけだ、って。戸籍が何とか、誰が何て言おうが関係ねぇ、お前は間違いなく、俺の孫だって言ってくれたんだ。俺さ、俺、そん時、本当に嬉しかった。何て言ったらいいのかな、何て言うか、心の底から、この人に出会えて良かったって思ったんだ。だから、きっと、今が言う時なんだと思う。なぁ、爺さん、聞こえてる? 今まで、家族同然に接してくれてありがとうございました。この恩は一生忘れません。絶対に忘れませんから」
 
コースケは母屋の方に手を合わせ、声を出して泣いた。
式で見せたように、頭を下にして肩を揺らせて泣いた。
 
お酒に強い彼が酔い潰れるのを見たのは、その夜が初めてだった。
 

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