愛しのタテ耳と、白い靴下

突然ですが、自分はネコが好きです。

正確に言うと、「好き」という気持ちで収まりきれないほど、愛しています。

あの、顔。あの、仕草。お腹なんか見せちゃうものなら、もう至福の極みです。

何なんですかね、ネコって。何で、あんなに可愛いんですかね。

以前の記事で紹介したことがあるのですが、ウチはネコが2匹います。名前はミータとナナです。

仕事から帰り車を停めると、音に反応したナナは居間の窓から顔を出し出迎えてくれます。まさにデレデレのなせる技。

玄関を開けて中に入り、着ていたダウンを脱ぐとこんな感じです。

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(内側の温もりが大好きな、ナナ)

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(グルグルグルグル、ロールして)

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(さんざん手に絡みついた後に)

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(放心して、What's マイケルポーズのまま、固まります)

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お前のザイオンは、どこだ?

昨日の記事の続きです。

yoshitakaoka.hatenablog.com

小太りバドワイザーに無理を聞いてもらい、地下の騒音地獄から抜け出した自分は、1階の角部屋で人間的な生活を手に入れました。

「下はうるさかっただろ。悪い奴らじゃないんだ。ただ、若いだけだ」

1階に移った日の夜に、キッチンで顔を合わせたBさんは、そう言って顔をほころばせました。

Bさんは、この寮で初めてヤマン挨拶をしたガッチリ体型のジャマイカンです。

しばらく1階で生活して分かったのですが、常にタンクトップを着て筋肉を前面に押し出しているBさんは、この階のまとめ役のような人で、彼の周りには常に年齢層が高めのジャマイカンもしくはバルベディアンがいて、夕食時には大所帯でテーブルを囲んでいました。

 

自分は地下にいる時から、キッチンで料理を作っては速攻で自分の部屋に運び入れ、いつも1人で食べていました。その方が気分的に楽だったのです。

ですので、寮の住人とは1階に移ってくるまで挨拶以外は殆ど会話を交わしませんでした。得体の知れないものをキッチンで作っている以外は、バスでしか見かけないアジア人。彼らにしてみたら自分は、何の掴み所も無かった住人だったと思います。

そのことが、自分が呼ばれていた呼び名である、「チャイナ」に現れています。

 

前回の最後の部分でも触れましたが、以下が社員寮での自分の名称変化図です:

チャイナ → ジャパン → サムライ → サムライヨシ → ヨシ → ミスターヨシ

 書いてみただけでは意味が全く伝わってこないので、一つ一つの名称解説と共に、寮で起きた変化を書いていきたいと思います。

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めぞん《ヤーマン》一刻

「寮生活」というものを、自分は今までで一度だけ経験したことがあります。

期間は5ヶ月。場所はオンタリオ州のコテージカントリーとして知られる、ムスコカという場所でした。

自分が昔から抱いていた寮生活のイメージは、「めぞん一刻」もしくは「ツルモク独身寮」です。

正確に言うと、めぞん一刻の舞台はアパート(一刻館)なので寮生活の部類には入らないのですが、自分は「寮での生活 = めぞん一刻のような和気あいあいとした雰囲気」という図式を、頭の中で勝手に作り出していました。

 

五代くんに、音無さん、なんなら白鳥沢レイ子さんまでいる生活。

淡く、そして生温い考えでした。

 

自分が通っていたカレッジのコースには、2年目に一般企業へのインターン学習があり、「コネクションを得るチャンスは、ここぞ!」と息巻いた自分は、だいぶ背伸びをして、家から遠く離れたリゾートホテルのインターンに応募しました。何回かの面接の末、先ばしり前のめりな姿勢が奇跡的に通じ、職を得ることが出来ました。インターンの期間は5ヶ月。半端な入寮期間の理由は、そのためです。

 

大自然に囲まれた小さな町にある、会社の寮、というか巨大シェアハウス。

不安な気持ちで辿り着いた自分を最初に迎えたのは、ガッチリとした体型の黒人さんでした。

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