夏をやってない

ハッとして目を覚まし

通りに近い窓を開ける

 

緑を覆う色あせた枯れ葉 

喉に飛び込む息は冷たい

 

薄く横に伸びる雲

縦に登れず空を這う

 

確かにここにあった夏

それなのに

僕は夏をやってない

 

バケツに飛び込む手持ち花火

生み出す音が夜を鎮める

 

咲き終わりに残る白いライン

暗闇に写す向日葵の花びら

 

もう 

何年見ていない?

 

市営プールの帰り道

夕焼けに交わる塩素の匂い

 

天に浮かんだ七色の曼荼羅

オレンジの雲は何にでも化ける

 

灰色へと続く通学路

遠くに見える工場の煙

 

もう

何年帰っていない?

 

特別が日常になり

御馳走への距離が縮まる

 

不便や貧困を崇めない

でも

スイカに種があったっていい

 

僕は夏をやっていた

 

一人でいても

家に帰らなくても

 

僕は夏をやっていた

 

夜明け前に飛び出す国道

車の列をやり過ごし

瞬間を逃さずシャッターを押す

 

大した写真は撮れてない

それでも

そこには夏があった

 

制服を着替えて家を出る

目指す先はデパートの屋上

 

夕陽に幕が下りたなら

蛍光灯がその目を覚ます

 

出っ張ったコンクリに足をかけ

ビルを使って描く地図

 

あんなに頭を乱されて

あんなに体を取られた街が

小さくなってひかり輝く

 

現状は何にも変わらない

それでも

そこには夏があった

 

僕は座ってた

 

拝殿の裏に

高架下の隅に

 

僕は見つめてた

 

水面に浮かぶ金魚を

干からびたカマキリを

 

扇風機に押されて歌う風鈴

宙に響く祭りの太鼓

 

確かにそこにあった夏

 

収まらない感情の避難所 

それが僕の夏だった

 

ネクタイを締めて夏が消えた

お金と引き換えに夏が消えた

 

いや

 

そんなことはない

 

僕が夏を消した

 

言い訳ばっかり口にして

 

僕が夏を消した

 

***

 

休みを取った

 

ドリンクホルダーに炭酸を入れ

アスファルトを三時間踏んだ

 

土砂降りの後に赤が出て

黄色と混ざって青黒になった

 

寄り道をして超えた坂

ひらけた先に夏があった

 

気温五度の温水プール

十二年間を肌で取り込む

 

大好きな逆立ちをした

誰もいないのをいいことに

気の済むまで逆立ちをした

 

耳に水が流れ込み

感覚が狂って夏になった

 

もう若くはない

 

何が必要で

何が不要か

 

心が求めてるものしか欲しくない

 

人目を気にして震える代わりに

夏を残して奥に潜ろう

 

比べて鼻を伸ばす代わりに

残した夏で想いを繋ごう

 

進んで行きたい道がある

余計なものはもういらない

 

取捨選択して始める引き算

 

執着ばかりで埋まった容量

腰を下ろして紙に書き出す

どれだけ記憶を削っても

戻った夏は二度と消さない

 

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衝動は、ここにいる

クリップで留めた感情は

夜を越えない

 

湧き上がる衝動と会話がしたいから

柔らかいクッションは取っ払った

 

遠慮なく飛び込む刺激は

たまに痛いほどだけど

とにかく朝を迎えたかった

 

喜怒哀楽に 

邪と欲

 

そのままの形で出てきた思いに

自分の全てをぶつけたい

 

頭を強く揺さぶる曲に

深く引き込まれる文章

ハッと心をえぐる絵に

過去を連れてくる写真

 

胸の内側が溢れたなら

下手なステップで床を滑ろう

 

記憶がうまく収まらないなら

意味もなくハイウェイを飛ばそう

 

何かが背中をつつくなら

家の周りをグルグル回ろう

 

仕事帰りに見つけた景色を

追いかけたっていいんだ

大丈夫

ご飯の支度が遅れるだけだ

 

絵が描けないから文字を書く

音が作れないからストーリーを創る

 

大声で気持ちを叫ぶ代わりに

毎日たくさん写真を撮るよ

 

 

あなたのことが大好きだから

親しみを込めて「友」と呼ぼう

 

 

なぁ 友よ

衝動は息をしているか

 

なぁ 友よ

雑音なんか気にしないでくれ

 

なぁ 友よ

襲い掛かるような情熱を

真正面から受け止めたならば

もっともっと表現できる気がするんだ

 

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取っ払う

枠には入れなかった

 

入らなかったのではない

 

入れなかったのだ

 

 

はじき出されて 何を想う

普通を横目に 何を想う

 

 

付いたレッテルはどうでもいい

それが意味をなさない事は 

ここまで生きて身に染みた

 

付けられたレッテルも気にしない

そんなものは

他人にひとときの優越感を与えるだけだ

 

でも 人は忘れていく

どんどん気にせず 忘れていく

 

ならば

すり寄った時間は幻か

抱えた苦悩は無駄死にか

共存しようと付けた飾りは

もはや無用の長物か

 

 

だったら

枠には収まらない

 

収まれないのではない

 

収まらないのだ

 

 

ネクタイは締めなくていい

いつかそれで首を括るのなら

 

傘は差さないでいい

いつかそれで他人を突くのなら

 

男にも女にもならなくていい

その役割に押しつぶされるのなら

 

 

雨に濡れても

そのまま歩こう

 

寒くないのなら

このままずっと歩いていこう

 

大丈夫

もう その枠は要らない

 

無理して中に居なくても

確かに存在していけると

時間を掛けて分かったのだから

 

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嫁に頭が上がらないわけ

2月14日、カナダでは今日がバレンタインデーでした。

この日は大好きなチョコレートの日であると同時に、自分たちの結婚記念日でもあります。

同じ名字になってから11年目の記念日、自分は今年も仕事でした。

 

籍を入れる時、忘れないようにと分かりやすい日を選んだのですが、こちらに来て2人ともホスピタリティ業界に就職したこともあり、このアニバーサリーを満足に祝えていない状態が続いています。

嫁さん、正直すまない。

 

カナダでは(きっと、他の英語圏の国々でも)夫婦間のバランスを表す決まり文句に:

「Happy wife, Happy life (嫁が幸せなら、自分の人生も幸せ)」というフレーズがあります。

あくまで個人的な見解ですが、自分はこの慣用句に白旗を上げて100%同意します。

 

結婚して、今年で11年。

タイトルにもある通り、自分は嫁に、全く頭が上がりません。

 

今ここで「嫁」なんて気安く言ってますが実際の心情的には嫁さん、いや、嫁様です。

上の一文を冷静に見ると、ドMさんが書いているイメージしか湧きませんが、自分は決して、Mさんグループに属している訳ではありません。

では、なぜ自分が「嫁様」などという言葉を用いたのかは、以下の「夫婦間のパワーバランス推移」を見ていただければ分かってもらえると思います。

 

嫁と一緒になって11年、そしてカナダに移住してからも、同じく11年が経ちます。

つまり自分は、こちらに来るホンの少し前に、彼女と籍を入れました。

出会って半年で決意した結婚。

ちなみに婚姻届を出した時点のパワーバランスは、「50:50」のイーブンです。

 

結婚してすぐ、自分は嫁に背中を押され、以前記事で書いた小学校へ1年間の任期で赴任しました。

ここでの仕事はボランティア。給料は出ません。

まだこの時は移住するとは決めておらず、尚且つ、帰国してからのプランはありませんでした。

今、振り返ると、完全な暴走行為です。

結婚して2ヶ月しか経っていないのに、自分の背中を押す嫁も嫁ですが、行く方も行く方です。

ということで、自分の無謀な選択にも関わらず、この時点での力関係も奇跡の「50:50」キープです。

 

赴任地であるストラットフォードでは、当初、同僚の先生の家に住んでいましたが、学校が夏休みに入り、「こんな経験は、もう二度と出来ないかもしれないから、自分が居る間に生活しにきなよ」と、金もないのに一丁前に嫁に声をかけて呼び寄せてからは、その先生が所有するアンティークハウスに二人で住まわせてもらう事になりました。

 

街の中央を流れる大きな川沿いにある、アンティークハウス。

こう、文章に書くと何とも素晴らしい響きなのですが、そのドリームハウスは、何と現在進行形で改装中でした。

しかも、その直し具合が半端なく、アンティークハウスの名に恥じぬ、築80年はいっているのではないか、と思われしき建物を「リホーム」などという言葉が泣いて逃げ出すほど分解して「リビルド」していました。

その上、アンビリーバボーなことに、その改装は業者がやってるのではなく、同僚の先生の旦那さんが彼の弟と二人で仲睦まじくスローなペースで作業していたのです。

 

全く、終わりが見えない。

というか、絶対、終わらない。

 

つまり、玄関あけたら、「柱もねぇ、壁もねぇ、床板まともにハマってねぇ」という、リアル吉幾三ワールドでした。

そんな訳ですから、もちろん室内は「テレビもねぇ、ラジオもねぇ、インターネットは何者だぁ?」となっており、とても21世紀とは思えない新婚生活を、そこで送る事となりました。

(ネットは後で先生の旦那さんが「隣の家の無線LANを拝借」という荒技を無断で実行し、供給される事になります)

 

大きな家だったんです。

今までの人生で目にした事が無い程の大きな家だったのですが、1階、3階全域、及び屋根裏、地下の簡易キッチンを除く全てが改装のため使用不可で、唯一、残された2階が、自分たちの居住スペースとなりました。

 

当時、非常に少ないながらも家賃を払っていたので、この状況に文句を言う事も出来たのでしょうが、他にツテもアテもない上、1年目で英語に自信がない自分は「文句を言わない日本人」を見事に演じきってしまいました。

自分の体たらくと、幾三ハウスでの居住に嫁の不満が一気に上がり(当然です)、ここで初めてパワーバランスが動き、「60:40」になりました(もちろん、60が嫁です)。

この当時の記憶は、以後、何度も振り返る事になるのですが、思い出すたびに、嫁に対して「大変、すみませんでした」という思いしか浮かばなくなります。

 

決して、日本で裕福な暮らしをしてきた訳ではないのですが、あの1年間の生活は、文字通りきつきつな毎日を繰り返していました。

書き出すと、とても長くなってしまうので省きますが、1つ例えるならば、二人の初めての結婚記念日のディナーは、ウエンディーズ(日本にあるのかは分からないのですが、マクドナルドと同じファーストフード店です)のハンバーガーセットでした。

あの時、「今日は贅沢したね」なんて言わせてしまい、本当に、申し訳ございませんでした。

そんな状態で過ごした1年間(彼女にとっては約7ヶ月)が終わると、夫婦間のバランスは、「70:30」になっておりました。

もちろん、異存はございません。

自分が好きで来て、思い付きで長期間、呼び出してしまったのですから。

 

さて任期が終わり、「幾三ハウスよ、さらば」という時に、今度は自分が「カナダへ移住したい」と言い出しました。

大変、自分勝手です。

でも、ここに賭けたかったんです。

貧乏はしたけど、この1年間のインターンで、物凄い収穫がありました。

情熱を注げば注ぐほど、成果として現れる。

授業にしても、英語にしても、自分が打ち込んだ分だけ、伸びて、そして周りが結果を評価してくれる。

自分が何者だった、なんて関係なく、自分が打ち出した結果を、皆が見てくれる。

この社会で、生きていきたい。

その思いは日に日に強くなっていきました。

 

嫁は「ご飯を食べさせてくれるなら、どこでもいいよ」と言ってくれました。

神です。

パワーバランス「80:20」確定です。

でも、そんなのバッチこいでした。

彼女は日本で、しっかりとした学歴も職歴もあって、失うものがない自分とは状況が圧倒的に違っていました。

 

嫁は、自分に人生をくれました。

自分には出来ません。

彼女は、とても強い人です。

 

 うまく言えないのですが、嫁は、いつも違う場所にいました。

以前、付き合っていた彼氏が事故で亡くなってしまった影響からか、彼女はいつも「生と死」を深く考えながら生きてました。

 

夏休みに自分を訪ねてこちらに住むようになってから少しして、彼女は持っているビザで無料になる、子宮がんの定期検査を受けました。

「年が年だから、一応ね」彼女はそう言っていましたが、結果は「陽性」でした。

英語も満足に喋れず、周りに家族も知り合いもいない、異国の地で受けた結果。

その後、何度か検査を受け直しましたが、結果は同じです。

ビザで医療費がまかなえるという事で、彼女は最初の手術をこの地ですることを決心しました。

手術といっても一番初めに行われたのは、全身麻酔もかけないもので、自分も側にいれました。

話せる人が自分しかいない国で、ベットに横になる嫁。

手を握ったら、泣きそうな顔をしましたが、泣きませんでした。

 

しばらく時が流れ、何度か術後の検査をパスしましたが、また引っかかってしまいました。

今度はオンタリオ州で一番大きい、がんセンターです。

そして、今回の手術は全身麻酔をかけられるようでした。

 

「私がちゃんと目を覚ますように、祈ってて」なんて言うものだから、色々なことがイメージできて泣けてきました。

 

自分に彼女が以前経験したような「喪失」を受け止められる覚悟も度量もありません。

自分に出来ることは、祈る事と、亡くなってしまった彼氏に、嫁を守ってください、と必死にお願いする事でした。

 

手術が終わって目を覚ました嫁は、「甘いものが食べたい」と言いました。

彼女は、本当に強い人なのです。

 

嫁は自分の過去にあるものを全て受け入れてくれた、初めての女性でした。

やられ方や暴力の差は違えど、彼女も随分長い間自分と同じような経験をしていて、そしてそういったものとずっと戦ってきた人でした。

この人と一緒に人生を変えたい、この人と一緒に先を見て見たい。

彼女の中にある強さに触れて、自分は一緒になる決意をしました。

 

嫁は手術の事があった後でも、「この地で自分と生きていく」と言ってくれました。

 

彼女は、人生をくれました。

その対価として、一生「100:0」でも構わないと、嫁がくれた言葉の意味を噛みしめました。

 

こちらに来てから、何をするにも、どこに行くにも2人でした。

最初の1年、英語が上手く話せず、心ない人に馬鹿にされ、幼稚園児のように扱われても、2人でいれたから、何てことはありませんでした。

カナダに残れる道を模索して、ほぼ一文無しで引っ越した時も、嫁がいたから心配ありませんでした。

生きていくため、毎日、長時間働く期間がありましたが、とにかく先が楽しみでした。

お金貯めて、カレッジ行って、仕事と勉強の両立がキツかったけど、2人だから、何とかやってこれました。

嫁は移民後に、学校を2つ出て、今はカナダで一番に選ばれたスパで働いています。

 

自分の限界を、いつも簡単に壊してくれた嫁。

「情けないね、あんたの実力、そんなもんなの?」

そう言われ、悔しくて、自分の思い込みを破ってきた。

もう道がないと思えた時も、そんなもの自分で作ればいいと言い放った嫁。

生きていてくれて、本当によかった。

 

彼女は嫁であり、家族であり、一緒に生き抜いてきた戦友であり、親友で、恩人なのです。

 

「Happy wife, Happy life」

バレンタインの朝、自分の机の上に置いてあったブルボンアルフォート。

自分にとっては、どんな手作りチョコレートよりも意味のある宝物でした。

 

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(ストラットフォード時代の散歩道。物凄く寒かったけど、その分、綺麗でした)

行き場のない感情は、どこへ流せばいいのだろう

皆さんには学校や職場、もしくは住んでいる街などに自分1人になれる場所がありますか?

自分は、あります。

というか、新しい所へ行くと、まずその候補地を探します。

 

小さな神社の拝殿裏

人気のないデパートの屋上

決まった駅の階段下ベンチ

誰も使っていない駐輪場

冬のプール小屋

 

ちなみに今の職場で使っているのは、ボールルームの先にある備品室で、そこはドアを開けるのに専用のカードキーを必要とするため、ほぼ確実に1人になることができます。

 

人によって1人になりたい理由は様々だと思いますが、自分の場合は嫌なことや辛いことがあった時、そして、感情の落とし所が分からなくなる出来事に遭遇した際に、上記の場所へ足を向け、じっと気持ちが収まるのを待ちます。

 

行き場のない感情。

悲しいわけでも、寂しいわけでも、憤りを感じるわけでもない。

ハッキリとした表情を持たない思いが心を占めた時、とにかく無性に1人になりたくなるのです。

 

自分がその感情を強烈に意識したのは、22歳になって行った大学病院からの帰り道でした。

見えなくなっても

無くなっているのではない

 

中学、高校を通して山のように溜め込んだ消化不良の塊を無理やり心の端に追いやり、卒業後、逃げるようにして向かったバンクーバー。

誰も自分を知る人がいない環境の中、人生で初めて真剣に取り組んだ勉強がとにかく楽しく、ローマ字で名前も書けなかった英語力は、やればやるだけ伸びていきました。

 

(勉強が楽しい)

 

今まで生きてきて、一度も味わったことのない思いに魅了され、帰国後、独学で入った大学。

元々、高校も出席日数ギリギリで何とか卒業できた状態だったので、進学しようなどと考えたこともなかった自分は、「大学」というものに過剰な期待をしていました。

 

当時、二十歳だった自分は、限りなく無知で、とにかく世間知らずでした。

 

教科書をなぞるだけで進められる、一方通行の講義。

中学、高校と変わらない「学校」という空気。

 

自ら勝手に上げたハードルにつまづいた結果、自分の足は自然と教室から遠のきました。

 

(思い描いていたのとは、違う)

自分の感じた思いを正当化させようと、繰り返し唱えていた言い訳。

 

ただただ、弱かったのです。

本当に強い人は周りに流されません。

理想だけ高く、頭でっかちだった当時の自分は、己の意思を貫く気概を持ち合わせていませんでした。

 

大学のある駅に着いても、ホームのベンチに座ったまま動かない。

構内に入っても、クラスには行かず、図書館に通いつめる毎日。

 

(自分は一体何をしているのだろう)

 

見つからない訳を探すように、デカルト、ニーチェ、ハイデガーなどを読み漁り、時間をかけて必死にノートにまとめたのですが、自己弁護の糧とはなりませんでした。

 

講義に出て、出席表に名前を書く。

そんな簡単な事すら出来ない自分は、人と比べて酷く劣っていて、どうしようもない存在に思えました。

 

終わりのない自己否定によって、バランスを崩していく心。

そのタイミングをじーっと待っていたかのように、今まで隅に押しやり無かったことにしていた記憶が突然、姿を現しました。

 

あれだけ頭の奥にいたのに、意識した時には、もう目の前です。

 

何度も見る同じ夢。

鮮明に浮かぶ場面。

ずっと誰かに見られている感覚。

奴らが襲撃に来るのではないかという妄想。

鳴ってもいないのに聞こえる、チャイムや電話の呼び出し音。

 

やられていた頃のように眠れない日々が続き、慢性的に不安を感じるようになりました。

 

(頭がおかしくなってしまったのかもしれない)

 

いつも一緒にいた仲間と過ごしている時は、嘘のように気分が晴れやかになるのですが、一人でいるとダメでした。

なので、その頃は暇さえあれば集まり場所に入り浸り、家で過ごす時間は極端に少なくなっていました。

 

睡眠を取りに帰っても、眠れなくて叫び、電話やチャイムが鳴ったと家を荒らす。

十代の時のように内側にあるものを押し殺さなくなった結果、家族に多大なる迷惑をかけてしまいました。

思い返しても申し訳ない気持ちにしかなりませんが、それが当時の自分にできた精一杯の「SOS」でした。

 

「そういう病院で診てもらったほうがいいんじゃないか?」

 

家での様子を見かねた親が、そう提案した頃には、もう大学には通えない状態になっていました。

 

「そういう病院」

今ほど心の病が一般化していなかったあの時代、クリニックなどの存在も知らず、どのようにして診てもらう医者を探せばよいのか分からなかった自分は、あてもなく市内にある大きな大学病院に行きました。

 

勇気を出して受付を済まし、待合席に座ったものの、「精神科」という文字が視界に入り、惨めで心が潰されるようでした。

 

何の知識もなく偏見の塊だったあの頃の自分が、心底嫌になります。

 

極力、顔を上げないようにして過ごした長い待ち時間。

横に座った人の携帯に付いていた、キティちゃんのストラップがこちらを見る度に、帰りたくて、助けてほしくて、イライラしました。

 

やっと自分の番になり診察室に入ったのですが、椅子に座っていた医者を見て愕然としました。

その先生はインターンと見紛うほど若く、とても日に焼けていたのです。

全く、先生然としていない。

 

医者が若くて日に焼けていても問題ありません。

ただ、あのとき座っていた方は、自分が勝手に持っていた精神科医師のイメージと大きくかけ離れていました。

 

(この人で大丈夫なのだろうか)

 

勝手に想像して上げたハードルにつまづく。

自分はまた、同じ轍を踏みました。

 

最初のイメージで圧倒されましたが、とにかく自分は彼が投げかけてくる質問に本気で答えました。

 

これで楽になれる。

状況は劇的に改善する。

 

自分は本気でそう信じていました。

 

今なら分かりますが、無理なのです。

当たり前です、これが初診ですから。

その日に来て、その日にどうこうなる話ではありません。

 

じっくりと時間を取り質問用紙に答えを入れ、過去と今を必死に話しましたが、先生の反応はとても薄いもので、切り返しもどこか曖昧でした。

それでも、どうにかして自分の思いを伝えなければと先生を強く見つめたのですが、その方は自分が話をしている最中に、スッと、時計を見ました。

 

よく分からない顔をして、時計を見たのです。

 

とてもショックでした。

そして、どうしてもその行為を受け入れられませんでした。

 

その先生に非はありません。

冷静に考えれば仕方のない事だと思います。

クリニックではなく大学病院。

後に詰まっている患者。

話を止めない自分。

迷惑と感じられても、仕方がありません。

 

でも、あの診察室にいた自分は、それを一切、飲み込めませんでした。

 

怒りが、こみ上げてきました。

 

(お前に、何が分かる)

(お前なんかに、何が分かる)

 

自分の殻に入る逃げ口上が、頭で響きます。

 

それから自分は、何も話さなくなりました。

何を聞かれても、口を閉ざしたまま。

睡眠導入剤の説明をされても、次回の予定を立てられても、無視です。

そんな調子では、先生も呆れてしまいます。

 

「じゃあ、また辛くなったら来てくださいね」

日に焼けた若い医者は、自分の顔を少し覗き込むようにして言いました。

 

(先生、今がつらいんです)

 

支払いを済ませた自分は、すぐにトイレの個室に駆け込み、自分の腕を力一杯噛みました。

 

なぜ、あの時、腕を噛む行動に出たのか分かりません。

なぜ自分は自分を、あんなにも強く噛んだのか。

とてつもない怒りと悔しさで感情がコントロール出来なくなった、というのは理解できますが、歯型の内出血を残した、その理由が分からないのです。

 

トイレの個室で散々思いを発散した後、放心というか、軽い貧血感というか、何とも言えない感じになりました。

激しく噛んだ腕の痛みで、怒りや悔しさが一気に引っ込んで、抜け殻のような状態。

何かを感じるのだけれど、その何かが分からない。

冒頭に書いた、悲しいわけでも、寂しいわけでも、憤りを感じるわけでもない感情です。

 

どうしていいのか分からないから、1人になりたい。

一刻も早くこの病院から抜け出して、1人になりたい。

 

その場に立ち止まりたくはなかったので、行きに乗ったバスを待たずに歩き出しました。

その病院から、いつもの神社の拝殿裏まではかなり距離があったのですが、その時は構わず歩いて行きました。

 

それからしばらくして、大学を中退しました。

そしてあの日以来、自分は病院に戻ることはありませんでした。

 

今考えても、その選択が正しかったかどうかは分かりません。

 

不安な気持ちはそれからも変わらず続きましたが、可能な限り仲間と会い、嫌な状態が抑えられない時は、無理やり外に走りに行き、部屋で筋トレを繰り返しました。

運動や筋トレをして状態が良くなることはありませんでしたが、身体的な疲労により、それらを紛らわせることは出来たのです。

 

自分はその後、心に巣食っていた「不安」を「怒り」に変えて生きてきました。

恐れとすり替わって生まれた攻撃的な気持ちが高まると、激情に任せてダンベルを上げました。

 

今、この歳になっても、自分はあの時の記憶を許すことができません。

不安に感じることはなくなりましたが、怒りはまだ根を張っています。

ただ、昔と違い、歳を重ねたことで、その経験が創り出した副産物を冷静に見つめられるようになりました。

 

終わりのない空想も、妄想も、あのとき同時に生まれたもの。

果てしない自問自答も、何時間も同じ景色を見続けるのもそう。

自分があの時の記憶をどう思おうが、創り出されたそのものには感謝です。

 

 

行き場のない感情がどこへ流れるのか、自分は未だに分かりません。

カテゴライズ不可能な感情に遭遇すると、相変わらず1人になって気持ちが収まるのを待つだけです。

そこは昔と何も変わりません。

 

37年間生きてきても、心は分からないことだらけです。

この先の人生で、その一つ一つの答えを探せるかどうかは分かりませんが、気持ちを表現し続けて感情の景色を広げていけば、正解ではなくとも、納得できる落とし所は見つかると思うのです。

 

 

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(ストラットフォードの中心に流れるエイボン川。冬になるとその姿を変え、白い砂漠になります)

ハッシュタグ「人間を出せ」

前回の記事の続きです。

yoshitakaoka.hatenablog.com

ハッシュタグ「人間を出せ」の世界。

これ、個人的に十分あり得る未来だと思います。

自分が例えに出した2037年、今から20年後の世界なんですけど、現在の進化のスピードを考えたら、きっと想像以上のデジタルワールドが自分たちを待っているのだと考えられます

20年。

その年月は多くの常識を変えるのに、十分すぎる力を持っています。

 

例えば今から20年前の1997年。

ビジュアル系と初代プレーステーションが世の中を席巻し、庶民レベルの最先端はポケットベルからPHSへ! という時代でした。

個人的には「モード系とは違う個性」と息巻いて、アイビーやモッズスタイルに憧れ、少し背伸びして下北沢へ古着を漁りに行っていました。

それでも流行りに逆らう勇気はなく、品切れ状態だった紺のラルフローレンのベストを探し回っては街を徘徊し、どうにかしてそれを手に入れて安心感を得ていました。

(そんなラルフのベストも、すぐさま先輩に呼び出され献上する羽目になる暗黒時代真っ盛り。体の痛みと新聞配達時の寒さが身にしみます)

 

とにもかくにも、20年経った今、「あの頃」はもう存在していません。

さようなら、たまごっち。

ありがとう、docomoのiモード。

アステルに、DDIポケット、お世話になりました。

 

そう、泣こうが喚こうが、たまごっちをしようが時代は変わっていくのです。

2037年、今ある大部分の職種が人間以外の手で行われているであろう時代、その担い手になるのが作業用ロボット、AI搭載型ロボット、そして人間と見た目が変わらないアンドロイドだと思います(アンドロイドは費用の面で、そこまで普及していると思えませんが)。

それらの機体は、特に製造業とサービス業の分野によく見られるようになり、自分が働いていたホテル業界にもテクノロジーレイバーの嵐は吹き荒れるでしょう。

 

ホテルの現場に置かれたAI搭載機はとても優秀で、客の無理難題も問題なく対処できると思うのですが、文句が人生のお友達である YouはShockな人々は、それで満足できるとは考えられません。

「おぅ、責任者を出せぇい!」と同じ勢いで、「おぅ、人間を出せぇい!」とAI搭載機が並ぶフロントデスクで叫んでいる様子が容易に想像できます。

何を言っても一方的な謝罪しかしないAI搭載機、眼球に埋め込まれたレコーダーによって客の言動を逐一記録するアンドロイド、そんなものよりも彼らが必要としているのは、嫌な顔をされても話を聞いてもらえる不完全な人間なのです。

 

そこで呼び出される度に顔を出さなくてはいけない人間スタッフ、たまったものではありません。

きっと1人、多くても2人しか配属されない人間のフロントデスク業務の内容は、2割が報告書のチェックで、後の8割はゲストの苦情処理なのだと思います。

それはフロントデスクだけに限らず、各部署も同じような状況でしょう。

 

例えば、ホテルのメンテナンス。

実働するのは全て機械、人間はその機体を現場に運ぶのと管理が仕事です(もちろん、クレーム処理も)。

レシービングも一緒。

荷物受け取りから適所への陳列、配達は全て機械。人間は受け取りサインと機体の管理だけ(あと、クレーム処理も)。

ジムにはパーソナルAIインストラクター機能が付いたマシーンがあるので、人間はいりません。

アカウンタントも予約係も、セールスも、みーんな機械。

 

ハウスキーピングだって、問題ありません。

メイドロボットはどんな人間よりも迅速にベットメイクができ、アメニティーも文句も言わず運びます。部屋の外と内側を繋ぐセンサー感知ボックスに物を運び入れれば、ワザワザ部屋をノックする必要もありません。

部屋のドアの横に位置しているそのボックスは、ある程度の大きさがあるのでルームサービスオーダーだって収納できます。しかも、自動温度調整付きなので、食事が冷めたり、ドリンクが温かくなる心配もありません。

先程も触れましたが、運んでくる機械の認証センサーを感知した時のみボックスが開くので、安全面に関してもノープロブレムです。

このように各部署の状況を考えても、クレーム対処以外に全くもって、人間はいらないのです。

 

ただ、レストランやバーはどうでしょうか。

うーん、ここは難しい。きっとその頃には2つの食事スタイルが確立されていると思います。

1つはフードコート形式の完全自動スタイル。調理も提供も全て機械だけで行われます。値段は低めで、支払いはマイクロチップかスマートデバイスを所定のスクリーンにかざすだけです。

もう1つは自分たちが知っているスタイルのレストラン。受付から提供、調理も勿論、人間が全て行っています。バーもきっとこの形。

謳い文句は「100%ヒューマンメイド」

ヒューマンメイド……皮肉にも今使われている意味と真反対の趣旨でその言葉が使用されます。

「いやぁ〜、やっぱし人の作ったもんは違うね〜!」

2037年のレストランで必ず耳に入るフレーズです。

ちなみに、レストランの値段設定は高めで、サーバーにはチップを払わなくてはいけません。支払い方法も少し変わっていて、レストランでは何とまだ紙幣を受け付けてくれます(コインも)。デジタル通貨でほぼ統一されている世界。孫へのお年玉もスマートデバイス経由という味気ない実情を考えれば、奇跡です。客の年齢層が異様に高いのも頷けます。

 

近い将来、世界を大きく変えることになるロボット技術。

機械はとても勤勉で正確です。

アンドロイドは人間と変わらない姿をしていますが:

「タバコ休憩に行くわ」「この週、有給3日ちょうだい」

なんてことは言いませんし、凡ミスもしません。それに職場の人間関係トラブルとも無縁です。

 

特定の職場では必要とされなくなってしまった人間。

機械に職を追われた人は、一体どうなってしまうのか?

 

デモを起こして、機械やアンドロイドを破壊するのでしょうか?

それともベーシックインカムを政府からいただき、何とか生活ができる毎日を送るのでしょうか?

もしくは、その全てを捨ててテクノロジーを拒否し、政府未公認地で田畑を耕すのでしょうか?

 

自分にはどうなるか分かりません。

想像はいくらだってできますが、実際のところは読めません。

でも、読めないからこそ、いくらでも自由に考えられるのです。

 

勝手に考えた20年後の近未来、それまではまだ時間があります。

知識を蓄え、それを有効的に活用する脳の回路を作る時間も、ありがたいことにまだ残されています。

時代の変化に逆らうつもりはありませんが、マイクロチップだけは埋め込みたくないです。

 

「言葉はいらない、チップで語ろう」

有名なアイドルを使ったCMが毎日流れるかもしれません。

 

「かざさないと、見えない世界がある」

渋い俳優の顔が夜空のアドスペースに浮かぶ日がくるでしょう。

 

「チップでチケットを購入すると、私達のスペシャルグラビアが見れちゃいます!」

国民的アンドロイドグループが魅惑のデジタルボイスで語りかけてくる可能性は高いです。

 

それでも、嫌だ。

そのことで、どんなに生活が不便になろうとも、周りから白い目で見られようとも、自分はマイクロチップを埋め込まない。

 

心の自由を取り戻すために、どれだけの年月を要したことか。

夜中に何度、目を覚ましただろうか。

折れた心を立て直すのに、何回バーベルを上げたことか。

 

埋め込むことによって、1ミリでも誰かのコントロール下に置かれる可能性があるのならば、自分は偏屈ジジイとしてこの世にのさばります。

笑われて後ろ指を指されても、心の自由と共に生きていきます。

 

まだ見ぬ、近未来。

色々と想像しながら、楽しみにその訪れを待ちます。

 

なんの根拠もない空想話を読んでくださり、ありがとうございました。

 

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(どんな時代になっても、こんな空を見続けていたい)

ようこそ、ホテル「近未来」へ

「未来」と言っても、何百年も先の話ではなく、何十年先の「近未来」。

例えば、今から20年先の2037年。

地球がどうなっているとかいう話はひとまず置いておいて、一部分にクローズアップ。

映し出すのはホテル。

自分が以前、働いていた場所の20年後の姿。

恐ろしくも興味が惹かれる、そのホテルでのチェックイン模様。

 

《 以下の文は、書き手の勝手な妄想によって書かれており、登場する法律、出来事、機能などは全てフィクションです》

 

ようこそ、ホテル「近未来」へ!

 

今から20年後の2037年。車はまだ世界中の空を飛んでいません。

技術上では実現可能なのですが、法律の整備、政府と民間との間での空中空間権利などが整っておらず、実験的に上空飛行を実施しているバルト三国でしかその姿を見ることは出来ません。

ですので車で来られるお客様は、今でも普通に道を走ってこられます。

ただ、燃料はガソリンではなく水、運転も完全自動となっております。

 

パーキング

お客様がホテルの正面玄関に着きますと、車に標準装備されているタブレットに番号が表示されます。

それが、お客様のパーキングナンバーです。

番号は今記憶されなくても結構です。お客様のパーキングナンバーは、車のタブレットとコネクトされている全ての末端デバイスに自動で送信されます。

クラシック車種(ガソリン車)でお越しになるお客様につきましては、予約の際にご登録いただいた電話番号のスマートデバイスにパーキングナンバーが表示されますので、そちらでご確認ください。

(尚、バレーパーキングサービスは、クラシック車種のお客様限定とさせて頂きます)

 

国からお客様へのお願い

ガソリン車から水電動車への切り替えリミットは、2045年です。

それ以降のガソリン車での公道走行は罰則対象になりますので、切り替えはお早めに。

お車をお止めになった際、指紋認証、及びマイクロチップセキュリティーシステムは必ずオフにして下さい。

利用規約の欄に明記されている通り、お客様がホテルにチェックインされた後、お客様の車は当ホテルのメインホストコンピューター預かりになります。セキュリティーシステムをオンにされたままですと、コントロールエラーが生じ、お客様の車を安全に駐車場へ運ぶことが出来ません。

 

お車をご利用の際は、客室のスマートデバイス、もしくはお客様のスマートデバイスからホテルのリクエストボックスへアスセスし、番号を入力してください。

入力から15分以内に、ホテルのフロントへお車をお運びいたします。尚その際、お車の指紋認証、及びマイクロチップセキュリティーシステムはオンになっておりますので、お手数ですがお車を再度お預けになる際は、必ずシステムをオフにしてからお戻りください。

(お客様が15分以内に乗車されない場合、お車をテンポラリーパーキングスペースへと移動させて頂きます。そちらから再度フロントへ車を回す際、5分ほどの待ち時間を頂きます。尚、リクエストから30分が過ぎますと、お客様の車は自動的にテンポラリーパーキングスペースからメイン駐車場へと移動しますので、お客様のリクエストは無効となります。お手数ですが、スマートデバイスに無効アラートが表示された際は、リクエストの再入力をお願いいたします)

 

ベルサービス(お荷物サービス)

お客様のお荷物は、ベルサービスカートが迅速に、そして安全にお部屋へとお運びします。

お荷物のお手伝いが必要な際は、お近くのベルパーソンへ声をお掛けください。

係りの者がお客様のお荷物を車からベルサービスカートへと移します。

全ての荷物を移し終わりましたら、ベルサービスカートのタッチスクリーンにお荷物を受け取る方のマイクロチップをかざしてください(複数可)。尚、マイクロチップの埋め込みがなされていないお客様につきましては、指紋のスキャンをお願いしております。

お客様の個人認証が済んだ時点で、サービスカートは強化プラスチックで覆われ、お客様の到着より早く、お部屋へとお運びします。

お荷物を受け取る際は、マイクロチップ、もしくは指紋をカートのスクリーンにかざし、強化プラスチックカバーを解除してください。

(自動チェックインが事前にお済みでない場合、到着が遅れる場合がございます)

 

チェックイン

当ホテルは、チェックインフリープログラムに参加しております。

ご予約時にタップして頂いたお客様のマイクロチップ、もしくはスマートデバイスがホテルの敷地内に入られたと同時に、お客様の希望にそったお部屋をご用意いたします。

(混雑時は、ご要望にそえない場合がございます)

お客様がマイクロチップ、もしくはスマートデバイスをお持ちでない場合は、マニュアル型のAIチェックインをご利用いただけます(個人認証に15分ほどお時間が掛かります)。

国からお客様へのお願い

マイクロチップの埋め込みは安全で、あなたの生活を便利にします。

埋め込み後は、マニュアル型の個人認証で時間を取られることも、スマートデバイスの盗難、紛失を心配する必要もありません。

埋め込みに要する時間は1分ほど。費用もかからず、痛みも全くありません。

マイクロチップの埋め込みは、地方自治体のコミュニティーセンターで24時間、365日承っております。

(高齢者のための、訪問埋め込みサービスも開始いたしました)

 

アンドロイドスタッフへの注意点

当ホテルでは、ロビーにあるインフォメーションセンターに2名、29階にあるコンシェルジュラウンジに3名のアンドロイドスタッフを配置しております(2037年1月現在)。

2036年8月に施行された「アンドロイド保護法」により、アンドロイドに対して以下の行為が罰則の対象になりました:

  • アンドロイドへの身体的、精神的な暴力行為(誹謗中傷も含む)
  • アンドロイドへの身体的、精神的なセクシャルハラスメント行為

以上の行為が確認された場合のみ、アンドロイドスタッフに内蔵されているデーターから違法行為を犯した個人を特定し、その内容をサイバー警察署へと送信させて頂きます。

(それ以外のデーターはプライバシー保護法に基づき、公表されることはありません)

 

 

……すみません。思ったよりもダラダラと長くなってしまいました。

小説に書く題材は今の所、現代のものばかりなのですが、こういった未来の日常を想像するのは、とても楽しいです。

そこの世界にいる方たちの(客やスタッフなど)会話がたくさん浮かんできます。

「人間を出せ」

このフレーズは、自分の中で2037年のナンバーワンハッシュタグです。いつの時代も、人は人に文句を言いたいものだと予想します。

 

頭の中で想像する未来は、いつも面白く、そして恐ろしいです。

 

よろしければ、こちら続きとなっております。

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(例え2037年になろうとも、この街の目玉はきっと滝のまま。デジタルでは表現できない強さと安心感があります)

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