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「大丈夫だ」と伝えたい

伝えたい言葉がある

手段は選ばない

メモでも、新聞の広告でも、駅のホームのアドバタイズや掲示板だっていい

どうにかしてあなたの目に止まって欲しい、「大丈夫だ」というメッセージ

 

カナダに移住してから、自分はとにかく生き残ることを最優先に動いてきました。

「もう、後がない」と内側から湧き上がってくるその気持ちに突き動かされ、言葉通り、一心不乱に前だけを見て進んできました。

ビザ、仕事、カレッジ、車、家。

体も頭もシンドかったけど、それよりも選択肢が無くなってしまうことが一番怖かったのです。

そんな目まぐるしい毎日に、やっと一息を付けるようになったのは、物事が落ち着きだした去年あたり。10年で何とか一区切です。

ずっと前から書きたかった小説を仕上げられた今年の頭、そしてスタートして2ヶ月が経過したこのブログ。

去年から始めた「ひたすら書く」という作業を通して、今まで自分の中で経験したことがない変化を感じられるようになりました。

それは、記憶と記憶が繋がって新しい意味を持つ、という現象です。

カナダへ来た1年目、「テレビもねぇ ラジオもねぇ インターネットは何者だ?」という幾三ハウスの中で、それまでの自分を否が応にも見つめ直さなくてはいけない時間を過ごしました(21世紀のカナダで、テレビもラジオもなかったのは、改装中の家に住んでいた為です)。

日本に居た時には仲間たちとの「日常生活」を送ることで蓋をし、あえて目をそらしていた事柄たち。いや、あえてというよりも、あの時は勇気も根性もなくて振り返ることが出来なかっただけです。

心に抱えている感情を、娯楽や街の人混みに入り込むことで誤魔化すのが不可能だったあの期間。何もない生活に慣れるまで色々と不便で仕方ありませんでしたが、そんな環境に身を置けたことを、今は感謝しています。

 

そんなこんなで忙しい日々を過ごしながら、不意に浮かぶ出来事に合わせて気持ちの対応をしていたのですが、去年から小説を書くようになり、偶然に重なり合うタイミングを待たずに記憶の棚卸しをするようになった結果、様々なジャンルや時代の思い出が浮かんでくるようになりました。

きっと状況がひと段落したことで、自分がやっと「安全」な場所にいると頭が認識したからだと思います。

何と言うか、15の時に家を飛び出した脳みそが実家に戻ってきた感覚です。

お久しぶりです、おかえりなさい。

こうして帰ってきたメモリーさん方は、一見、無関係だと思われていた記憶たちと繋がりました。

例えば以前書いた、小学生時代の思い出により、なぜ自分が子供を持つことに消極的なのかを理解できたといった具合です。

 

いい歳して「今更」小中高時代の記憶と向き合うのは、はたから見たら気持ち悪いかもしれませんが、本人的には「今だから」出来ることだと思っています。

その渦中では噛み砕くとも、飲み込むことすら出来ずに放置した感情の束に対し、自分自身との距離を適切に取れている「今なら」それらに顔を背けず、ちゃんと目を合わすことが可能だと思うのです。

 

最近自分は、やっとのことで現れて繋がった記憶を年代ごとに区切って、書き残すようになりました。

せっかく出てきてくれた思いたちですが、置いたままにしておくと都合のいい感情のバイアスが掛かります。

長々ひっぱって登場したくせに、色が付くのは一瞬です。恐ろしい。

好きで勝手にやっているのですが、何だかとてつもなく骨が折れる作業を通して起きていただいた記憶たちなので、中途半端な状態でまた眠りにつかぬよう、一個一個大切に保管して書いている小説に活かしたいと思います。

文字として記した出来事を見直すメリットは、頭の中よりも断然クリアに事実そのものを俯瞰することが出来ることです。

そうしたことで改めて思えるのですが、人生は本当に何があるか分かりません。

たかが37年間しか生きていませんが、心の底から、そう感じます。

あの頃はもちろん、10年前、いや、5年前でさえ、今の自分の姿を想像することは出来ませんでした。

もちろん、アレやコレやと計画を立て、それに沿って進むように行動しましたが、良い意味で全く青写真通りになっていません。

たった5年間でさえ、たくさんの予想外の事が起こり、今現在に至っています。
(ネコのミータとナナに出会えたのも、予想外のハプニングの一つ)

 

ひっきりなしにやってくる、上りと下りの電車

ドアが開くたび、たくさんの色が入れ違う

黄色い線を境にした攻防は、花一匁(はないちもんめ)

 

「あの子が欲しい あの子じゃ分からん」 

「この子が欲しい この子じゃ分からん」 

「相談しよう そうしよう」

 

売れ残った最後の一人を乗せた電車は、ドアを閉め動き出す

じっとベンチに座る私は選ばれない

声を掛けられることもない

ゲームに参加していない私は、あちらに運んではもらえない

 

急に展開が変わりましたが、大丈夫です。気が触れたわけではありません。

自分は昔、詩を書いていました。

中学の終わりから、カナダに移住する迄です。きっかけは中学の時に読んだ、銀色夏生。

少ない文字で感情を伝える手段に、憧れました。

分厚い詩集も2冊作ってて、わざわざ画材屋さんに行って使う紙を品定めするほどの入れ込みよう。

思い入れがあって覚えているものも、忘れているものもありますが、見返してみると8割ネガティブな事が書かれています。辛かった時期に作ったものが多かったので、そこにあるのは、ドロドロでグチョグチョの感情。昼ドラ顔負けの恨み節です。

作ったものは後ろ向きでしたが、今でも詩は大好きです。

今現在、書くのは小説ばかりになってしまいましたが、皆さんの詩をこのはてなブログで読むのが一つの楽しみになっています。もちろんそれは、詩だけではなく、綴られた文章や撮られた写真、描かれた絵や制作された映像も同じです。

ブログを始め、たくさんの人の感性に触れる機会が増えて、「はっ」と、させられる瞬間が本当に多くなりました。素晴らしい体験に感謝です。

 

上記の詩は、17歳の時に書きました。

ある人のサイトに載せられていたモノクロの駅のホーム写真。それが自分の記憶にある物と似ていた為、長く見ているうちに幾つもの場面が頭に浮かびました。

当時、自分は新聞配達のバイトをしていて、一時期、学校を休みがちになっていました。

配達を終え朝方帰宅して、少し寝てから家を出るサイクル。一応、学校へ行く素振りは見せるのですが、どうしても行きたくなかった理由があったので、足が向かう先は人気のない公園か、近所にある神社の本殿の裏でした。

そして、そこでウツラウツラして、昼過ぎに学校に行くか、母親がパートに行って誰もいない家に戻るかの日々。

自分の中では上手くやれていると思っていたのですが、所詮は浅はかな考え、朝から制服を着て公園のベンチや神社の裏で寝ている学生は違和感があり、目立ちます。それに遅刻や欠席がやけに増えた生徒の家に担任が連絡するのは自然な成り行きです。

しばらく続いたユートピアは、あえなく崩壊を迎えます。

公園や神社には行けなくなり家にも帰れなくなった自分は、仕方なく学校に戻ったのですが、どうしてもキツイ時がありました。

そんなときは、高校のある駅で下車せず、地元から少し離れた大きめの駅へ行き、階段付近のいつも空いているベンチに座って、朝から夕方までを過ごしていました。

当時持っていたPHSにはスマホのような機能は付いていません。

自分はただ、ボォーっと、入っては出て行く電車を眺めていました。

 

いつも不安でした。

学校や社会に溶け込めないのが、怖くて仕方がありませんでした。

現状がずっと続くようなイメージばかり浮かぶ頭の中。

 

あの時、想像した未来は、暗く淀んでいるものばかり。

明るいイメージなど何一つ描けません。

みんなと同じ電車に乗れない。

劣っていて、嫌になる。

 

よく想像します。

もし、自分が過去に戻れるなら、どうするのかと。

決して戻りたいわけではないんです。というか、むしろ戻りたくない。

そうではなく、単純に戻れる事ができて、でも未来を変えてはいけないというお約束設定の中で自分は何をするのだろうと考えると、いつも出てくるアイデアは「伝える」というものです。

もちろん自分が自分に何かを伝えることは出来ません。それは、ルール違反。それに何らかの手段で、これからのことを事細かく教えるのもダメ。そんなことをすれば、当時の自分は疑いを持ち、そのせいで未来が変わってしまう可能性があります。

 

ですので自分はきっと、あの時、自分が座っていたベンチの真ん前の広告スペースを買い取り、お前の未来は、大丈夫だとメッセージを打ちます。

いつも下を向いて黄色い線ばかりを見てたので、こちらに気付きやすいように、白地に太字の黒のみという、なるべくインパクトのあるデザインで、周りをたくさんの電飾で飾ろうと思います。

で、それが終わったら速攻、こちらに帰ってきます。長居は無用です(当時の飼い猫には、どうしても会いたい)。

見てくれさえすればいいんです。

未来が変わらなくても、ちょっとでも安心してくれたら本望です。

うん。そう思ったら、過去に戻るのも楽しそうです。

こうなったら幼少期から大人になるまで、事ある場面で広告を打ち「ダイジョブだぁ、おじさん」になるまでです(志村けんは、預言者なのかも……)。

 

科学の進化は、これからどうなるか分かりませんが、デロリアンで雷に撃たれるよりも簡単に戻れることが出来るならば、嫁に土下座をして資金を組み、計画を実行したいと思います。

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(七色の滝の上に浮かぶ、ラグビーボールムーン。照らすライトがLEDに進化した模様です)

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