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誰かが誰かを笑う世界

カナダ 海外生活 大切なもの

今日も誰かが誰かを笑う。

笑われる基準にフェアなルールは存在しない。

 

白人さんのヘタな日本語は、バカにしないし笑わない。

黒人さんのヘタな日本語は、バカにしないで笑う。

アジア人のヘタな日本語は、バカにして笑う。

 

人の言葉を笑う人は、言葉で笑われた事がない人だ。

上記の「日本語」を「英語」に入れ替えても文は成立する。

これは第二言語だけに限った事じゃない。

自分の職場にいる吃音症の人を笑う周りの人たち。そのような状況は、日本もカナダも変わらない。

 

今まで、自分の英語は散々笑われてきた。

恥ずかしかったし、悔しかった。

だから、必死にもがいた。

自分を笑う人の世界に合わせて、何度も何度も単語を読んで発音矯正した。

お陰で自分は笑われなくなった。

でも次は、違う誰かが笑われている。

 

今日も誰かが誰かの境界線を越える。

 

「ズズズ」と麺をすするアジア人を白人が笑う。

これが噂のヌーハラなのか。

でも、そこは移民の国カナダのヌードルショップ。

イタリアンレストランでスープをすすっているのではない。

カナダのインド料理屋でインド人が手を使ってカレーを食べていても、自分は笑わない。

それがもし日本のインド料理屋で行われていたとしても、同じこと。

それは文化であって、マナーの問題ではない。

人の食事の仕方を笑う人は、食べ方で笑われた事がない人だ。

カナダ人が寿司を醤油で真っ黒にしていても、ラーメンをパスタのように食べていても、得意顔で枝豆のことを「エダマミ」と同僚に紹介していても、自分は笑わない。

その人にちゃんとした知識があれば、異文化は蔑みの対象にならないはずだ。

 

今日も誰かが誰かを傷つける。

 

いじめを苦にした自殺を伝えるニュースは止まらない。

本当に悲しい。

それは、決して日本だけの話ではない。

いじめをする人は、いじめられた事がない、自分を確立していない、もしくは想像力が乏しい人だ。

 

殴られると、痛い。

顔を蹴り上げられると、鼻血が出る。

鉄アレイを足の爪に落とされると、大きな内出血ができる。

集団で囲まれてやられると、心というものが折れる。

 

肉体的ないじめだけじゃない。人をバカにする行為も、「その先に潜んでいる苦痛や恐怖が自分にも襲いかかるかもしれない」というイメージを描けない人が繰り返すのだと思う。

自分の心を折られなければ、分からないのだろうか。

 

今まで羅列して書いてきたことを実際に経験する必要などない。

苦しい思いをして学ばなくてもいい。

感情を痛めつけられなくても、人は頭で想像することが出来るから。

 

自分がもし海外に行って、そこで言葉を笑われたら?

自分が将来、子供を持った時に、その子が吃音症だったら?

自分が旅行に行って、自国の料理を出すレストランに入り、自分たちのやり方でソウルフードを食べた際、自分の国出身ではない現地人から食べ方をバカにされたら?

いじめられっ子を取り囲んでいる自分が、何かの拍子にその子と立場が逆転したら?

 

思いやりと想像力は、お互い脳みそ内の近いところに存在していると信じたい。

 

無知は罪だと、心から思う。

相手の気持ち、もしくは文化を知らないから、無邪気に笑って攻撃できる。

 

今まで37年、ありがたく生きてこれた。

まだまだ、無力だ。

自分が経験したことを生かせる力が欲しい。

もっと年を重ねたい。

そして、もっと賢くなりたい。

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(ムスコカにある緑の海。色が違っても皆、同じ樹です)

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