ここにいるよ

 駐車場のライトに照らされた車体が汚れている。

 泥で出来た線を指先で擦り、ユウタは運転席のドアを開けた。

「はい、ミルクティーとチョココロネ。ミニクロワッサンはなかったから、代わりにチョコデニッシュ買ってきた。好きだったろ?」

「うん、ありがと。デニッシュか、確かによく食べてたね」

「違うのがよかったか?」

「ううん。これでいい。ありがと」

 ミサキは受け取ったビニール袋を足元に置き、ショルダーバッグから財布を取り出した。

「いくらした?」

「いいよ、別に」

「いくらよ?」

「いいって。大したもんじゃないから」

「こういうの、ちゃんとしたいから。いくら?」

「ミサキ、いいから。お前、そういうとこ何にも変わんないな。菓子パンぐらい黙って受け取れよ」

 ペットボトルの蓋を開けたユウタは、お茶を一口飲んでから座席にもたれかかった。

「分かった。ありがとう」

「中身はあれだけど、見た目は、少し変わったな」

「え?」

「だから、外見。でもまぁ、普通に考えてそうだよな。あれからもう五年だもんな」

「そうかなぁ。別に変わってないと思うけど。しばらく見てなかったからじゃない?」

「なぁ、ミサキ。何で帰ってきたんだ?」

 嗜めるような口調で話したユウタの声が聞こえ、ミサキの体は固まった。

「電話で話した通りだよ。仕事を辞めたから」 

「仕事辞めたからって、帰ってくることないだろ」

「分かってる。ただ、近くに用事があったからちょっと寄っただけ」

 ミサキは手に持っていたデニッシュを袋に戻した。

「長居なんて、するつもりないよな?」

 ゆっくりと声を出したユウタは、確認するようにミサキの顔を見た。

「ないよ」

「持ってる荷物、多くないか? 向こうの部屋は引き払ったのか?」

「少し前にね。でも大丈夫、ここに戻る気なんてないから。さっきも言ったでしょ? 近くに用事があったから来ただけ。それに、この前の電話でユウちゃん相当落ちてたでしょ。それが少し気になって」

「俺が? 何の話だよ?」

「サカマキのおじさんのこと。あんなに落ちてたの、電話するようになって初めてだったから」

「そうか。何か悪かったな」

「いいよ別に。思ってたよりも元気そうで安心したから」

 

 コンビニの入り口付近で制服を着た三人の学生がはしゃいでいる。その様子を横目で見たユウタは、大きく息を吐いて視線をフロントガラスに移した。

「モリタはまだ入ってるけど、タハラとカジタニが出てきた」

「そう。カジタニは分かるけど、タハラまで?」

 ミサキの声のトーンが上がった。

「あぁ、俺も驚いたよ。たったの五年。想像以上の速さだ」

「二人ともまだこの街に?」

「いると思うよ。実際に見たわけじゃないけど、狭い街だからな。色んな話が入ってくるよ」

「そうだろうね。タハラなんてあの親だから、一生働く必要ないしね」

 ミルクティーの香りが仄かに漂う車内で、ミサキは「バカみたい」と呟いた。

「あの二人が出てきたせいで、また事件の話題が増えた。朝から晩までうるさいもんだ。しかしどうして人は人の噂が好きなんだろうな。ただただ、迷惑だ。結局変わんねーよ。何年経とうが、この街は」

「そもそも、何でこっちが身を隠すような生活をしなきゃいけないのよ。私たちは被害者でしょ? あることないこと書かれたことだって、訂正されたじゃない。なのに何でまだ陰口叩かれなきゃいけないのよ」

 ミサキの声が薄暗い車内に響く。後に続く沈黙が圧となり、辺りの空気を薄くした。

「イメージだよ。一度ついたイメージは、いくら洗っても落ちやしない。それが本当だろうが嘘だろうが関係ないんだ。特にこんな街じゃな」

 ユウタが言葉を吐いてから少しして、隣から笑ったような声が聞こえた。それは微かだったが、確かに聞こえた。

 不可解な音に引き付けられるように顔を向けると、ミサキが力の抜けた笑みを浮かべていた。

「さっき被害者って言ったけど、私は違う。私は、一緒。ユウちゃんはそうじゃなくても、私はあいつらと一緒。違いなんてない」

 ミサキはそう言って、首を振った。

「一緒って、どういうことだ?」

「一緒は一緒。それが分かったから、怖くて仕事を辞めたんだ」

「だから、どういうことなんだって。それ、ちゃんと説明しろよ」

 湧き上がる苛立ちを抑えるように、ユウタはペットボトルに入ったお茶を飲み干した。

「ごめんね、ユウちゃん。やっぱり、ひとりで抱えるの無理みたい」

「何で謝んだよ。とにかく、どんな話でもいいから話せよ」

 ユウタは深呼吸をひとつして、まっすぐ座り直した。

「本当に、ごめん。……電話でもよく愚痴を聞いてもらってたけど、半年前くらいに二人の先輩が辞めてから環境が酷くなったの。担当する利用者も増えるし、泊まり込み勤務も増えるしで、もう限界だった。そんな時、新しく個室で入ってきた認知症のお婆さんがいてね。その人が、夜中に何度も私のことを呼び出すの。最初はちゃんと部屋に行ったよ。何か緊急だったら大変だからね。でも、そのお婆さん、私が行くと、口を半開きにしてこっちを見てるだけなの。『どうしたんですか?』って声かけても何にも言わなくて。呼び出す時は、ちゃんと話せるのに。そんなことが何度か続いて、呼び出しも無視するようになってたんだけど、違う利用者さんがトラブル起こして大変だった夜に、また連絡があって。私、頭にきて、部屋に行って怒鳴ったの。でも、結構強く怒ったのに、その人、何の反応も示さなくて。またいつもの、ボォーっと口を半開きにしたまま。何かその姿を見てたら、無性に腹が立って怒りを抑えきれなくなった。私、気付いたら、そのお婆さんの頭を叩いて、手の甲を凄い力でつねってたの」

 下げていた顔を上げたミサキは、気持ちを落ち着かせるように両手で顔を擦った。

「あぁ、とうとうやっちゃったって思って。次の日に問題になって呼び出されるのを覚悟してた。だって、前に十年以上勤めてた人が、利用者さんの顔を殴って家族からのクレームでクビになったことがあったから。でも、私は何のお咎めもなかった。だから、私は仕事を辞めなかった。ここで辞めたらこの街を離れて築いてきたものが全部無くなっちゃう気がして怖かった。またあの日々に戻る気がしたから」

「大丈夫か?」

 ミサキの呼吸が浅くなったことに気付いたユウタは、彼女の目を覗き込んだ。

「大丈夫。それで、結果的に私は仕事も、そのお婆さんに関わることもやめなかった。もう絶対手をあげないって、その時は心に誓うんだけど、日々のイライラが溜まって呼び出された夜は、私、また同じことをしてた。しかも、今度はもっとズルくなって、ぶたない代わりに体の目立たない部分を思いっきりつねることにした。そうすると、そうするとね、凄いスッキリして……私、その時、自分がモリタたちみたいだなって思った。今でも夢を見るの。夜、真っ暗な廊下を歩いている自分の姿を。そのお婆さんの部屋を目指して、誰もいない廊下をツカツカツカって、こう、前傾姿勢で歩いてる。彼女の部屋の手前に資料室があるんだけど、そのドアのガラスに私の横顔が映るの。目が据わってて、何ていうか、獲物を狩る前の動物みたいな顔。映ってるのは私の顔なんだけど自分じゃないみたいで、とにかくその顔が、襲われた時に見たモリタたちの顔と一緒だった」

 早口でまくしたてたミサキは、息を整えて祈るように両手を組んだ。

「そこを辞める最後の週は、毎日そのお婆さんの部屋に行くようになってた。何でか分からないけど、毎日やられてるのに、お婆さんは私を呼び出した。それで部屋に行くといつも通り口を開けてるんだけど、私が一歩一歩近づくと、急に思い出したかのように怯えた顔になるの。最後の日の夜も、そんな風に彼女の部屋に行って、近づいて座ってからふくらはぎの裏を目一杯つねったの。いつもはね、そのお婆さん『うぐぅぅ』とか『あがぁぁ』とか言って耐えてるだけなんだけど、その日は、こっち向いて『ごめんね、もう大丈夫だよ』って言ったの。心臓が止まりそうなくらいビックリして、そのお婆さんの顔を見たら、泣いてた。そして、すごい優しい顔で、私の頭を撫でたの。私、つねってるのに。私の頭全部を、ゆっくり、何度も撫でてくれて……」

 ミサキの涙腺が緩んで、顔がグチャグチャになった。

 それから、ミサキはしばらく泣いた。声を出さずに、肩をゆらして泣いた。

「あいつらの中にあるものが、私の中にもある。それが分かった時、怖くて堪らなくなった。このままだと私がそいつらに食われてなくなっちゃう。同じになっちゃうって思った。だから辞めた。これ以上、私があいつらと一緒になるのは絶対に嫌だったから仕事を辞めて、アパートも出た。ごめんなさいって、いつも祈ってる。本当に申し訳ないことをしてしまったから」

 両手を固く握ったまま話し終えたミサキは、深くうなだれた。

 

 小さな呼吸を繰り返すミサキの肩越しに、閑散とした駐車場を見る。

 胸が締め付けられた状態で、ユウタはその空間にミサキの浴衣姿を浮かべた。

 高校二年の夏。初めて二人で出かけた場所は、地元の夏祭りだった。幼い頃から実家の二階で見る花火が一番綺麗だと思っていたが、その日目にした花火は、今まで見たこともないような美しさで夜空を照らしていた。

 事件が起きたのは、それから十ヶ月後のことだった。

 同じクラスの男子生徒三名に襲われ、集団強姦の被害にあったミサキは、その日を境に学校から姿を消した。

 犯人たちが正式に逮捕される前に、ユウタは警察署から呼び出しを受けた。取り調べを受けていた実行犯の三人が口を揃えてユウタの名前を出したからだ。

『コイズミユウタから日常的にいじめを受けており、今回の強姦も彼の指示によるもので断れなかった』

 学校では犯人たちの供述と真逆の立場に置かれてたユウタは、自分にかけられた嫌疑を即座に否定したが、彼らの証言を裏付ける生徒が現れて話がややこしくなった。

 その時は普段のユウタの状況や、犯人たちが行ってきた悪事などを詳しく説明してくれる先生がいて事なきを得たが、彼らが逮捕されてからも、犯人たちの冤罪説やコイズミユウタ真犯人説、さらにはミサキとユウタが企てた美人局説などといったデマの数々がネット上に書かれた。

 狭い街で尾鰭が付いて広がっていく噂。事情をよく知らない人たちにとって、そのゴシップは甘い蜜だった。高校生たちが起こした事件というセンセーショナルな見出しに加え、この話題が地域社会に浸透していった背景には、犯人の一人であるタハラの父親が地元の名士だという事実も少なからず影響していた。

 

「ユウちゃん、これ」

 ミサキはゆっくりと上体をあげ、ズボンのポケットから一枚の紙を出した。

 

 

出来ることなら、理性を捨てるな

出来ることなら、飲み込まれるな

出来ることなら、恨んで生きるな

 

 

「おじさん家に行ったのか?」

 言葉を出した後に、ユウタは息を飲んだ。

「うん。お線香をあげに。その紙、車の鍵の下に畳んであった。どうやってあんなものを手に入れたか分からないけど、トランクにあったものは全部処分したから」

 ミサキが言い終わるのを待たずに、ユウタは目を見開いた。

「処分したって、どこに?」

「玉鈴川に捨てた。大丈夫。ちゃんと、周りに人がいないのを確認して捨てたから」

「捨てたってお前、え? あれ手に入れるのにどれだけ苦労したことか……」

「ユウちゃん、嘘ついててごめん。どうやって切り出していいか分からなくて。本当は、サカマキのおばさんから連絡をもらったんだ。ユウちゃんのことと、セダンのトランクに入ってるもののこと。おばさんすごい心配してた」

「お前、何でだよ。お前が帰ってきたら――」

「ユウちゃん。ユウちゃんは、あいつらみたいになっちゃダメ。気持ちはありがたいけど、復讐なんてしなくていい。そんなことしたら、この街に溢れているデタラメな噂を後押しすることになる」

「でもそれじゃ、あん時潰された気持ちがーー」

「ねぇ、私はここにいるよ」

 ミサキは体勢を変え、ユウタを正面に見据えた。

「私は生きて、ここにいる。まだ死んでない。だから復讐なんてしなくていい。私は生きてるから」

 ミサキは頭を下げて続けた。

「実はずっと考えていることがあって。あいつらが出てくる頃にしようと計画してたんだけど。ユウちゃん、私と一緒に外国に逃げない?」

「外国?」

「別に悪いことしてないから逃げるって表現は変かもしれないけど、この街っていうか、もういっそのこと、この国から逃げるの。それで、誰も私たちのことを知らない場所で生きてく。それが全部を断ち切る手段だって思うんだけど、ダメかな?」

「ちょっと待って。え、何言ってんの?」

「大丈夫。すぐにって訳じゃないから。本当はすぐにでも行きたいけど、予定してたお金が貯まってないから、もう少し働かなきゃいけない。ビザのこともあるから、あと一年後くらい」

「ミサキ、ちょっと待て。急すぎて頭が追いつかない」

「だから、すぐにじゃないよ」

「いや、そういうことじゃなくて」

「ダメかな?」

「ダメ……な訳がない。ダメな訳がないんだけど、その前にはっきりさせなきゃいけないことがある」

「何?」

「もうそんな機会はないって思ってたけど、いつか伝えたいってずっと思ってた」

 一旦、誰もいない駐車場を見詰めたユウタは、息を吐いてミサキに向き合った。

「かたをつけなきゃいけないって生きてきた。それがけじめだって。別にこの街に未練なんかない。ある訳ない。俺とお前が生き直せるなら、海外だろうがどこだろうが構わない。どこだって行く。どこでも行くから、だから、俺ともう一度付き合ってくれないか」
 

 頭を下げたユウタの肩に沈黙が乗っかる。

 その重たい感覚に耐えきれなくなり顔をあげると、大人びた表情をしたミサキがいた。

 

「何言ってるのユウちゃん。しばらく離れたけど、私たち、一度も別れてないよ」

 

 

 

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