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さらば、ライスクッカー No Rice No life

「炊飯器」はひとつの到達点で、「ライスクッカー」はその過程です。

訳の分からないことを書いてるように見えますが、大丈夫です。頭はしっかりしています。

炊飯器とライスクッカーは、似て非なるものです。いや、ファンシーな機能が付いてるか否かの違いはあれど、「ご飯を炊き上げる」という目的は同じなのですが、自分の心情的に、この二つにはとても大きな違いがあるのです。

 

先日、高嶺の花だった、カナダ産タイガー炊飯器(made in Canada ではなく、カナダで売っているという意味)を購入しました。

「♪ タイッガーIHジャー た・き・た・て ♪ 」のタイガーです(残念ながらIHジャーではありませんが)。きっかけは、嫁の「あんたの貧乏根性は色んな可能性を狭めてるよ」という言葉でした。

「高嶺の花だった」という言葉通り、タイガー炊飯器は、移住してからの憧れでした。

無収入から始まった1年目、タイガー炊飯器は憧れどころか自分の視界にすら入りませんでした。売っていたとしても当然買えませんでしたが、10年前の田舎街ストラットフォードのスーパーで陳列されていたのは、炊飯器ではなくライスクッカーでした。

ちなみに、当時、自分が使っていたのは、昨日の記事に書いたJさんから借りたライスクッカー。

性能が良くないせいか、もしくはその時に買っていたカルフォルニア米が原因か、炊き上がりは総じてパサパサでしたが、文句はありませんでした。住む場所は変われど、「No Rice No Life」のジャパニーズ、お米が食べれるだけ御の字です。

ストラットフォードでの生活が終わって引っ越しをし、仕事を得る中で行動範囲が少しずつ広がった結果、カナダでもタイガーの炊飯器が売っているという驚きの事実を知りました。

初めて行ったアジアンスーパーマーケットの棚に並んだその姿と言ったらもう、まさに、横綱。自分がそこで目にしたのは、他のライスクッカーを寄せ付けない、うっちゃりオーラと、つっぱった値段設定。もう日本で見ることがなくなった昭和スタイルの胴長タイプ(ボディーにキュートなお花プリント)でさえ、強気のプライスタグでシコ踏んでました。

声をかけることも、目を合わすことすら出来ない、ハイスペック、どすこいマドンナ。

考えることすらも、恐れ多いです。

そんな感じで、タイガー炊飯器の存在を見て見ぬ振りをしながら今まで過ごしてきました。もちろん、買おうと思えば買えました。しかし、移住1年目に培われた貧乏根性と、周りに頼れる人がいない、という移民者としての立場が心のゆとりを狭め、同時にお財布の紐をきっつきつに締めていました。それほど、自分にとって収入が無い状態で過ごした1年目の記憶は、大きかったのです。

 

「ものを大切にする生活、大切にせざるをえない生活」

多分あのまま日本に残っていたら、経験しなかったであろう生活。きっと、他の出来事と同じように、自分にはその経験と学びが必要だったから、起きたのだと思います。

僅かなお金を切り崩して生活する中で、物とお金に対しての価値観は、あの時180度変わりました。

振り返れば振り返るほど、その時期があってよかった、と噛みしめるほどに、日本にいた時の自分は、お金の価値が全く分かっていませんでした。

例えば、20ドル(2千円)。最初の1年、自分にとって20ドルは大金でした。日本にいた頃と比べると大違いです。

家に帰る前にコンビニに寄って、当時まだ吸っていたタバコを買い(チェーンスモーカーだったので、3箱)、好きだったライフガード(チェリオ)に牛カルビ弁当、それだけじゃ足りないから、おにぎり2個に、からあげクンを買うと、瞬時に3名の夏目漱石(現、野口さん)はレジに吸い込まれていきました。

軽い、そして実に速い。スポンジタイヤを履いた、ミニ四駆並みのスピード。まさに、お金に羽が生えてました。

簡単にお金が飛んでいく事実を認識した後も、その時の快楽が忘れられずコンビニシンドロームにかかっていた自分は、ストラットフォード時代の腹ペコな夜中に、からあげクン、あらびきフランク、及び井村屋の肉まんの幻想を追いかけていました。

コンビニの誘惑、魅力的すぎて怖いです。

 

「後がない。締まっていこーぜー」的な生活を続けていたせいで、自分と嫁は、一時期ものを買うのに非常に消極的になっていました。

特に1年目から3年目の間、ある人から「ものを大切にする生活は立派だけど、お金は使わなきゃ回らないよ。お金を使うことを許してあげて」と言われるまで、節制に節制を重ねていました(あの頃の嫁さん、ごめんなさい)。服も、しばらくは古着一辺倒(あの頃の嫁さん、許して下さい)でした。

ですので、必要に迫られて買ったものは大事過ぎて、名前を付けてました。こう書くと、おやや? と思われるかもしれませんが、大丈夫です。必死なだけです。

気持ちを込めると、愛着が湧きます。人でも、猫でも、物でも一緒です。

自分と嫁には、重宝していたカバンがありました。それは底に車輪が付いている大きめのバックで、背負えるタイプにもなるし、背中にある伸縮性のハンドルを伸ばせば、コロコロと引くことも出来ました。

当時、車がなかった自分たちにしてみれば、このカバンは便利この上なく、どこに行くにも一緒に行動しました。日常のスーパーや、毎回のランドリー、初めて自分たちだけでバスに乗って行った街も、このカバンと共にありました。

長い距離も、雨の日も、そして雪の日も。ただひたすらコロコロと文句も言わず重い荷物を運んでくれました。

そのカバンの寿命が尽きた時、自分たちは何とも言えない気分になりました。

その子が自分たちのために、どれほど尽くしてくれたか、それによって生活がどれだけ救われたか、思い返すほどにありがたく、そして寂しくなりました。

 

タイガーの炊飯器を買った後、自分はそのカバンの事を考えました。

あれから時が経って、あの頃に比べて自分たちは格段に豊かな生活をしています。「物の大切さを知る」という学びとして必要でしたが、色々なシチュエーションで可能性に線を引くきっかけになっていた貧乏根性。あんなに憧れて、ずいぶん前には買える状態になっていたにも関わらず、見ない振りをしていた炊飯器を購入した事は、自分にとって「あの頃」という線を超える意味深いことでした。

それに気付くきっかけをくれた、嫁とタイガー炊飯器さん、ごっつぁんです。

炊飯器で炊いたご飯は、気持ちがホンワカするくらい、ふっくらでした。

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(恒例のネガティブ滝流し。今回は貧乏根性をササァーとサヨナラしてきました。月と滝、大好きな景色です)

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