家の近くにあったレンタルビデオ店は、「TSUTAYA」ではなく、「すみや」だった。
店の内装や雰囲気は駅前にあったTSUTAYAの方が洒落ていたが、私はアットホームなすみやが好きだった。
閉店間際に行って映画を3本借り、すぐ横にあったセブンイレブンでチェリオのライフガードと午後の紅茶レモンティー、牛カルビ弁当とおにぎり2つを購入し、国道沿いの自動販売機でタバコを3箱買って帰宅するのが私の定番だった。
映画はもちろんのこと、CDの購入も殆どせずにレンタルばかりを行なっていた私にとって、すみやは巨大なジュークボックスであり、映画館でもあった。
当時の私は、年がら年中行動を共にしていた集まりの影響で「売れ線=悪」という歪んだ思想に侵されており、すみやジュークボックスのプレイリストでは満足できなくなっていた。
クリックひとつで何でも買える社会が訪れる前の旧世界、箱型Windowsを未来のツールだと認識していた私は、自分の望みを叶えるため、重い腰をあげて電車に乗った。
古着のセーターにLevi's 501、には手が届かなかったのでLeeのジーンズを合わせ、街に出る時だけ箱から出したエアマックスを履いて向かったのは、タワーレコードやディスクユニオン。背伸びのしすぎで足は疲れたが、欲しくて堪らなかったCDを手にした充実感と共に下り電車に揺られるのが好きだった。
アキレス腱を伸ばして背伸びをするのは服を買いに行く時も同じで、お決まりの自己ベストに身を包んで下北沢の駅におりていた。
何てことはない、ひと昔前の風景。
インターネットは存在していたが気軽に声をかける間柄ではなく、情報の殆どをテレビや雑誌から得ていた。いつでも知りたい時に知りたい情報が手に入るわけではないため、その正確さは曖昧で、店の営業時間や在庫情報などは出たとこ勝負、せっかく足を伸ばしたのに目当ての商品が置いていないなどということもよくあった。
でも、今は違う。
上に述べた店や在庫の情報はもちろん、何なら実際に足を運ばなくても、クリックひとつで望みの商品を自宅まで届けてくれる。しかも新品だけではなく、お財布に優しい中古品までその状態の詳しい説明付きで販売してくれるのだ。これでもうお手頃価格の小説や漫画を求めてブックオフ巡礼する必要も、趣味の本を探しに有隣堂を歩き回る必要も、その有隣堂にも置いていない雑誌を求めてヴィレッジヴァンガードの門を叩く必要もなくなった。私たちが手にする情報はとても正確で、間違いはほぼない。だから、買い物に関しての失敗は少なくなった。家の中でポチッとすればよいので、着飾る必要もなく、パジャマの裾を靴下にインしたスタイルでそれっぽい服を購入できるようになったのだ。私たちが享受する便利さに反比例して、煩わしさや失敗、背伸びや恥はどんどん減っていった。
あの頃から見れば、今の状況は未来そのものだ。小さい頃におさがりでもらった本に描いてあったようなピタピタの宇宙服や空飛ぶ車を目にすることはないが、確実に私は今、未来世界を生きている。
そう、生きている、未来を生きている、そう思っていた。これが未来なのだ、私はそう思っていたが、何だか違うみたいだ。
2020年、COVID-19がどこからともなく現れた。このウイルスは凄い勢いで世界中に広まり、ここ数ヶ月で私の見ていた景色を飲み込んで変えてしまった。
3月16日、カナダ政府の声明に合わせるように、私の勤めている会社は一部を除き完全冬眠に入った。あれから約1ヶ月。まだ稼働している部署に移った私は、異世界のようになった街に通い、消毒液の匂いに囲まれてる。
PC、電話、椅子、机、ペン、ドアノブなど、ありとあらゆる箇所をサニタイズし、ボォーッとしながら会社のインスタグラムを眺めていると、街の地ビール会社がドローンを使って注文客の家のバックヤードに商品を届けている映像が流れてきた。きっとプロモーションの一環なのだと思うが、その光景は、私の知っている未来ではなかった。
いつか来るであろうが、今すぐには来ないであろうと考えていた近未来の風景。私が認識していた未来は、その映像を見た時点で、もう未来ではなくなってしまった。
この混乱の後に、きっと世界は変わる。
不衛生で危ないものだと認識されてしまった紙幣やコインも、今後登場回数を減らすだろうし(現時点で多くの店舗が受け取りを拒否している)、食品を含めた日用品のデリバリーも、その数を飛躍的に増やすのだろう。人が運ぶ必要のないものは機械が運び、レジや受付、一般的な銀行業務なども今以上に人を配置する必要がなくなる。
ワークスタイルだってそうだ。これを機にテレワークが伸びるだろうから、出勤という概念そのものが変わっていくのだろう。
カセット、CD、CD-R、MD、そしてMP3。
すみや、ディスクユニオン、タワーレコード、そしてiTunes Store。
再生プレーヤーと店を変えながら、アナログとデジタルを泳いできた。
インターネットの魔法が使えるようになるまで、紙をめくり、チャンネルを変え、曖昧な情報を抱えたまま電車に揺られて歩き回り、目当ての本や音楽や服を購入してきた。
そのどれもが遠回りで面倒だったけれど、目当てのものを得られた時は心の底から嬉しかった。
正直、現時点でも充分過ぎるほど未来なのだが、世界はそのままでいる気はないらしい。
ニケツで自電車を漕いだ安藤政信と金子賢よろしく、旧世界という名の校庭をグルグル回っていたかったけど、どうやらそうもいかないみたいだ。
だから、先に別れを言っておく。
サラバ、私が見てきた世界よ。
前情報なしで入ったラーメン屋、クソまずかったな。
今はレビューが見れるけど、そんなもん無視してまたフラッと入ろうな。
またすぐ思い出すから、それまで元気でな。