「寮生活」というものを、自分は今までで一度だけ経験したことがあります。
期間は5ヶ月。場所はオンタリオ州のコテージカントリーとして知られる、ムスコカという場所でした。
自分が昔から抱いていた寮生活のイメージは、「めぞん一刻」もしくは「ツルモク独身寮」です。
正確に言うと、めぞん一刻の舞台はアパート(一刻館)なので寮生活の部類には入らないのですが、自分は「寮での生活 = めぞん一刻のような和気あいあいとした雰囲気」という図式を、頭の中で勝手に作り出していました。
五代くんに、音無さん、なんなら白鳥沢レイ子さんまでいる生活。
淡く、そして生温い考えでした。
自分が通っていたカレッジのコースには、2年目に一般企業へのインターン学習があり、「コネクションを得るチャンスは、ここぞ!」と息巻いた自分は、だいぶ背伸びをして、家から遠く離れたリゾートホテルのインターンに応募しました。何回かの面接の末、先ばしり前のめりな姿勢が奇跡的に通じ、職を得ることが出来ました。インターンの期間は5ヶ月。半端な入寮期間の理由は、そのためです。
大自然に囲まれた小さな町にある、会社の寮、というか巨大シェアハウス。
不安な気持ちで辿り着いた自分を最初に迎えたのは、ガッチリとした体型の黒人さんでした。
「ヤマン、ブロ」
ドアの前でタバコを吸っていたその人は、スーツケースを持って立ち尽くしている自分に拳を出してきました。
(ヤーマン、そしてグータッチ。ジャマイカの人の挨拶だ)
「ヤーマン。初めまして、今日から入居するヨシと申します」
「ヤマン、ヤマン。俺は、Bだ。お前の部屋は地下か? 1階か?」
「まだ分かりません。今日、管理人の人に会って鍵をもらいます」
「ヤマン。俺は1階だ。何か質問があったら言ってくれ。ヤマン」
「ありがとうございます。あ、ヤーマン」
会話の最後に再度出してきてくれた右手に答え、拳を合わせましが、頭には大きなクエスチョンマークが。
ヤーマン。いや、ヤーマンではない。彼の発音は、どちらかと言うと、ヤマンに近い。それに、あれ? ヤーマンって、確かジャマイカ人の挨拶のはずでは……。Bさんが言った「こんにちは」、全然、文脈に沿ってない……しかも、回数がやたら多い……。
「ヤーマン」いや、「ヤマン」
後で分かったことなのですが、このヤマンは挨拶以外にも色々な意味があり、会話の節々に登場するマルチプレーヤーでした。
そんなことなど露知らず、何だか釈然としない思いのままバドワイザーのキャップを被った、音無さんとは容姿も性別も真反対な小太りの管理人に鍵を渡され、自分の部屋がある地下へ行きました。
部屋で荷解きをしていると、突然すごい音でドアがノックされました。
「ヤマン! 横の部屋のPだ! ヨロシクな!」
「あ、ヤーマン。ヨシです、よろしくお願いします」
「ノー! ヤーマンじゃない! ヤマンだ!」
「あ、すみません。ヤマン」
「そうだ! ヤマン!」
先ほど挨拶したBさんよりもだいぶ若く見えるP君は、真っ白な歯を見せて、両拳を目の前に出しました。
顔を少し傾けて、ちょこんと手を出した様子は、まるで選手を迎える原監督。
このチームに来てから、まだ1本もホームランを打てていない自分は不器用な気持ちで両拳を突き合わせました。
あれれ、ここ、一刻館じゃない。
江戸川さんの鼻に付く「あれれぇー」ではなく、切羽詰まった「あれれ」が思考を埋め尽くします。
自分の仕事が始まったのは5月。長い冬が明け、ちょうどホテルが忙しくなる時期で、カナダ国内、そしてジャマイカやバルバドスなどカリブ海の国々からも、たくさんの人数がこのホテルへ働きにやって来ていました。
自分の車を持っている人はアパートや少人数制のシェアハウスなどを借りていましたが、季節限定で国を超えてくる労働者、そして移動手段を持たない若いインターン生達は会社への送迎シャトルがあるこの社員寮に住んでいました。
因みにこの社員寮、1階は比較的に年齢が高めの落ち着いた方達が暮らしていて、地下は若い従業員や学生などの、パーティーフォォーな方達で占められていました。
入居当時、31歳だった自分に割り当てられたのは、地下にあるリビングルーム aka パーティールムの真ん前の部屋……。内弁慶な自分のフォーに対するシンクロ率は、限りなく透明に近いゼロ。
苦行生活、決定です。
我慢はしました。やってやれないことはない、と自己暗示をかけ、耳栓をはめる、イヤホンをして音楽を流しながら寝るなど、色々試したのですが、ことごとく効果はありません。
彼らのパーティー、半端ないんです。リビングにあるテレビから流れる大音量のパーティーチューン。アゲアゲ、ノリノリなチャント。明日の仕事に響かないんすか?
若さは、一種の麻薬です。
ここ、一刻館じゃない。
ていうか、ツルモク独身寮でもない。
うるさい、なんてものではなく、マジ半端なかったです。
(ヤマンなノリでレゲエバリバリ! と思いきや、半狂乱的に騒いでいるのは、ブリブリに決まった若いカナダ人学生が多く、ヤマンなブラザーさん達は混ざりはしますが、基本ソファーに座って飲んでいるのが印象深かったです)
正直、限界でした。「音を下げて欲しい」と結構頻繁に頼んだんですが、30分もするとあら不思議、元に戻ってしまいます。マリックもビックリなハンドパワー。
入居して1ヶ月も経つと、自分は寝る時間になるまで、歩いて15分ほどの近所の公園へ行くようになりました。現実逃避です。
そこは湖に面しており、とても静かで、寮でのカオスが嘘のように天国じみてました。心が乱れに乱れた毎日を過ごしていた自分は、そこにある木の桟橋の先端で瞑想を始めるようになりました。
瞑想、といっても正しいやり方は分かりません。ただ、楽に座って目を閉じ、湖から聞こえる小さな音に集中していました。
そうすると、気持ちがすっごく楽になるのです。蚊に刺されまくりましたが、スゥーッと怒りとストレスが抜けていくようでした。
ただ、それも一時の儚き夢。
家に帰れば、今夜もパーティーフォーです。
(そんな場面を毎日見せられていたせいで、一時期、自分は若いカナダ人不信になりました。なぜ、この人達はこんなに飲んで荒れるのか、と。今は文化を知って、少しは理解できます。騒いでいたのは、初めて親元を離れた若い学生ばかり、はっちゃけたかったんです、きっと。自分は日本で生まれ育ち、元々パーティーパーソンでなかっただけで、もしカナダで生まれ育ち、同じような境遇だったら、もしかしたらフォォォーとしていたかもしれません)
出よう、この一刻館を。
自分なりに地域のクラシファイドを色々と調べ、シャトルバスの通り道で、値段も何とかなりそうな場所を見つけました。騒音生活、サラバです。
そう、サラバ……なはずだったのですが、全て手筈を整えた状態で小太りバドワイザーへ報告に行くと、「君、契約書にサインしてるから、10月まで出れないよ」という塩対応が返ってきました。しょっぱくって、血糖値が上がります。
リアル、「ハンコくれよ」の世界。
出れない、この騒音地獄から……。あんまりだ、バドワイザー。
「返金を求めないなら、ご自由にどうぞ」という追加の盛り塩を頂きましたが、こちとら学生ローンだった身、タカとユージと一緒にアブナイ橋は渡れません。
仕方がないので、自分にユワシャな人々を憑依させて交渉し、どうにか1階にある角部屋に移動させてもらいました。
廊下で乳繰りあう輩もいなければ、Fワードのシャウトもスナック「みすず」の下手なカラオケ程度にしか聞こえない角部屋。ミラクルヘブン。下の階から突き上げてくるようなベース音も、真ん前の部屋にいた頃に比べれば、どうって事ありません。
むしろ心地いい。遠くの祭りの太鼓と同じです。
風が、いい風が吹いてきている。
心の平穏と共に、幸運のビッグウェーブを感じました。
実際、ありがたいことに1階に移ってから、嘘みたいにこの社員寮が住みやすくなりました。それは、騒音が遠くなったのが理由ではありません。ここへ来た時、一番最初にヤマンをした、Bさんの存在が、滞在の意味を大きく変えてくれました。
そのことが、あそこへ滞在した間の自分の呼び名遍歴に現れています。
名称変化図
チャイナ → ジャパン → サムライ → サムライヨシ → ヨシ → ミスターヨシ
ダラダラと長くなってしまったので、名称説明を含め続きは次回に書きます。
ありがとうございました。
(楓をバックに、交差する2本の飛行機雲。カナダでよく見る薄い青空です)