家へ帰ろう

家は、居場所。

 

皆さんにとって、「家」とは何ですか?

 

一口に「家」といっても、その定義は人によってバラつきがあると思います。

ある人にとって「家」とは、家族団欒の場所であり、またある人にとっては、雨風をしのいで眠るだけのスペースという意味しか持たないのかもしれません。

「家」というものに対しての意味合いが変わると、当然その場所も今住んでいる所や実家だけに限定されなくなります。

なので、行きつけの飲み屋やレストラン、人によっては職場が家になりうる事もあるのです。

 

様々な思いに合わせて、意味と形を変えていく家。

 

自分にとって「家」とは、誰の目も気にせず、己の素を全部さらけ出せる場所です。

家という空間にいる自分は、仕事中しっかりと装着している職業ペルソナを外し、ダラダラに緩んだ顔で九割方ヘラヘラしています。

そんな状態のままトイレで思い出し笑いなどしている姿は、間違いなく通報対象です。

玄関を開けた瞬間からダラヘラ星人と化す自分には、「家」と呼べる場所が2ヶ所あります。

 

その1つは、自分がいま住んでいるカナダの家です。

 

この場所では、嫁と家事を折半し、頻繁に彼女の肩をもめば、ダラヘラ星人として生きていても何の文句も言われません。

なので好きなだけ2ニャンズとたわむれ、カナダ版ルマンド、もしくはエリーゼを食べながら小説やブログを書く生活を送れます。

 

正直、とても居心地がいいです。

居心地が良すぎて、外に出たくなくなります。

 

そう思うと、自分は仕事に行くことによって生きる上での色々なバランスを取っているのかもしれません。

もし働きに行かなければ、ネクタイを締めることはないですし、外用に顔も作りません。

家事と嫁へのマッサージ回数は増えますが、年中パジャマで2ニャンズとヘラりんちょしている可能性が大いにあります。

 

うーん、マズイですね。そんな状況、最高ですね。

チョコ菓子を片手に書物を好きなだけしていられる生活……魅力的すぎてニヤけます。

あまりニタニタしていると、嫁に後頭部を蹴られる恐れがありますので、少し気を引き締めますが、マンモスハッピーな毎日が送れることは、火を見るよりも明らかです。

 

「安心」「安全」「ダラヘラ」

この3つのポイントが、自分の「家」という定義を構築しますが、それともう1つ「室内温度」という判断基準も、その意味を形作る重要なファクターになります。

 

カナダに移住しておいて何ですが、自分は寒いのが大の苦手です。

この国の寒さは尋常ではないので、殆どの家にセントラルヒーティングシステムが備わっています。

今住んでいる家もその文化的恩恵にあずかり、外の気温がとんでもなくなっていても、家の中はホッカホカのぬっくぬくになっています。

 

そう、ここでは冬が怖くないのです。

 

自分の出身地である神奈川の寒さは、雪国のそれと比べると大したことがないのかもしれませんが、自分が実家に住んでいた時は、冬が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 

ウチの実家、とにかく室内が寒いんです。

 

これ、皆さんに聞いてみたかったのですが、実家っていつも何処かの窓が開いていませんでしたか?

ウチの場合は、台所の窓と、風呂場の窓が1年中5から10センチ開いていました。

狭い家だったので、台所から入ってくる冷気は何の仕切りもない居間へと直接流れ、風呂場の冷気は、脱衣所という防波堤が無いために薄いガラス戸を簡単にすり抜けた後、これまた直接、生活スペースに侵入してきます。

 

あぁ、思い出しただけでも寒い。

 

実家の居間にはエアコンなどという文明の利器はなく、小さい頃は灯油ストーブ、少し経ってからはファンヒーターがコタツとタッグを組んで頑張ってくれていたのですが、いかんせん暖まるのは表の一部分だけで、後ろ、というか背中全体(特に壁面)にいつも冷えを感じていました。

 

砂壁だったからでしょうか? 

それとも当時持っていた製品の質が悪かったからでしょうか? 

とにかく、ポカポカライフには程遠い状態でした。

なので、家の中でも勿論、厚着。

眠る時も布団が冷たいので湯たんぽを入れるのですが、このオレンジプラスチックさんは、お湯を入れた直後は熱すぎて足を近づけられないというツンデレスペックをお持ちなので、仕方なしにお風呂で体をのぼせさせてから寝床に滑り込むという荒技で湯冷めを防いでいました。

 

そんなブリザード環境に拍車をかけていたのが、冷たい麦茶です。

 

あの、これも一度聞いてみたかったのですが、皆さんの実家の冷蔵庫に、年中冷たい麦茶が入っていませんでしたか?

 

ウチでは、物心がついたときから、飲み物はどんな時でもキンキンに冷えた麦茶と相場が決まっていました(ちなみに、冷凍庫には年中、チューペット大明神が鎮座していました)。

今日も明日も、麦茶。

夏でも冬でも、麦茶。

もちろん当時のアイドル「ファンタオレンジ」をはじめ、ジュースも飲みましたが、それは非日常のトリートであって、通常運転はブレずに、年間を通してキンキン麦茶でした。

 

家事を極端に嫌がり、キャベツと不二家のミルキーだけを詰め込んだお弁当を用意してしまう母親でしたが、何故かキンキン麦茶だけはいつも欠かさず作っていました。

慣れとは恐ろしいもので、そんな毎日が続くと、冬の寒い日でも当たり前のように冷えた麦茶を飲むようになります。

その結果、体の内側から冷え、さらに寒さを感じるようになるのです。

 

いや、そんなの飲まなきゃ良いだけの話なのですが、その頃は温かい飲み物は味噌汁と同じ部類になっていて、単純に飲み物としては飲めなくなっていたのです。

そんなキンキンアディクションが治ったのは、恐ろしいことに最近のことで、なんとか今は食事のお供に温かいお茶を選択することが出来るようになりました。

加齢、ばんざい。

 

すみません、麦茶で脱線しました。

 

自分が「家」だと呼べる場所は2ヶ所あると書きましたが、そのもう1つは神奈川の実家ではありません。

上記の室内温度問題のこともあるのですが、それよりも、実家にいると何だかあまり落ち着けないのが理由です。

 

生まれてから25年間住んでいた実家ですが、良い思い出ばかりではなかったので、今いる家のように素の自分をさらけ出してダラヘラリラックスすることが出来ないのです。

こちらに移住して約11年、自分はその間に2回帰国したのですが、そのどちらも「帰ってきた〜」という感覚にはならず、実家に滞在中はひたすら過去の記憶と、いま目の前に見えている現状との答え合わせに終始していました。

キンキン麦茶や何色だかよく分からないカーペットなどは変わらず昔のままでしたが、小さい居間には奇跡的にエアコンが設置されて、あの頃の寒さは無くなっていました。

もう、これで冬も怖くありません。

 

しかし、どんなに居間が暖かくなっても、やっぱり実家は居心地が良くありませんでした。

自分を救ってくれた先代ネコも、もういません。

 

あそこは家だけれど、家ではない。

 

感覚的にとても不思議なのですが、それが自分が帰国して素直に感じたことです。

(ここはあくまでも生まれ育った場所で、自分の家ではないのだ)

ずっと昔から居間の壁に貼られている色あせた松井秀喜氏のポスターを見ながら、そう強く実感しました。

 

自分のもう1つの「家」は友人の部屋です。

 

その場所はずっと集まっていた仲間の1人の部屋で、自分は16歳からの9年間を実家にいるよりも遥かに長い時間そこで過ごさせてもらいました。

自分にとってそこは家であり、避難所であり、そしてネバーランドでした。

 

振り返っていつも思うのは、その友人のご家族の理解があってこそ成り立った9年間だということです。

 

まず、男9人が集まるので、当然うるさい。

お酒は飲まないけど、いつもタバコ臭い。

部屋の四方が落書きで埋め尽くされる(もちろんその友人も書いています)。

家の中、及び敷地内が自主制作映像のロケ地に使われる(その友人のお家が大きなみかん畑を所有していました)。

その友人が用事で不在でも、他のメンバーが部屋に集まり桃鉄をしている(ご家族の了承ありです)。

盆暮れ正月関係無く、1年中、家族以外の誰かが家にいる。

 

上にあげた例を含め、そのご家族に多大な迷惑をかけてしまったと思うのですが、お家の方はいつでも優しく、天使のような対応をしてくださいました。

その友人自身もそうなのですが、言葉で表すと、太陽のような印象のご家族でした。

 

嫌なこともけっこうあった時期でしたが、その場所が存在してくれたお陰で1日の心の足し算が、いつもギリギリプラスで終われたのです。

 

色々な種類の本、漫画、雑誌を読み、多くの写真を見て、ありえないほどコントローラーを握り、沢山の映像を視聴し、そして制作しました。

 

あの場所は今でも変わらず「家」であり、自分という人間が生きていることを実感できた「居場所」でした。

 

年が明けて地元に残っている親友から、その部屋の現状を聞いたのですが、どうやら今は部屋の中にテントが張られているみたいです。

室内でキャンプをする理由はよく分かりませんが、今でも帰ることができる「家」があることは本当にありがたく、心に大きな安心感をくれるのです。

 

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(アルゴンキンのトレイルにあった、広がる根。自分の心が喜ぶ場所に根を張りたい)

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