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爺さんとアルバム

「明日、仕事がないやつは朝までな」
 
テーブルの上にビールのケースを置いたコースケは、母屋に向けて手を合わせ、いつものように白い歯を見せた。
 
亡くなったツヨシの爺さんの意思により、親族席に座ったコースケは、式の間中ずっと泣いていた。
小学校から付き合いのある彼の泣き顔を見たのは、その時が初めてだった。
 
「九十二歳、大往生だよ」コースケからビールを受け取ったツヨシは、一度上に目をやって、タバコに火をつけた。
「間違いない、大往生だ」ケイゴは回ってきたビールを横のリーダーにパスし、レモンティーのペットボトルを開けてから落書きだらけの壁をさすった。
「こんなに自由になんもかんもやらしてもらってな、正直、お前の爺さんには頭が上がらねーよ。俺ら全員、土下座もんだよ、本当に」
 
リーダーの言う通り、ツヨシの爺さんにはいくら感謝してもしきれない。
 
みかん畑を持つツヨシの家の敷地内にある、作業用のプレハブ小屋。
爺さんの好意によって、中学一年から使わせてもらうようになったこの空間で、俺たちは一体どれだけの時間を過ごしたのだろう。
 
内装の壁に落書きをしても、学校が休みの度に泊まっても、タッちゃんが持ち込んだCDラジカセのボリュームを上げてパンクを流しても、爺さんは何も言わなかった。
 
「掃除は自分たちでしろ。あと、おめぇらが中で悪さしたら、ぶっ叩くぞ」
爺さんは事あるごとに俺たちにそう言って聞かせたが、実際にぶっ叩かれた事など1度もなかった。
「遊ぶのは悪くねぇ。悪りい事つぅのは、人の道を外れる事だ」
庭に出したプラスチックの椅子に座って、タバコをくゆらす爺さんの姿が浮かぶ。
 
秘密基地、溜まり場、オアシスに避難場所。
日常生活で何があっても逃げ帰れて、どんな状況に置かれても本来の自分に戻れる場所を提供してくれた爺さんは、間違いなく人生の恩人だ。
 
 
小学校時代から知っていたとはいえ、俺たちが爺さんと本格的に関わるようになったのはプレハブ小屋に集まるようになってからだが、メンバーの中でコースケだけは、ずっと昔、それこそ小学校にあがる前からツヨシの爺さんと繋がりがあった。
 
親子二代でみかん畑とアパートを経営し、決まって家に誰かいたツヨシの場合とは異なり、コースケは団地組の俺たちと同じく、鍵っ子だった。ただ俺たちと状況が違うのは、彼の母親はパートではなく、正社員として朝から晩まで働きに出ていた事と、コースケには父親がいないという事だった。
ツヨシの家の近所に平屋を借りていたコースケの母親は、自分の仕事が休みの日や、みかん畑の繁忙期などにツヨシの家の手伝いをしており、その関係で、昔からコースケはツヨシの家に預かってもらう事が多かった。
親戚などが近くにいないコースケの家の事情を理解してか、小学校に上がる前に幼稚園にも保育園にも行っていなかったコースケの面倒を、ツヨシの家族は進んで申し出た。
小さい頃から内気で、人と一緒に遊ぶのが苦手だったツヨシを、ほぼ毎日出入りするようになった活発なコースケが無理矢理外に引っ張って行く姿を見て、一番喜んだのは誰よりもツヨシの爺さんだった。
シベリア抑留からの帰還者で自身の経験から「楽しんで生きるのが一番」と常々口にしていた爺さんは、家に籠もりがちだった孫を変えてくれたコースケに感謝をし、コースケの母親に来る度に弁当を持たせなくてもよい旨を伝え、コースケの分の昼食を毎回用意するように家族に頼んだ。
小学校に上がっても、給食のない土曜や日曜の昼食はツヨシの家でとることが習慣として続き、平日の放課後も含め、コースケは自分の家にいるよりも圧倒的にツヨシの家で過ごす時間の方が多くなった。そしてそれは、中学、高校と進んで家に顔を出す頻度が減っても、決して途切れる事はなかった。
 
 
「俺さ、爺さんから孫って言われた事があるんだ」銀色の空き缶がテーブルの隙間を埋め始めた頃、紙コップに焼酎を注いだコースケが、こちらに顔を向けた。
「孫?」かっぱえびせんの袋を開けたタッちゃんは、少し大きな声で反応した。
「うん。みんなに言ってなかったけど、俺、成人式の朝にツヨシの爺さんに挨拶してさ、そん時に言われたんだ」
「成人式の朝って、俺ら結構早い時間にここに集合しなかったっけ?」俺は自分の記憶を辿った。
「早いって言っても九時とかだったろ? その前、お前らが集まってくる前、確か七時くらいにスーツを着て裏のみかん畑で話をしたんだよ」
「俺、家にいたはずなのに全然気がつかなかった」ツヨシが驚いた顔で、テーブルに空き缶を足した。
「気付かねえって。だってお前その日遅刻したろ、家から一番近いのに。あと、そこのイカゲソ食ってるやつも遅刻した。しかも一時間。俺たちに、あん時の時間を返せ」
「しょうがねーだろ! 家にベルトが無かったんだからよ」ケイゴに責められたリーダーは、ゲソを激しく噛みちぎった。
「ベルトが無い家ってなんだよ! あんだろ普通一本くらい! ていうか、何でズボンのサイズが合ってねーんだよ」ケイゴの追撃は止まらない。
「必要なかったら、持ってねーだろ! それまでの俺の人生にはベルトが必要なかったんだよ」
「それで、ツヨシの爺さんのサスペンダーが登場したんだよね」タッちゃんが嬉しそうに手を叩いた。
「あったあった、懐かしい! 売れないマジシャンね。あれは酷かった。まんまマジシャン」俺の頭の中に、ブカブカのズボンをサスペンダーで吊った奇妙な見た目のリーダーが顔を出した。
「おい、ブカブカマジシャン。お前は成人式を冒涜している」コースケがリーダーを指差した。
「バカ、あれがあったからこそ、俺は成人式に出れたんだよ。お前こそ、万能サスペンダーを冒涜してんだろ。まぁ、でもいーじゃねーか、あん時、ツヨシの爺さんすっげー笑ってたしな」
「あの後、ウチの爺さん結構その話をしてたからね」ツヨシが笑顔で腕を組んだ。
「それで、七時に会って、何を話したの?」話の続きが気になった俺は、脱線した線路を引き直した。
「うん。いや、挨拶がしたかったんだ。俺、昔からここん家にお世話になってたじゃん。だから成人式を一区切りにして、どうしてもお礼が言いたくてね」紙コップに入った焼酎を飲み干したコースケは、深く息を吸った。
「今まで家族同然に接してくれてありがとうございました。この恩は一生忘れません、って言ったの、そしたら爺さんが『ちょっと待っとけ』って母屋に戻って白いアルバムを持ってきたんだよ。それ開いたらさ、全部ね、全部あったの」コースケの口角がゆっくり上がった。
「小学校時代にあげたやつ、爺さんが欲しがったから、俺、いろいろあげてたんだ。折り紙とか、作文とか、絵とかそういうやつ。あと、そこに切り抜きもあった。ラグビーやり始めてからの広報とか、地元紙とかに載せてもらったやつの切り抜き。試合結果とか、細かいのまで全部。蛍光ペンで線引いてあってさ。高校で全国行った時のやつなんか、何枚もコピー取ってて。俺、それ見たら、もう、もうダメで」コースケの声が震えている。
 
「ありがとうじゃねぇだろ。おめぇは俺の孫なんだから、これからもよろしくお願いしますの間違いだろ、って爺さんは言ったんだ」呼吸を整えたコースケは、「何か、悪いね」と頭を下げて続けた。
「血は、血は重要じゃねぇんだ、って。それは戸籍上の問題で、あんまし大事じゃねぇんだ、って言ってね。紙の上で俺の兄弟は三人だけど、実際は両手じゃ足りねぇくれぇいるぞ、シベリアでその事に気が付いたって説明してくれた。あん時、俺を助けてくれたやつら、日本人もロシア人も関係なく兄弟だ。俺の事を本気で大事に思ってくれたやつとの繋がりの方が、血よりも濃いんだって、爺さんそう言ってた。そんな感じで兄弟はいっぱいいる。でもな、孫は二人だ、この世の中にツヨシとおめぇの二人だけだ、って。戸籍が何とか、誰が何て言おうが関係ねぇ、お前は間違いなく、俺の孫だって言ってくれたんだ。俺さ、俺、そん時、本当に嬉しかった。何て言ったらいいのかな、何て言うか、心の底から、この人に出会えて良かったって思ったんだ。だから、きっと、今が言う時なんだと思う。なぁ、爺さん、聞こえてる? 今まで、家族同然に接してくれてありがとうございました。この恩は一生忘れません。絶対に忘れませんから」
 
コースケは母屋の方に手を合わせ、声を出して泣いた。
式で見せたように、頭を下にして肩を揺らせて泣いた。
 
お酒に強い彼が酔い潰れるのを見たのは、その夜が初めてだった。
 

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