廊下の隅の秘密基地

前回の記事の続きです。

yoshitakaoka.hatenablog.com

校長のフリは続きます。

何とか授業にも慣れた頃、クマ校長から「グレード3と4の算数クラスで授業についていけない子のヘルプをしてくれないか?」と打診を受けました。

彼の話を理解するのに時間は掛かりましたが、話をまとめると、自分の授業がない時間に算数を行っているグレード3と4のクラスへ指定された生徒をピックアップしに行き、図書室横の廊下の隅に用意されたスペースでその日の課題をマンツーマンでやる、というものでした。

 

自分は100パーセント文系です。しかも、小学校時代、全教科の中で算数が一番苦手でした。今回貰った話は、折り紙やコンニチワを教えるのとワケが違います。ですので校長から話をもらった時点では、受けるかどうかの即答はしませんでした。それから色々と考えたのですが、その時はまだ自分のスケジュールに余裕があったのと、算数とはいえ小学3、4年レベルだから問題ないだろうと思い、引き受ける事にしました。

が、しかし、読みが甘かったです。

数字だけで構成されている問いならまだしも、文章問題、つまり「太郎くんが時速5キロで歩いていました……」で始まるあれに、つまずきました。

何を問うてるのか、正確に分からない。これじゃあ答えようがありません。

これは、まずい、ということでマンツーマンクラスがある前日に必死こいて電子辞書を片手に教科書とにらめっこする日々が続きました。

 

自分はそのマンツーマンクラスで、3人の生徒を受け持っていました。

1人はグレード3の何度もトイレに立つ子、他の2人はグレード4で、いつも眠そうにしている子と、最近転校してきた課題に集中するのが苦手な子でした。

その子達がADDもしくはADHDに該当するかは分かりません。赴任したその小学校には特別学級もありましたが、その生徒達は一般のクラスで、どうしても授業についていけないという話でした。

異文化交流クラスではなく、一般の科目を生徒に教える。責任の重さが違います。課題をやり遂げることが出来るだろうか? その時間の間、席を立たず自分と一緒にいてくれるだろうか? まず第一に、自分の英語を理解するだろうか? などと、構えに構えて授業に臨んだのですが、結論から言うと、問題ありませんでした。

確かに、彼らは総じてモチベーションが低く、やる気を起こさせるのに時間がかかったり、トイレから帰ってこないのを迎えに行ったりしなくてはならなかったですが、それでも何とか毎回、時間内に課題を終えることが出来ました。

もちろん、普通にやったんでは集中してくれなかったので自分は校長の許可を取り、賞品スゴロク形式で授業を進めていきました:

(手書きのスゴロクボードを用意して、問題を解く度にコマを1マス進め、問いの難易度によって設定したボーナス時間内に解くと3マス進める。ゴール前に何個か中間地点を設け、到達する度に銀の鶴、もしくはリクエスト折り紙をプレゼント。ゴール到達時には金の3連鶴を贈呈)

 

マンツーマンクラスを円滑に進められた理由の一つに、そのゲームの存在もあるかもしれませんが、きっとそれが無くても、そしてもちろん教えるのが自分でなくても、誰かがしっかりその子達に向きあってあげれば同じ結果が出たと思います。

期待感というか、存在認識というか。誰でもいいんです、誰かが「あなたをちゃんと見てるよ」としっかりその子に示すことで、取り組みはゆっくりでも進んでいくのだと、その授業を通して実体験できました。

 

3人の生徒の中でも、最近転校してきたグレード4の男の子の理解力はとても高く、気は散りやすかったですが、通常の授業についていけなかったのが嘘のようにスラスラと課題を解く事ができ、時間も後半部分が余るようになりました。

そうなった段階でその子の担任に報告を入れ、その結果、その生徒は通常クラスに戻る事になったのですが、しばらくして彼の希望により再度、廊下の隅っこに帰ってくることになりました

その生徒は、よく喋る子でした。マンツーマンクラスに慣れてきた頃などは、とっととその日の課題を終わらし、余った時間を使って日本についての質問をたくさんしてきました。

「ここは僕のシークレットベースだ」

「ここにいる時間が1日の内で1番楽しい」

その子はいつもそう伝えてくれました。

 

彼はその年の11月頭に引越しをして学校を去りました。

グレード1から4の間に2回、ここを入れて3回目の転校です。理由は両親の離婚(コモンローの関係だったらしいので正確には破局)で、母親について街を出て行くと校長から聞きました。

その子が学校に来たのが5月の中頃なので、ここにはたった5ヶ月半ほどしか在籍していなかった事になります。

自分が今までこの国に滞在して見聞きしてきた限り、カナダでは片親が多いです。受け持っていたグレード3の子も片親で、ランチを届けに来ていたお父さん? の事を、お母さんのボーイフレンドだと言ってました。

今働いているホテルでも、従業員から頻繁に、「ステップマザー(義母)」「ステップファーザー(義父)」といった言葉を耳にします。

いつまでも男は男で、女は女。それは結構だと思います。青春フォーエバー、批判はしません。でも、子供に対して親である責任を果たしていない場面を目にすると、何とも言えない気分になります。

ランチにいつも食パン1枚のみ、という生徒も何人か見かけました(ちなみにその学校では、そのような状態が続くと親に連絡を入れます)。

その食パンの子が、ランチを理由に周りの生徒からからかわれた時に見せた表情。

その顔が強く心に残っています。悲しみ、憎しみ、怒り、暴力的衝動などといったものは、ああいう場面の積み重ねで増殖していくというのを、自分は過去の記憶から知っています。

一度、大きな声を上げてからかっている生徒を注意したのですが、そういった態度は控えてくれと、校長から丁寧に説明されました。

それはそうです。でも、ただ、やるせない気持ちでした。

 

その子の最後の授業の日。いつも通り早く課題が終わったので残りの時間を使い、今までの功績を拙い英語で目一杯褒めました。そしてその子が前からクールだと言っていた、自分のカバンに付けていた地元の神社のお守りをあげました。

そのお守りを本当に嬉しそうに時間をかけて眺めたその子は、いつも自分がしているように頭を下げ、「アリガト」と言いました。

 

その子が学校を去って、自分は想像以上に寂しくなりました。理由は分かっています。その子の中に、自分を投影していたからです。

前にここで言及した仲間に出会うまで、自分は自分自身を殆ど表に出せませんでした。というか、自分自身がどういった人物かということさえ、気が付いていませんでした。

自分にはスーパーマンのような姉がいます(女性ですがこの表現が一番しっくりきます)。彼女は言葉にすると現実味がなくなるほどに、優れていました。勉強もできスポーツ万能、ヤンキー達にも顔が広いといった非現実三拍子。

年が1つしか離れていない自分の名前は、自然と「◯◯◯ちゃんの弟」というものになりました。周りはもちろん、親からも「無関心」。そういった子供時代でした。

今ではその環境に感謝してます。

あの頃、さんざん人の顔色ばかり気にしていた内面の記憶と、心の中で培った数多くの感情が何かを表現する原動力の一部になっているからです。

 

自分と、あの時転校していった生徒の状況は、何もかも違います。ただ、誰かの向き合いが必要だった、という点では繋がっていたのかもしれません。だから、不思議とあの子の中に何度も自分を見たのだと思います。

あれから11年。自分の存在など覚えていなくても、あげた交通安全のお守りのご利益が広がって、義父でも、親戚でも、仲間でも、恋人でも、誰でもいいからその子をしっかりと想ってくれる存在がいる事と、その子がいつでもアクセス出来て心が休められるシークレットベースを持っている事を、強く強く願います。

 

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(ロッソー湖に沈む夕日が残す、光の線。果てしなく力強くて、安心します)

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