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〈完〉 通じる英語って、なんだろう 〈 Yes I can 刈り取り期〉

第1段階第2段階ときて、ラストとなる今回のテーマは、「心の不平等条約、解除」です。

 

第3段階 Yes I can 刈り取り期

 

〈状況〉

  • カナダ人が話す英語の理解度、75〜85%
  • よほど専門的なものでなければ、突っ込んだ話も可能
  • カナディアンジョークの対応方法、及び、あえて聞き流す技術を習得
  • 英語を話す自分と、素の自分がついに融合
  • 自分が勝手に設けた、ネイティブスピーカーとの不平等条約を解除

 

〈会話の対象〉

  • 職場のカナダ人
  • カナダ生活を送る上で関わる全ての人々

 

〈実践したもがき〉

  • スラングやイディオムの勉強
  • 発音の見直し(念仏スタイル)
  • 言葉を出すタイミングや間の取り方のリサーチ

 

英語を話す時の自分と、素の自分とを、やっとの事でドッキング出来た第3段階。
時期でいうと、滞在8年目から現在になります。

 

カレッジを卒業し、今働いているホテルに就職した辺り(滞在7年目)で、英語に関して1つの気付きがありました。

 「どれだけやっても、ネイティブスピーカーには、なれない……」

 カナダへ来た当初、特に一番はじめのバンクーバーにいた頃などは、「5年くらい現地に滞在すれば、もちペラッペラで、ネイティブレベルの英語になってるっしょ」と本気で思っていました。

今、振り返る自分の5年目……

残念ながら、もちペラッペラではありませんでした。

以前の記事にある通り、意思疎通に問題はなく、調子乗ってハンバーガーのカスタマイズオーダーなんかし始めちゃってますが、ネイティブレベルなどには程遠く、「小慣れた」という英語の庭で、ジタバタもがいていました。

18歳当時の自分の見通し、大ハズレです。

 

 そうはいっても、能力自体は伸びることは伸びるんです。確実に。

やればやるだけ、時間を掛けた分だけ。

ただ、時が経つほどに、そして英語力が上がるほどに、語学学習に天賦の才があるわけでも、幼少期に覚えた英語がポテトとファンタ(響きが英語)が関の山だったのを踏まえても、自分はどうあがいたってネイティブにはなれないんだな、という事を実感しました。

(ちなみに、ごく稀にいるんです、天才が。語学に関して天賦の才に恵まれている人が。そういう人たちは、例え幼少期に英語教育を受けていなくても、ネイティブと比べても遜色ない英語を話す事が出来るのです。ミラクル)

 

さて、「ネイティブにはなれっこない!」と気づいた自分ですが、その頃になると、ありがたく英語で困ることは少なくなっていました。

ただ、それはあくまでも北米英語に関してですが。

 

自分は、本場イギリス英語が苦手です。

リスニング相性の問題なのか、彼らの独特の発音(彼らからすれば北米英語の方が訛っているように聞こえるのでしょうが)に、自分の耳が上手く反応してくれないのです。

同じように、オーストラリアやニュージーランドの英語も得意ではないのですが、何と言っても、イギリス英語、特に年配の男性が話すイングリッシュを前にすると、自分が第1段階に戻った気持ちになります。

(不思議なことに、ジャマイカやバルバドス英語は問題ありません)

普通に生活をしていて、そんなイギリス紳士と話をする機会はないのですが、務めたホテルでは別です。

しかも、そんな紳士と電話でやり取りをしなきゃいけない時なんかは、はなっから諦めモードで、何を話されても正直、「あんだって?」となります。

そんな時は、もちろん自分の英語も彼らに通じづらくなっていて、向こうから帰ってくるアンサーも、もちろん「あんだって?」なんです。

電話口で繰り広げられる終わりの見えない「あんだって?」ラリー。

挙げ句の果てに、紳士が探していたものがシャワーキャップだと分かった時は、気持ちが折れそうになります。

おじさん、本当にシャワーキャップ使うのかい。

 

大変な事もありますが、自分の英語が飛躍的に進歩するきっかけになったのは、今のホテルです。

それは、イギリス紳士さん達や他のお客さんとの交流があったからではなく(それも1つの要因ですが)、そのホテルで働く従業員達との出会いがあったからです。

自分はそこで、たくさんの「普通のカナダ人」と接することになります。

「普通のカナダ人」という言葉に関して、誤解がないように説明したいのですが、今までストラットフォードの小学校、レストラン、インターンシップで行ったホテルでは有難いことに、親日家や日本に興味がある人たちに囲まれていました。

もちろん、そうでない人たちもいましたが、基本、仕事上メインで関わる人は、「ビバ日本」の方が殆どでした。

ですので、彼らは自分の英語が拙い時でも、必死に理解しようと話を注意深く聞いてくれました。

しかし、今のホテルは違いました。自分は初めて、そういった人たちがいない中で働くことになりました。

 

考えてみたら、果てしなく恵まれていたんです。

ここのホテルに来て分かったのは、今まで自分が取れてきたと思っていたコミュニケーションは、相手の優しさや気遣いによって成り立っていた、ということでした。

気遣いイルージョンがとけ、優しさフィルターを取っ払った自分の英語は、従業員からこれでもかと、聞き返されました。

 「今までも会話は夢か、幻か?」という自問自答の日々の始まりです。

じっくりと考え、たくさんの人の意見を聞いた結果、問題は「発音」だということが分かりました。

何となく、自覚ありです。

これまでネイティブの発音を真似しながらも、結構、感じっこでそれっぽく言っていた自分が浮かびます。

これじゃ、ダメです。

発音、一から見直しです。

 

それからというもの、1日の終わりに、その日伝わらなかった単語をピックアップしておいて、帰宅後パソコンに向かい、辞書サイトで正確な発音を音出しで確認し、それを復唱しました。

何度も、時にはリズムなんかつけちゃったりして、さながらお経スタイルです。

この時、自分は初めて音節というものを意識し、発音記号の勉強もしました。

発音と並行して、言葉を発するタイミングに注意を払いだしたのも、この頃です。

日本語でもそうだと思うのですが、言葉と言葉を区切るタイミングって結構重要だと

思うのです。

例えば:

 

「昨日はね、牛丼の大盛りに卵を足して食べたあと、すぐに寝たよ」

という文があるとします。

 

日本語で考えると簡単なのですが、この文章の自然な区切りは:

「キノウハネ ギュウドンノオオモリニタマゴヲタシテタベタアト スグニネタヨ  」

となります。

 

この文が英語だとして、自分は以下のように言葉を切っていたので、ネイティブには自然に聞こえていなかったのです。

 

「キノウハネギュウドンノオオモリニ タマゴヲ タシテタベタアト スグニネタヨ」

意味は分かりますが、たどたどしくて、前方にドン詰まりです。

 

こうなった場合、聞き手が牛丼、もしくは、自分自身に興味がないと:

「キノウハネギュウドンノオオモリニ」

という前のめりに突っ込んだ言い方の時点で、彼らの脳に「あんだって?」注意報が点滅し、耳を貸そうとする身体反応が停止します。

 

もう「あんだって?」は聞きたくない……

自分は仕事中、同僚のカナダ人同士の会話を変質者のごとく聞き耳を立て、言葉の切れ目の自然なタイミングを真似っこどうぶつしていきました。

英単語をお経読みし、言葉の区切りを徹底してネイティブの真似っこに徹した自分の英語は、徐々に「普通のカナダ人」にも受け入れられていきました。

発音に手応えを掴んだ自分は、ずっと聖なる領域でアンタッチャボーだったスラングやイディオムにも取り組み、その結果、同僚との間の「あんだって?」は、目に見える形で減っていきました。

 

しかし、ここで新たな厄介が。

言葉がやっとこさ受け入れられるようになった後に、表に出てきたのが「態度」です。

ここでの仕事を始めて、自分はずっと違和感を感じていました。

言葉に出すと、自分がここにいるのに、いないように感じる感覚というか、相手の反応が薄いというか、正直、相手にされていないというか……。

この感覚は以前レストランで感じたのと同じです。

あの時は、自分の英語が拙かったのと、敵を作っちゃいけないという思い、両方の効果により、教科書通りの英語しか使っていなかったのが原因です。

しかし、今回は英語の質も上がり、スラングなんかも使っています。

なのに、なぜ? 

 

仕事上は何の問題もありませんし、彼らと友達になって「ヘイ ヨー ワァッツアップ」バディーになりたいわけでもありません。

ただ、ここにいるのに、いないような感覚は、気持ちのいいものではありません。

違和感に関しての正確な理由もわからず、ただ時間だけが過ぎ、その年の暮れを迎えたとき、自分は久しぶりに日本にいる親友とスカイプで話をしました。

普段、というか何年間も溜まっていた思いを話していると、彼は「相変わらず、頭おかしいな」と言いました。

 

頭がおかしい? ん? 

あ、そうです。あたま、おかしかったんです。

いやー、すっかり忘れてた。

そうか、そうか。そうだったじゃん。何だよー、もっと早く言ってくれよ。

という感じで、彼の発言を聞いて、自分の気持ちが半端なくスッキリしました。

 

移住して10年。

生き残れるように、敵を作らないように、カナダ人の前では一歩引き、本音を出さず、いつも笑顔で丁寧に、教科書英語のニタニタスマイル。

そんなことを長年やっていくうちに、自分というものを確実に見失っていました。

スラング使ったとか、イディオム覚えたとか、そんなのどうでもよかったんです。

(いや、大事なことです)

もし、自分が、対カナダ人用の自分と友達になりたいか? と聞かれたら:

答えはもちろん「ノー、センキュー」です。

理由は真面目すぎるからとか、教科書英語を使うからでは、ありません。

色々なものを取り繕ってるのが、滲み出ているからです。

もっとも、そうなった経緯に理由があるのは、自分の事なので知ってます。

この、対カナダ人用の性格は、移民したいと自分が決めた時点から、とにかくサバイブしようとやってきた結果です。

 

ありがたく移民ができ、仕事もあり、家もあり、そして英語力もある。

もう、いいだろう。

そう、自分の中で心から納得しました。

自分の勝手な憶測と判断で、誰に強制されたわけでもなく設けた、心の不平等条約。

親友と話をし、自らしっかりと納得した後に、自分は、その条約を解除しました。

英語を話す時の自分と、素の自分、久方ぶりのご対面です。

それからは、自分のまんま。

ふざけてて、毒もたくさん吐くし、たまに理不尽です。

でも、自分のまんま。

カナダ人、少なくともうちの同僚は、そんな自分の方がいいみたいです。

何かヤバい薬でも飲んだんですか? という位の変わりように、手を叩いて喜んでます。

満面の笑みで、クレイジージャパニーズと言い、自分の肩を叩きます。

クレイジーかどうかは分かりませんが、前と比べものにならないほど、心が楽です。

 

「通じる英語って、なんだろう」を探し続けてきた今までの英語人生でしたが、現時点で自分が見つけた答えは、英語が「通じる」より、まんまの自分が「伝わる」方が、よっぽど重要なんだ、という事です。

移住して、まだ10年。

これからも「まんまの自分が伝わる英語」を追求して、やっていきたいと思います。

 

長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。

 

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(働いているホテルからも見える滝。舞い上がるしぶきのおかげで、ここではずっと虹が見れます)

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