続 通じる英語って、なんだろう 〈What's マイケル 熟成期〉

通じる英語って、なんだろう?

 

昨日の記事の続きです。

第2段階目は、「何でもう一歩、踏み込めないんすか?」がテーマです。

 

第2段階 What's マイケル 熟成期

 

〈状況〉

  • カナダ人が話す英語の理解度、65〜75%
  • 意思疎通に問題はないが、突っ込んだ話をされると言葉に詰まる
  • カナディアンジョークに上手く反応できない
  • 英語を話す時の自分と、素の自分とのギャップにヘコむ(本来の自分の性格が英語に乗っけられない)
  • 軽度のブロークンイングリッシュ同士だと、かなり深い話ができる
  • 以前はツーツーだった定型文達と、距離を置き始める
  • サブウェイだろうがミスターサブだろうが、バッチこいになる

 

〈会話の対象〉

  • 最初の就職先の同僚
  • カレッジの教授、職員
  • カレッジのクラスメイト
  • インターンシップ先の従業員

 

 〈当時、実践したもがき〉

  • カレッジでの勉強仲間集め

 

 自分にとっての第2段階は、滞在2年目から7年目になります。

「環境が変わらない状況下では、滞在年数と英語力は比例しない」

自分はこの言葉通りの経験を、最初の就職先であるレストランに勤めていた2年目から5年目の間にしました。

もちろん、「こんにちは、イングリッシュ」レベルの1年目に比べれば、2年、3年、4年、5年と徐々にボキャブラリーも増えて、発音もマシになったのですが、当時の自分の感覚では、「英語力が伸びた」というよりも、「英語に、小慣れた」という実感しか持てませんでした。

それは、OSは変わらず、バージョンアップのみを繰り返すパソコン。

小さな変化はあるのですが、システム自体の基本能力は変わりません。

日常生活では、英語オーダーのラスボスである、サブウェイだってバッチこいだったんですが、何かこう、もう一歩が踏み込めなかったんです。

 

 仕事先のカナダ人スタッフと話していても、いまいち盛り上がりに欠けるというか、自分の無難な返しのせいで、相手の反応が悪いというか……。

 

カナダ人  「よう! 元気か?」

自分  「ハロー。元気です。あなたは?」

カナダ人 「おぅ。いいよ。最近どうだい? 何か新しいことあったかい?」

自分 「特にないです」

カナダ人  「そうか。俺の方はさぁ、車がぶっ壊れちまって、参ったよ」

自分  「ワーォ。それは、残念ですね」

カナダ人  「そうなんだよ」

自分  「お気の毒に」

カナダ人 「うん」

自分  「……」

カナダ人  「……じゃあ、後でな」

 

 

非常に、つまらなく、無機質。

こんなんじゃ、誰も寄ってきません。

本当は、言いたい。

 

「おぃ、また車壊れたのかよ! 何回めだよ! 安っしーオイル入れてんからだろ。分かった、分かった。俺が後で、代わりにソイソース入れといてやるからな。それで、問題ない。これが本当のイエローマジックだ。ガハ、ガハハハ!」

 

と。

ただ、当時は、「生き残らなければいけない」「敵を作ってはいけない」という事を意識しすぎて、教科書通りの英語しか使っていませんでした。

英語を話す時の自分と、素の自分。

移住して以来、離れていた2人が完全に融合するのは第3段階に入ってからです。

ともかく、英語力の進歩を実感できていなかった自分は、色々なきっかけがあり、そのレストランを離れ、移民学校を経て、カレッジに進学する事になります。

入学時、30ジャスト。

学校へ戻るには、いい年でしたが、カナダで成功するためと、自分が日本で済ませてこなかった宿題を終わらせるため、エイヤァと飛び込みました。

 

カレッジとはいっても、生活に困らない英語力があるから、何とかなるだろう。と、自分は考えていたのですが。甘かったです。

日本にいる時に、しっかりと勉強をしてこなかった自分にとって、ジェネラルの英語と、アカデミックの英語は全くの別物でした。

困った、ボキャブラリーの質が違う。

あまりのギャップに面食らい、当初、クラスの中ほどに座っていた席も、徐々に教授に指されなさそうな後方へと下がっていきました。

しかし、これがいけなかった。

講義によっては、グループで行う課題が結構あり、後ろの方に座っていた自分のパートナーは、自然と同じ後方に席があった、明らかにやる気のなさそうなカナディアン達。

教科書英語で、丁寧に各々の分担の確認、締め切り日時の念押しなどをしても、まぁやってこないわ、約束は守らないわで、大変でした。

彼らにとっては、たかがカレッジのグレード。

まだまだ若いし、痛くも痒くもありません。

でも、こちとらもう三十路。

学生ローンを使ってまでの進学、後がありません。

自分の勇気のなさや自信のなさが、己の足を痛いほど引っ張るのを身にしみて痛感した自分は、正反対の方向に振り切り、何のクラスでも、必ず前方の席に座る事にしました。

 

前に座ると、今まで気付かなかった世界が見えます。

後ろにいた頃は、同じタイムテーブルを取っていたとは知らなかった生徒たち。

いつも近くに座る、インド人二人組。

彼らの授業態度は、常に真面目です。

 

間違いない、自分が見習うべきは、彼らだ。

気持ちは、まさにセコムの長嶋さん。

 

「僕のチームに入らない?」

 ……いや、「今度のグループワーク、自分と一緒にやってもらっていいですか?」

こうして自分のスカウト……ならぬ、お願いを聞いてもらい、彼らと一緒に勉強を始めました。

彼らの目標は、「いい成績を取る」ただ一つ。

自分も彼らと同じく、それを目標に、ただただひたすら課題をこなしていきました。

 

講義でやたら発言を繰り返す、謎のアジア人集団。

気がつくと、周りに座る人数は5人になっていました。

自分とインド人2人、そしてセントビンセント・グレナディーンという自分は聞いたことがなかったカリブ海の国出身の「成功するためにカナダへ来た」と公言する子持ちの黒人女性、もう1人は「パーティーとセックスとウィードの話ばかりでつまらない」と、違うグループを抜けてきたカナダ人の女の子でした。

人種もバックグラウンドも違うメンバーですが、「いい成績を取る」という目標は同じです。

ゴレンジャー、出撃です。

自分を含め、皆、カレッジ以外にも仕事で忙しかったため、効率良く課題を終わらせようと、ブレイクや、出る必要のないクラスの時間に図書館の学習室を予約して、勉強に励みました。

あの期間が、後にも先にも、人生で一番、机に向かった時期です。

 

迫り来る課題に追われるうちに、いつしか自分のコミュニケーションツールで最大の武器だった英語定型文を駆使しないでやり取りをしている自分に気が付きました。

仕事と違い、同じルーティーンの繰り返しではない状況で、定型文はあまり有効ではありません。

自分で考え、答えを導き出さなければいけないからです。

自分の英語人生にあった壁が崩れ出します。

その崩れた先にある道へ、新たな一歩を踏み出すきっかけになった出来事が、マーケティングのクラスで起きました。

 

その講義の最終試験。

教授から「今回は問題に専門用語がたくさん出てくるぞ」とお達しがあった時、1人の中国人生徒が「問題内容をしっかりと理解したいから、電子辞書を使ってよいか?」と質問をしました。

自分にとってもその方が助かるので、いい提案だと思い聞いていると、クラスの中で目立つ存在だったカナディアンの男の子が急に声を荒げました。

「そんなのフェアじゃない。インターナショナル生徒は、英語が分かんない事で、いつも優遇されている。そんなのおかしい。ここはカナダなんだから、カナダのルールに従うべきだ」

彼の言う事は、理解はできます。

電子辞書で、誰がどんな不正をするかは、わかりません。

ただ、カナダのルール? という部分と、彼のフラストレーションは、どうしても理解できません。

彼の主張を聞くと、ここはカナダなのだから全て英語で(フランス語も公用語ですが)まかなうべきで、英語が完璧に分からないのは己の責任なので、電子辞書を許すのはおかしい、というものでした。

うーん、どうだろう。分かるし、分からない。

もちろん、ここはカナダ。英語とフランス語が公用語の国。

分かります。

もう一方で、ここは移民の国、カナダでもあります。

 

この議題は、移民者としての自分に、これから先、降りかかってくるもの。

自分が勉強して知ったカナダの事実を、伝えたい。

彼が生まれて、住んでいるこの国の方針を伝えなければ。

その時、とても強く、強く思いました。

 

カナダはたくさんの移民で成り立っている側面もあります。

自分達は、税金もちゃんと納めていますし、カナダのカレッジにしても、たくさんの外国人留学生によって支えられています。彼らの支払う学費は現地人の2倍以上。もしカナダ人だけの学費収入だけだったら、維持するのが難しくなる教育機関も出てくることでしょう。

カナダ政府は移民を受け入れています。

そして、移民や留学生に対して、サポートもしています。

オンタリオ州の運転免許の筆記試験がいくつかの言語で(日本語はありませんでしたが)受けれるのも、そういった事実の1つです。

 

確かに移民したのは、こちらが勝手に決めた事です。強制されたのではありません。

でも、移民や留学をしてきた人達に、何が何でも絶対、現地の公用語以外を使うなというのは、正直、どうかと思います。

電子辞書を認めろ、とか、自分達の言語を使わせろ、などと言っているのではありません。

移民者や留学生も、国を形作る一角を担っている、カナダ。

その事実を少しでも認識してくれれば、彼の排他的なコメントも和らぐのではなかろうかと思うのです。

 

と、いうような内容の発言を、スラスラとではないですが、正確に彼に伝えました。

若いし、いつもFワードを多用している子なので、今回もFちゃん返しされるのかと構えていたのですが、そうはなりませんでした。

こちらに顔を向けた彼は、「その事は知らなかった。ごめん」と言いました。

結局、電子辞書の使用は認められませんでしたが、自分の気持ちをしっかりと英語に乗せて伝えられました。

言いたい、伝えたい、黙っていたくはない。

感情は言葉を超えます。

 

定型文を越えた先の英語に必要なものは、自分の感情なのだ。

カナダ人と対等にディールし、自分の権利、そしてアイデンティティーを守る為には、生活や授業を理解する英語だけでは、足りない。

その重要な気付きを与えてくれたその男の子に感謝し、自分の英語は第3段階へと向かっていきます。

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 (青空に浮かぶ、黒と黄色のカエデ。短い短い、カナダの秋です)

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