透明な子

夜を照らす境内の提灯に、ラムネの瓶の中で踊るビー玉。

台風が過ぎた後に梅雨が明け、街頭に浴衣姿の人影を見かける頃になると、毎年、忘れられない記憶が蘇る。

 

近所の神社で催される盆踊りに初めて参加したあの夏、私は小学三年生だった。

その年、出来れば顔を合わせたくない同級生グループが旅行のため地元からいなくなることを知っていた私は、隠していたお年玉を筆箱から取り出して、紅白の灯りが揺れる高台へと急いだ。

 

普段は人気のない神社に鳴り響く太鼓の拍子。

今まで網戸越しに聞こえていた世界と、目の前の光景との違いに圧倒された私は、踊りの輪を避けるように手水舎の傍に行き、地面に直接腰を下ろした。

 

気持ちが落ち着かず、裸電球が光る屋台を回る気にもなれずにぼんやりと揺れる浴衣を眺めていると、突然、後ろから肩を叩かれた。 

 

「炭坑節、踊らないの?」

振り返ると、薄青のポロシャツにフレームの大きな眼鏡をかけた中年の男が手水舎の柱に寄りかかっていた。

 

「君は踊らないの?」

腰をかがめて地面に座っている私と目線の位置を合わせた男は、きちんと真ん中で分けられた髪をかきあげ、こちらに顔を近づけて小さい声を出した。

タバコの匂いを感じられるほど間近に迫ったその顔は、太い眉毛と細い目が印象的だった。

いきなり見ず知らずの人に話しかけられて驚いた私は、何も言葉を発することなく首を横に振った。

 

「友達は踊ってるの?」

「お父さんと、お母さんは?」

続けて投げかけられた問いに対して首を振り続けていると、男は「じゃあ、一人なんだね」と呟いて立ち上がり、「ちょっと待ってて」と言いその場を離れた。

少しして手水舎に戻ってきた男は「これ、飲んでいいよ」と手に持っていたラムネを私の前に差し出した。

男に渡されたラムネの意味が分からず、慌ててポケットから持ってきた千円札を出すと、男は「お金はいらないよ」と笑い、私の右横に座りこんで胡座をかいた。

 

「ファミコンは好き?」

「漫画は?」

「どんなアニメを見るの?」

「野球は? やっぱり大洋ファン?」

 

 

「ファミコンは持ってません」

「漫画は読みません」

「アニメは、お母さんが嫌いなので見ません」

「野球は好きじゃないです」

 

横に座り、こちらを向かずに質問を繰り返す男に少し違和感を覚えたが、私は自分の中にある正直な気持ちを口にした。

 

「ねぇ君、僕は嘘が好きじゃないんだ。そんな筈ないでしょ。じゃあ、ミニ四駆とかプラモデルは? 何かあるでしょ? 好きなものくらい」

前方の踊りの輪から私に視線を移した男は、ため息をついて細い目を開いた。

 

「好きなものは……ごめんなさい、よく分かりません」

 

あの時、私は嘘などついていなかった。

小学三年生になり、毎週火曜日と水曜日に母親の「友達」が家に泊まりに来るようになってから、私の生活は大きく変わった。

この辺りのイントネーションとは違う話し方をする母親の友達は、子供向けのアニメや漫画が嫌いな男で、彼が家に顔を出すようになって以来、火曜と水曜以外でも我が家で流れるテレビ番組はニュースが中心になった。

そのことで私は、クラスメートたちの話題についていくのが難しくなり、学校で孤立する時間が多くなっていった。

一度、母親とその男がいる前で「アニメや漫画を見させて欲しい」と頼んだのだが、母親の友達から「頭が悪くなりたいのか!」と怒鳴られ、手をあげられたので怖くなり、それからはそのような希望を口にすることはなくなった。

 

ため口を嫌い、「正しい日本語を話せ」と敬語の使用を徹底させるその男との生活は、決して楽しいものではなく、彼が母親のそばにいた小学三年と四年の二年間は、文字通り息のつまるような日々を過ごした。

 

 

「ダメだ。ダメ。君じゃ、ダメ」

細い目の男に返す言葉がなく、目線を下げて黙っていると、男は私の顔を覗き込むようにして口を開いた。

 

「君は透明でつまらない。君じゃダメだ。君じゃ、色が出ない」

囁くような声で私の目を直視した男は、「ラムネ買ったのにな」と言って立ち上がった。

 

耳元に残された言葉とタバコの匂い。

男が置いていった感覚に心を潰され、私はしばらく顔を上げられなかった。

 

どれ位そうしていたかは分からないが、近くを通った子供の笑い声を合図に顔を戻すと、細い目の男の姿はなくなっていた。

 

男が最後に放った言葉の意味は理解できなかったが、見つめられた細い目と、こびりつくような声のトーンに気味の悪さを感じた私は、辺りを再確認してから腰を上げ、早足で盆踊り会場を後にした。

 

 

私がその男の顔を再び見たのは、盆踊りから約半年後、新しい年が明けた朝の、テレビの中だった。

 

フレームの大きな眼鏡越しに見える、太い眉毛と細い目。薄青のポロシャツではなく茶色いセーターを着ていたが、間違いなくあの男だった。

 

「連続児童誘拐殺人事件 犯人逮捕」

 

画面下に大きく映し出された白いテロップと、同じ言葉を繰り返すレポーター。

目の前で起きている事態を飲み込んだ私は、急いでストーブの前に座る母親に「この人、知ってる。この人、知ってる!」と声をかけた。

 

「へー、そうなんだ」

 

返ってきた言葉を受けて母親に目を向けると、彼女は毎週火曜日、いつも「友達」が来る前にそうするように、足の爪に赤いマニキュアを塗っていた。

 

どれだけ隅に追いやっても蘇る場面。

警察に連行される細い目の男よりも、あの時、顔を上げようとしなかった母親の姿ばかりが脳裏に浮かぶ。

 

私はあの日から、赤いマニキュアが好きになれずにいる。

 

 

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