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「怒り」について

頭の中 カナダ 海外生活

「怒り」について様々な角度から考えるようになったのは、カナダに来てからです。

日本にいた時は、怒りを溜め込んでいたし、外に出して表現することは出来ませんでした(その反動で家族には多大な迷惑をかけました)。

それに日本で生きていると、怒りを抱えて過ごしている人達が山ほどいて(特に街中と電車の中)、自分もそこに混じって感情を相殺する事が出来ました。

結局そんなんで、自分の抱えた怒りの殆どを昇華することなく、カナダへやってきました。

自分の怒りの原因は、暴力です。小説でも書いているのですが、学生時代、上級生たちから執拗に受けた暴力を引きずって、ここまで生きてきました。

典型的な獅子座のB型気質のためか、プライドが邪魔して、誰にもそのことを真剣に相談できませんでした。

とても親密な関係だった親友たちにもです。事実として彼らがいてくれたおかげで、自分はその時代をやりきる事が出来たのですが、怒りは怒りのままでした。

 

カナダ移住1年目、金はないけど時間は余るほどあったので、嫁に自分の過去を聞いてもらいました。

自分よりも遥かに強い彼女に洗いざらいを話し、心情的にとても救われたのですが、怒りそのものは消えません。そんな時、嫁は自分に一冊の本を薦めました。

それは、ブライアン・L・ワイス博士の書いた「前世療法」という単行本です。

彼女は、以前付き合っていた彼氏が亡くなってしまってから、精神世界の本をたくさん読んでいました。

自分は、嫁と結婚するまで、そういった本に正直、偏見がありました。大して知りもしないのに表面だけなぞって、どちらかというと批判的でした。

きっと日本にそのままいたら、その本は読まなかったです。

あの時、あのタイミング。知り合いも友達も、遊びに行く場所もなかった街。時間だけは十分にあった1年目だから読んだんです。

その本の著者であるワイス博士が、その世界に対して自分と同じ懐疑的な立場で始まったからでしょうか、内容に抵抗を感じないまま、スラスラと読み終えることが出来ました。

ちょうどその頃、自分はその街でいくつかの不思議な体験をしました(詳細はいつかの記事で書きます)。

タイミングはバッチリです。読むだけでは消しきることが出来なかった疑心が、綺麗に消えていきました。

心からその世界があるという価値観を信じるようになったのですが、かといってドップリとそこに浸かったわけでもなく、本も「アルケミスト」と「聖なる予言」以外は手に取ることはなく、世界観は理解できても自分の怒りは未だに消えませんでした。

こうなってくると、なぜ、こんなにも怒りが持続するのかが不思議になり、色々な角度から自分の怒りを考えるようになりました。

 

自分が許せないのは「理不尽な状況」と「いじめ」、それに「境界線を越えてくる他人の態度」です。

反抗できなかった怒りの矛先を見つけられなかった日本時代、自分はその代替として筋トレを選びました。

「許せない。いつか見てろよ」それを原動力として、ダンベルにぶつけました。

カナダへ来てもそれは変わらず、有り余っていた時間を使い、とにかく重いものを持って発散しました。生身のままでは何の自信もない自分が、困らずに生きていくための肉体、精神武装です。

でも、逆効果でした。

体が大きくなってくるにつれ、英語でカナダ人と対等にやり合えるようになるにつれ、自分が許せないと思う状況を前にすると、以前にも増して怒りが湧き上がってくるようになってしまったのです。

「許せない。人の気持ちも考えないで」

それは、自分自身に直接関わらなくても、他人が被っている様子を見るのでも同じです。

もちろん、何もしません。ただ、そのことを口に出して相手に伝えるようになり、態度も変わっていきました。

それでも消化できず、筋トレの回数を増やす日々。

導かれてカナダへ来て、移民学校も含め、たくさんの現実を見せてもらって「健康で生きているだけで、ありがたい」と心底思う反面、消せない怒り。

別に毎日イライラしているわけではありません。ただ、許せないと自分が思うことを見た反応が、過剰でおかしいのです。

 

「ワイス博士のワークショップがトロントであるから、行く?」

自分にはアンガーイシューがあるのかもしれないと疑い始めた頃、嫁がその話を持ってきました。もちろん、答えはイエスです。

手放せない怒りの本質が、どうしても知りたかったのです。

ワークショップでは退行催眠をしました。自分の過去生を見るのです。

博士は何も見れなくても焦ることはない、と言いましたが、自分はビジョンが浮かびました。

それが本当に自分の過去生かどうかは分かりませんが、光景はしっかりと目にしました。

とても印象的で鮮明だったものが二つあります。

一つは中世の時代、場所は日本ではなく、どこかの城? もしくは砦? の地下牢獄でした。そこは薄暗く、松明が燃え、壁に掛かっていたのはたくさんの拷問器具でした。

自分の視点は、立ったまま置いてある棺桶の中。近づいてくるのは二人の白い覆面をした大柄な人物です。ビジョンはここまで。

そして、もう一つは、もっと昔の時代。いついつという断定は出来ませんが、中世よりかは遥かに前です。そこで自分は岩肌を背にして、とても大きな石を体に乗せられていました。両手が痺れて変です。横を向いた形で押しつぶされていて、左目は潰れています。石と岩の僅かな隙間、霞んだ右目に映ったのは、人の目でした。片目だけの目。その隙間から自分を見ています。

自分の脳みそは、そこで記憶と繋がりました。自分はその目を知ってます。

部室に呼び出され、囲まれてボコボコにされている時、囲んでいた人たちの目が印象的でした。

その場の狂気に飲み込まれて、興奮しきっている目。

自分を囲んでいるのにも関わらず、哀れみの視線を送る同情の目。

そして、興奮とも同情とも違う、好奇心に満ちた目。

岩の隙間から見た目は、その好奇心に満ちた目でした。

 

自分の持っていた疑問に対して、何か直接的な答えが出たわけではありません。

ただ、ワークショップが終わった後、言い方は変ですが、嬉しかったんです。何か理由が分かった気がして。

もし、あの過去生が本当なら、自分は何世にも渡って「暴力」「恐怖」「怒り」を繰り返してきたんです。今回のがたまたまされている方でしたが、きっと見ていないだけで、やっている側の過去生もあるでしょう。それがカルマならば。

で、今世でも自分はそれを繰り返してるんです(今世はやられる方として)。

という事は、この怒りの根底は、今世だけの怒りではないかもしれないのです。

だから、これほどまで執着しているのかもしれません。

本当の事は、誰にも分かりません。これが真実かどうかも知りません。でも、大事なのは、自分がそうかもしれない、と発見することなのだと思います。

自分は今まで、自分の事を頭がおかしいと思っていました。やられた過去があって以来、その人たちの心情を知りたい気持ちが抑えきれなくなり、一時期、暇さえあれば暴力事件、殺人事件の加害者の記述やその背景などを調べて読んでいました。

何で、人が人を殴るのか、そして殺すのかを知りたかったのです。

そんな本や記事ばかりをピックアップしていた自分に離婚届を出さなかった嫁に感謝です。

そういった事も引っ括めて、自分が今ここに生まれている宿題は、きっと「暴力」「恐怖」「怒り」からの解放なのだと思います。だからきっと、自分は日本ではなくカナダにいて、そしてその自分を受け止めてくれる嫁と結婚し、小説を書いているのだと。

自分が今世の役割を終わらすまでに、時間はまだ十分にあります。あると信じています。自分の代で負の感情を克服し、昇華させられるのなら、来世への宿題の持ち越しはなくなります。

人があまり怒りを溜めず、Fワードを連呼しているこの地なら、今世中に長く続いてきた課題を手放すことができると思うのです。

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(今日も滝にササァーと感情の不純物を流して参りました。感謝です)

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