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嫁に頭が上がらないわけ

2月14日、カナダでは今日がバレンタインデーでした。

この日は大好きなチョコレートの日であると同時に、自分たちの結婚記念日でもあります。

同じ名字になってから11年目の記念日、自分は今年も仕事でした。

 

籍を入れる時、忘れないようにと分かりやすい日を選んだのですが、こちらに来て2人ともホスピタリティ業界に就職したこともあり、このアニバーサリーを満足に祝えていない状態が続いています。

嫁さん、正直すまない。

 

今回の本文は、ブログを始めた頃にアップした記事の内容を加筆したものです。

読んで頂けたら幸いです。

 

カナダでは(きっと、他の英語圏の国々でも)夫婦間のバランスを表す決まり文句に:

「Happy wife, Happy life (嫁が幸せなら、自分の人生も幸せ)」というフレーズがあります。

あくまで個人的な見解ですが、自分はこの慣用句に白旗を上げて100%同意します。

 

結婚して、今年で11年。

タイトルにもある通り、自分は嫁に、全く頭が上がりません。

 

今ここで「嫁」なんて気安く言ってますが実際の心情的には嫁さん、いや、嫁様です。

上の一文を冷静に見ると、ドMさんが書いているイメージしか湧きませんが、自分は決して、Mさんグループに属している訳ではありません。

では、なぜ自分が「嫁様」などという言葉を用いたのかは、以下の「夫婦間のパワーバランス推移」を見ていただければ分かってもらえると思います。

 

嫁と一緒になって11年、そしてカナダに移住してからも、同じく11年が経ちます。

つまり自分は、こちらに来るホンの少し前に、彼女と籍を入れました。

出会って半年で決意した結婚。

ちなみに婚姻届を出した時点のパワーバランスは、「50:50」のイーブンです。

 

結婚してすぐ、自分は嫁に背中を押され、以前記事で書いた小学校へ1年間の任期で赴任しました。

ここでの仕事はボランティア。給料は出ません。

まだこの時は移住するとは決めておらず、尚且つ、帰国してからのプランはありませんでした。

今、振り返ると、完全な暴走行為です。

結婚して2ヶ月しか経っていないのに、自分の背中を押す嫁も嫁ですが、行く方も行く方です。

先の事は、なんとかなる。

当時は何の根拠もなく、お互い本気でそう思っていました。

「若さ」とは、一種の麻薬です。

ということで、自分の無謀な選択にも関わらず、この時点での力関係も奇跡の「50:50」キープです。

 

赴任地であるストラットフォードでは、当初、同僚の先生の家に住んでいましたが、学校が夏休みに入り、「こんな経験は、もう二度と出来ないかもしれないから、自分が居る間に生活しにきなよ」と、金もないのに一丁前に嫁に声をかけて呼び寄せてからは、その先生が所有するアンティークハウスに二人で住まわせてもらう事になりました。

 

街の中央を流れる大きな川沿いにある、アンティークハウス。

こう、文章に書くと何とも素晴らしい響きなのですが、そのドリームハウスは、何と現在進行形で改装中でした。

しかも、その直し具合が半端なく、アンティークハウスの名に恥じぬ、築80年はいっているのではないか、と思われしき建物を「リホーム」などという言葉が泣いて逃げ出すほど分解して「リビルド」していました。

その上、アンビリーバボーなことに、その改装は業者がやってるのではなく、同僚の先生の旦那さんが彼の弟と二人で仲睦まじくスローなペースで作業していたのです。

 

全く、終わりが見えない。

というか、絶対、終わらない。

 

つまり、玄関あけたら、「柱もねぇ、壁もねぇ、床板まともにハマってねぇ」という、リアル吉幾三ワールドでした。

そんな訳ですから、もちろん室内は「テレビもねぇ、ラジオもねぇ、インターネットは何者だぁ?」となっており、とても21世紀とは思えない新婚生活を、そこで送る事となりました。

(ネットは後で先生の旦那さんが「隣の家の無線LANを拝借」という荒技を無断で実行し、供給される事になります)

 

大きな家だったんです。

今までの人生で目にした事が無い程の大きな家だったのですが、1階、3階全域、及び屋根裏、地下の簡易キッチンを除く全てが改装のため使用不可で、唯一、残された2階が、自分たちの居住スペースとなりました。

 

当時、非常に少ないながらも家賃を払っていたので、この状況に文句を言う事も出来たのでしょうが、他にツテもアテもない上、1年目で英語に自信がない自分は「文句を言わない日本人」を見事に演じきってしまいました。

自分の体たらくと、幾三ハウスでの居住に嫁の不満が一気に上がり(当然です)、ここで初めてパワーバランスが動き、「60:40」になりました(もちろん、60が嫁です)。

この当時の記憶は、以後、何度も振り返る事になるのですが、思い出すたびに、嫁に対して「大変、すみませんでした」という思いしか浮かばなくなります。

 

決して、日本で裕福な暮らしをしてきた訳ではないのですが、あの1年間の生活は、文字通り「きっつきつ」な毎日を繰り返していました。

書き出すと、とても長くなってしまうので省きますが、1つ例えるならば、二人の初めての結婚記念日のディナーは、ウエンディーズ(日本にあるのかは分からないのですが、マクドナルドと同じファーストフード店です)のハンバーガーセットでした。

あの時、「今日は贅沢したね」なんて言わせてしまい、本当に、申し訳ございませんでした。

そんな状態で過ごした1年間(彼女にとっては約7ヶ月)が終わると、夫婦間のバランスは、「70:30」になっておりました。

もちろん、異存はございません。

自分が好きで来て、思い付きで長期間、呼び出してしまったのですから。

 

さて任期が終わり、「幾三ハウスよ、さらば」という時に、今度は自分が「カナダへ移住したい」と言い出しました。

大変、自分勝手です。

でも、ここに賭けたかったんです。

貧乏はしたけど、この1年間のインターンで、物凄い収穫がありました。

情熱を注げば注ぐほど、成果として現れる。

授業にしても、英語にしても、自分が打ち込んだ分だけ、伸びて、そして周りが結果を評価してくれる。

自分が何者だった、なんて関係なく、自分が打ち出した結果を、皆が見てくれる。

この社会で、生きていきたい。

その思いは日に日に強くなっていきました。

 

嫁は「ご飯を食べさせてくれるなら、どこでもいいよ」と言ってくれました。

神です。

パワーバランス「80:20」確定です。

でも、そんなのバッチこいでした。

彼女は日本で、しっかりとした学歴も職歴もあって、失うものがない自分とは状況が圧倒的に違っていました。

 

嫁は、自分に人生をくれました。

自分には出来ません。

彼女は、とても強い人です。

 

 うまく言えないのですが、嫁は、いつも違う場所にいました。

以前、付き合っていた彼氏が事故で亡くなってしまった影響からか、彼女はいつも「生と死」を深く考えながら生きてました。

 

夏休みに自分を訪ねてこちらに住むようになってから少しして、彼女は持っているビザで無料になる、子宮がんの定期検査を受けました。

「年が年だから、一応ね」彼女はそう言っていましたが、結果は「陽性」でした。

英語も満足に喋れず、周りに家族も知り合いもいない、異国の地で受けた結果。

その後、何度か検査を受け直しましたが、結果は同じです。

ビザで医療費がまかなえるという事で、彼女は最初の手術をこの地ですることを決心しました。

手術といっても一番初めに行われたのは、全身麻酔もかけないもので、自分も側にいれました。

話せる人が自分しかいない国で、ベットに横になる嫁。

手を握ったら、泣きそうな顔をしましたが、泣きませんでした。

 

しばらく時が流れ、何度か術後の検査をパスしましたが、また引っかかってしまいました。

今度はオンタリオ州で一番大きい、がんセンターです。

そして、今回の手術は全身麻酔をかけられるようでした。

 

「私がちゃんと目を覚ますように、祈ってて」なんて言うものだから、色々なことがイメージできて泣けてきました。

 

自分に彼女が以前経験したような「喪失」を受け止められる覚悟も度量もありません。

自分に出来ることは、祈る事と、亡くなってしまった彼氏に、嫁を守ってください、と必死にお願いする事でした。

 

手術が終わって目を覚ました嫁は、「甘いものが食べたい」と言いました。

彼女は、本当に強い人なのです。

 

嫁は自分の過去にあるものを全て受け入れてくれた、初めての女性でした。

やられ方や暴力の差は違えど、彼女も随分長い間自分と同じような経験をしていて、そしてそういったものとずっと戦ってきた人でした。

この人と一緒に人生を変えたい、この人と一緒に先を見て見たい。

彼女の中にある強さに触れて、自分は一緒になる決意をしました。

 

嫁は手術の事があった後でも、「この地で自分と生きていく」と言ってくれました。

 

彼女は、人生をくれました。

その対価として、一生「100:0」でも構わないと、嫁がくれた言葉の意味を噛みしめました。

 

こちらに来てから、何をするにも、どこに行くにも2人でした。

最初の1年、英語が上手く話せず、心ない人に馬鹿にされ、幼稚園児のように扱われても、二人でいれたから、何てことはありませんでした。

カナダに残れる道を模索して、ほぼ一文無しで引っ越した時も、嫁がいたから心配ありませんでした。

生きていくため、毎日、長時間働く期間がありましたが、とにかく先が楽しみでした。

お金貯めて、カレッジ行って、仕事と勉強の両立がキツかったけど、二人だから、何とかやってこれました。

嫁は移民後に、学校を2つ出て、今はカナダで一番に選ばれたスパで働いています。

 

自分の限界を、いつも簡単に壊してくれた嫁。

「情けないね、あんたの実力、そんなもんなの?」

そう言われ、悔しくて、自分の思い込みを破ってきた。

もう道がないと思えた時も、そんなもの自分で作ればいいと言い放った嫁。

生きていてくれて、よかった。

 

彼女は嫁であり、家族であり、一緒に生き抜いてきた戦友であり、親友で、恩人なのです。

 

「Happy wife, Happy life」

バレンタインの朝、自分の机の上に置いてあったブルボンアルフォート。

自分にとっては、どんな手作りチョコレートよりも意味のある宝物でした。

 

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(ストラットフォード時代の散歩道。物凄く寒かったけど、その分、綺麗でした)

行き場のない感情は、どこへ流せばいいのだろう

皆さんには学校や職場、もしくは住んでいる街などに自分1人になれる場所がありますか?

自分は、あります。

というか、新しい所へ行くと、まずその候補地を探します。

 

小さな神社の拝殿裏

人気のないデパートの屋上

決まった駅の階段下ベンチ

誰も使っていない駐輪場

冬のプール小屋

 

ちなみに今の職場で使っているのは、ボールルームの先にある備品室で、そこはドアを開けるのに専用のカードキーを必要とするため、ほぼ確実に1人になることができます。

 

人によって1人になりたい理由は様々だと思いますが、自分の場合は嫌なことや辛いことがあった時、そして、感情の落とし所が分からなくなる出来事に遭遇した際に、上記の場所へ足を向け、じっと気持ちが収まるのを待ちます。

 

行き場のない感情。

悲しいわけでも、寂しいわけでも、憤りを感じるわけでもない。

ハッキリとした表情を持たない思いが心を占めた時、とにかく無性に1人になりたくなるのです。

 

自分がその感情を強烈に意識したのは、22歳になって行った大学病院からの帰り道でした。

見えなくなっても

無くなっているのではない

 

中学、高校を通して山のように溜め込んだ消化不良の塊を無理やり心の端に追いやり、卒業後、逃げるようにして向かったバンクーバー。

誰も自分を知る人がいない環境の中、人生で初めて真剣に取り組んだ勉強がとにかく楽しく、ローマ字で名前も書けなかった英語力は、やればやるだけ伸びていきました。

 

(勉強が楽しい)

 

今まで生きてきて、一度も味わったことのない思いに魅了され、帰国後、独学で入った大学。

元々、高校も出席日数ギリギリで何とか卒業できた状態だったので、進学しようなどと考えたこともなかった自分は、「大学」というものに過剰な期待をしていました。

 

当時、二十歳だった自分は、限りなく無知で、とにかく世間知らずでした。

 

教科書をなぞるだけで進められる、一方通行の講義。

中学、高校と変わらない「学校」という空気。

 

自ら勝手に上げたハードルにつまづいた結果、自分の足は自然と教室から遠のきました。

 

(思い描いていたのとは、違う)

自分の感じた思いを正当化させようと、繰り返し唱えていた言い訳。

 

ただただ、弱かったのです。

本当に強い人は周りに流されません。

理想だけ高く、頭でっかちだった当時の自分は、己の意思を貫く気概を持ち合わせていませんでした。

 

大学のある駅に着いても、ホームのベンチに座ったまま動かない。

構内に入っても、クラスには行かず、図書館に通いつめる毎日。

 

(自分は一体何をしているのだろう)

 

見つからない訳を探すように、デカルト、ニーチェ、ハイデガーなどを読み漁り、時間をかけて必死にノートにまとめたのですが、自己弁護の糧とはなりませんでした。

 

講義に出て、出席表に名前を書く。

そんな簡単な事すら出来ない自分は、人と比べて酷く劣っていて、どうしようもない存在に思えました。

 

終わりのない自己否定によって、バランスを崩していく心。

そのタイミングをじーっと待っていたかのように、今まで隅に押しやり無かったことにしていた記憶が突然、姿を現しました。

 

あれだけ頭の奥にいたのに、意識した時には、もう目の前です。

 

何度も見る同じ夢。

鮮明に浮かぶ場面。

ずっと誰かに見られている感覚。

奴らが襲撃に来るのではないかという妄想。

鳴ってもいないのに聞こえる、チャイムや電話の呼び出し音。

 

やられていた頃のように眠れない日々が続き、慢性的に不安を感じるようになりました。

 

(頭がおかしくなってしまったのかもしれない)

 

いつも一緒にいた仲間と過ごしている時は、嘘のように気分が晴れやかになるのですが、一人でいるとダメでした。

なので、その頃は暇さえあれば集まり場所に入り浸り、家で過ごす時間は極端に少なくなっていました。

 

睡眠を取りに帰っても、眠れなくて叫び、電話やチャイムが鳴ったと家を荒らす。

十代の時のように内側にあるものを押し殺さなくなった結果、家族に多大なる迷惑をかけてしまいました。

思い返しても申し訳ない気持ちにしかなりませんが、それが当時の自分にできた精一杯の「SOS」でした。

 

「そういう病院で診てもらったほうがいいんじゃないか?」

 

家での様子を見かねた親が、そう提案した頃には、もう大学には通えない状態になっていました。

 

「そういう病院」

今ほど心の病が一般化していなかったあの時代、クリニックなどの存在も知らず、どのようにして診てもらう医者を探せばよいのか分からなかった自分は、あてもなく市内にある大きな大学病院に行きました。

 

勇気を出して受付を済まし、待合席に座ったものの、「精神科」という文字が視界に入り、惨めで心が潰されるようでした。

 

何の知識もなく偏見の塊だったあの頃の自分が、心底嫌になります。

 

極力、顔を上げないようにして過ごした長い待ち時間。

横に座った人の携帯に付いていた、キティちゃんのストラップがこちらを見る度に、帰りたくて、助けてほしくて、イライラしました。

 

やっと自分の番になり診察室に入ったのですが、椅子に座っていた医者を見て愕然としました。

その先生はインターンと見紛うほど若く、とても日に焼けていたのです。

全く、先生然としていない。

 

医者が若くて日に焼けていても問題ありません。

ただ、あのとき座っていた方は、自分が勝手に持っていた精神科医師のイメージと大きくかけ離れていました。

 

(この人で大丈夫なのだろうか)

 

勝手に想像して上げたハードルにつまづく。

自分はまた、同じ轍を踏みました。

 

最初のイメージで圧倒されましたが、とにかく自分は彼が投げかけてくる質問に本気で答えました。

 

これで楽になれる。

状況は劇的に改善する。

 

自分は本気でそう信じていました。

 

今なら分かりますが、無理なのです。

当たり前です、これが初診ですから。

その日に来て、その日にどうこうなる話ではありません。

 

じっくりと時間を取り質問用紙に答えを入れ、過去と今を必死に話しましたが、先生の反応はとても薄いもので、切り返しもどこか曖昧でした。

それでも、どうにかして自分の思いを伝えなければと先生を強く見つめたのですが、その方は自分が話をしている最中に、スッと、時計を見ました。

 

よく分からない顔をして、時計を見たのです。

 

とてもショックでした。

そして、どうしてもその行為を受け入れられませんでした。

 

その先生に非はありません。

冷静に考えれば仕方のない事だと思います。

クリニックではなく大学病院。

後に詰まっている患者。

話を止めない自分。

迷惑と感じられても、仕方がありません。

 

でも、あの診察室にいた自分は、それを一切、飲み込めませんでした。

 

怒りが、こみ上げてきました。

 

(お前に、何が分かる)

(お前なんかに、何が分かる)

 

自分の殻に入る逃げ口上が、頭で響きます。

 

それから自分は、何も話さなくなりました。

何を聞かれても、口を閉ざしたまま。

睡眠導入剤の説明をされても、次回の予定を立てられても、無視です。

そんな調子では、先生も呆れてしまいます。

 

「じゃあ、また辛くなったら来てくださいね」

日に焼けた若い医者は、自分の顔を少し覗き込むようにして言いました。

 

(先生、今がつらいんです)

 

支払いを済ませた自分は、すぐにトイレの個室に駆け込み、自分の腕を力一杯噛みました。

 

なぜ、あの時、腕を噛む行動に出たのか分かりません。

なぜ自分は自分を、あんなにも強く噛んだのか。

とてつもない怒りと悔しさで感情がコントロール出来なくなった、というのは理解できますが、歯型の内出血を残した、その理由が分からないのです。

 

トイレの個室で散々思いを発散した後、放心というか、軽い貧血感というか、何とも言えない感じになりました。

激しく噛んだ腕の痛みで、怒りや悔しさが一気に引っ込んで、抜け殻のような状態。

何かを感じるのだけれど、その何かが分からない。

冒頭に書いた、悲しいわけでも、寂しいわけでも、憤りを感じるわけでもない感情です。

 

どうしていいのか分からないから、1人になりたい。

一刻も早くこの病院から抜け出して、1人になりたい。

 

その場に立ち止まりたくはなかったので、行きに乗ったバスを待たずに歩き出しました。

その病院から、いつもの神社の拝殿裏まではかなり距離があったのですが、その時は構わず歩いて行きました。

 

それからしばらくして、大学を中退しました。

そしてあの日以来、自分は病院に戻ることはありませんでした。

 

今考えても、その選択が正しかったかどうかは分かりません。

 

不安な気持ちはそれからも変わらず続きましたが、可能な限り仲間と会い、嫌な状態が抑えられない時は、無理やり外に走りに行き、部屋で筋トレを繰り返しました。

運動や筋トレをして状態が良くなることはありませんでしたが、身体的な疲労により、それらを紛らわせることは出来たのです。

 

自分はその後、心に巣食っていた「不安」を「怒り」に変えて生きてきました。

恐れとすり替わって生まれた攻撃的な気持ちが高まると、激情に任せてダンベルを上げました。

 

今、この歳になっても、自分はあの時の記憶を許すことができません。

不安に感じることはなくなりましたが、怒りはまだ根を張っています。

ただ、昔と違い、歳を重ねたことで、その経験が創り出した副産物を冷静に見つめられるようになりました。

 

空想も、妄想も、頭の中の街も、あのとき同時に生まれたもの。

果てしない自問自答も、何時間も同じ景色を見続けるのもそう。

そして、詩や小説を書くようになったのも、それがきっかけです。

自分があの時の記憶をどう思おうが、創り出されたそのものには感謝です。

 

 

行き場のない感情がどこへ流れるのか、自分は未だに分かりません。

カテゴライズ不可能な感情に遭遇すると、相変わらず1人になって気持ちが収まるのを待つだけです。

そこは昔と何も変わりません。

 

37年間生きてきても、心は分からないことだらけです。

この先の人生で、その一つ一つの答えを探せるかどうかは分かりませんが、気持ちを表現し続けて感情の景色を広げていけば、正解ではなくとも、納得できる落とし所は見つかると思うのです。

 

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

 

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(ストラットフォードの中心に流れるエイボン川。冬になるとその姿を変え、白い砂漠になります)

これは超能力ですか?

ミスターマリックにトランプマン、そしてユリゲラー。

自分は子供の頃、この3人を本物の超能力者だと信じていました(ユリゲラーに関しては未だにグレーゾーン)。

もちろん、「手品」や「トリック」といった言葉は知っていましたが、変に裏を読み

(この人達は、その凄まじい能力を隠すためにワザワザ『ハンドパワーです』って言ったり、トランプを飛ばしたり、スプーンを曲げているんだ!)

などと考えていました。

 

超能力者は正体をバラしてはいけない

当時、姉が読んでいた「ときめきトゥナイト」や、自分が好きだった「パーマン」の世界観よろしく、(特別な能力や秘密を持った方々は、それをひた隠しにして生きているのだ)と勝手に思い込み、上記の3人も例に漏れず、日常生活でポロッとその力が出てしまっても誤魔化せるようにマジシャンという職業を選んでいるのだろう、と決めつけていました。

 

物語に出てくる超能力は、たいてい良くも悪くも強い力と影響力を持っています。

それこそ世界を救う、もしくは、混乱させるような。

 

身を偽る必要性や、世界を変える力があるわけではありませんが、自分は一種の特殊能力を持っています。

 

海を渡って10年が過ぎ、開眼したその力は

カナダのスーパーのレジの調子を悪くさせる」というものです。

 

今、タブを閉じようとした方、待ってください。

自分はふざけているのではありません、困っているのです。

いや、冗談ではなく、制御できない己の力に迷惑しています。

上で「カナダの」と限定したのは、日本にいた時はこういった現象に悩まされなかったからです。

 

説明します。

このスーパーパワーが発生するのは、自分が焦っている、もしくはイライラした状態でいるのが前提です。

その「アセアセイライラ」コンディションでレジに並ぶと、笑えないほどの高確率でレジが不調になり、列が一向に進まなくなります。

 

具体的には、レシートが出なくなったり、商品コードがスキャン出来なくなったり、レジの画面がフリーズしたりといった症状が現れます。

 

故障するわけではありません、調子が悪くなるのです。

なので、管理者や責任者が出てきてしばらく機械をいじっていると、どうにか元に戻ります。

しかし、復旧までに時間がかかることもあり、自分のみならず、列に並んでいる他の人達もアセイラ星人になってしまうという負の連鎖が起きてしまうのです。

 

ちなみにこの現象は、自動チェックアウトでも同様に起きます。

 

心穏やかにカートを押して、鼻歌を口ずさむ怪しいアジア人となっている日は問題ないのですが、時間がない時に限って「待ってました!」とレジがヘソを曲げるので、正直、心底嫌になる瞬間があります。

 

「それは引き寄せの法則だよ」

そう言われてしまえば、その通りなのかもしれませんが、どうしてもそれだけでは納得できません。

 

なぜなら、この能力(?)の影響を受けるのは、スーパーのレジだけだからです。

仕事で、YouはShock な人々に遭遇し、半端なくイライラした状態になっても、業務で使っているパソコンに不具合は生じません。

 

波長がバッチリ合うのは、唯一、カナダにあるスーパーのレジだけ……。

まるでツインソウルと見まごうばかりの共鳴力です。

 

破壊するのではなく、機嫌を損ねさせるのが関の山。しかもレジのみ。

仮に、自分に備わっているものが何らかの超能力であったとしても、はっきり言って何の役にも立ちません。

 

もしもこの力を全ての電子機器に向けれるのであれば、使い方次第で、巨悪企業の悪巧みを阻止することも可能でしょうが、今の状態では迷惑しか生み出しません。

 

うーん、何かないですかね? 

どうすれば、この特殊能力(?)を生かせるのか……。

 

使えるかどうか分かりませんが、ちょっと頭に浮かんだものを書いてみます。

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リア充 ”勝手に” 解体新書

本題とのリンクが見えづらいと思いますが、この記事のサブタイトルは

「あなたは、まだポイントを振り分けていないだけなのかもしれない」

という、やけに長いものになっております。

 

「リア充」

自分がまだ日本にいた頃には、存在していなかった言葉……いや、もしかしたら使われていたかもしれませんが、ここまでの認知度はなかったと思います。

 

こちらに来てから、主にネットで目にする頻度が増えた新時代のニューボキャブラリー。

ブログを始めて、ぐっと距離が近くなった新語「リア充」ですが、自分はその正確な意味を掴めておりません。

もちろん意味を検索すれば、いくらでも答えは出てきますが、色々なところで「リア充」が題材になっている記事を読むと、体感的にそれぞれの人の経験に基づいた解釈になっているように思え、「これ」という確実なものを見つけられません。

 

なので勝手に解体新書。

自分が抱く「リア充」のイメージは、いわゆる「イケている人」です。

 

学校や会社などで目立つ存在で、パーティーなどに参加してもオドオドせず、社交的で人前でも踊れます。

自宅ではなくジムで運動し、お気に入りのバーを持っていて、そこでトムコリンズを飲みながらダーツやビリヤードをしています。

非常に偏った思い込みだという自覚はありますが、これが自分の中にある「リア充」像です。

 

上記の例は社会人ですが、「リア充」という言葉を考えるとき、自分の頭に浮かぶのは学生です。

もちろん、いつの年代でも当てはまる言葉だと思うのですが、学生というカテゴリーに属している間は、条件面で周りとの共通点が他の年代と比べて多くなり、無情にもその範疇での「違い」が浮き彫りになるからです。

 

自分の学生時代を振り返ると……間違いなく、リア充ではありませんでした。

十代中盤から後半の思春期真っ只中、周りとの違いを強烈に意識する年頃です。

当然あの頃は、リア充なんて言葉はありませんが、イケてる生徒はクラスに溢れていました。

そんなリア充生徒たちと、反対側にいた自分との間にあった、大きな隔たり。

あくまで勝手な「リア充」解釈ではありますが、自分と彼らの相違点を学生時代の1日の流れと共に、思い返してみたいと思います。

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どうしたらいいのか分からなかったので、服を脱いで走った

記事の冒頭ですが、頭を下げさせていただきます。

 

タイトルだけを冷静に見ると、ただの変態です。

上の題から得られる第一印象は、間違いなく頭のおかしな人です。

 

これから順を追って話を進めていきますので、どうか釈明の余地をください。

 

突然ですが、皆さんは服を脱いで走ったことはありますか?

自分はあります。

とはいっても、法に触れるような話や変態的な話題が展開される訳ではありませんので、ご安心ください。

インパクトの問題で、どうしても「服を脱いで走った」という部分に目が行きがちですが、自分が書きたいのはその前にある「どうしたらいいのか分からなかった」という気持ちの方です。

 

自分が服を脱いで走るようになったのは16歳からで、その年の夏から遊ぶようになったグループの集まりに参加し始めたのがきっかけです。

 

うーん、何かもっと良い言い方はないですかね。

これではそのグループが、怪しい集団のように聞こえてしまいます。

 

あの、違います。そういった集会ではありません。

その集まりについては以前書いたことがありますので、読んでいただけたら幸いです。

いつも通り前置きが長くなってしまいましたが、とにかく服と一緒に自分の殻を脱いで走ったのがその時期なのです。

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「もしも」の世界は、パラレルワールド

パラレルワールド。

今いる世界と並行して存在する、もうひとつの世界。

 

皆さんは「if もしも」というテレビドラマを覚えていますか? 

1話完結の物語の中で分岐点があり、それぞれ選んだ選択によって結末が変わるお話です。

随分、昔に放送されたものなのですが、中学生になったばかりの当時の自分には、とても刺激的なドラマでした。

話の内容もそうなのですが、自分は「もしも」の先を描くという物語のコンセプトに夢中になりました。

 

もしも、「もしも」の世界が存在したら、もうひとつの「今」ができる。

 

自分が小学生時代に思い描いていた「もしも」はとても限定的で、

(もしも、ウチがお金持だったら、夏休みはディズニーランドに行けたのに)

(もしも、足が速くてバク転が出来たら、凄まじくモテていたのに)

(もしも、2時間前に戻れたら、またハンバーガーを食べれたのに)

といった程度の発想しか浮かばず、イメージもその場面だけで終わっていました。

 

しかし、ドラマを鑑賞し、映像として2つに別れた先の物語を追えたことにより、「もしも」の世界は一時的ではなく、その後もしっかり続いていくのかもしれない、という考えを意識するようになりました。

 

そんな世界があったら面白い。

今までイメージになかった「もしも」の未来に注意を向けた時、パラレルワールドの扉は開かれました。

 

そうなると、想像はどこまでも広がります。

それは日常の些細なことから、絶対に実行できなさそうなことまで。

中学生時代は、まだ仲間たちと出会っておらず、独りでいるのが1日の大半を占めていたので、その殆どの時間を使い空想ばかりしていました。

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家へ帰ろう

家は、居場所。

 

皆さんにとって、「家」とは何ですか?

 

一口に「家」といっても、その定義は人によってバラつきがあると思います。

ある人にとって「家」とは、家族団欒の場所であり、またある人にとっては、雨風をしのいで眠るだけのスペースという意味しか持たないのかもしれません。

「家」というものに対しての意味合いが変わると、当然その場所も今住んでいる所や実家だけに限定されなくなります。

なので、行きつけの飲み屋やレストラン、人によっては職場が家になりうる事もあるのです。

 

様々な思いに合わせて、意味と形を変えていく家。

 

自分にとって「家」とは、誰の目も気にせず、己の素を全部さらけ出せる場所です。

家という空間にいる自分は、仕事中しっかりと装着している職業ペルソナを外し、ダラダラに緩んだ顔で九割方ヘラヘラしています。

そんな状態のままトイレで思い出し笑いなどしている姿は、間違いなく通報対象です。

玄関を開けた瞬間からダラヘラ星人と化す自分には、「家」と呼べる場所が2ヶ所あります。

 

その1つは、自分がいま住んでいるカナダの家です。

 

この場所では、嫁と家事を折半し、頻繁に彼女の肩をもめば、ダラヘラ星人として生きていても何の文句も言われません。

なので好きなだけ2ニャンズとたわむれ、カナダ版ルマンド、もしくはエリーゼを食べながら小説やブログを書く生活を送れます。

 

正直、とても居心地がいいです。

居心地が良すぎて、外に出たくなくなります。

 

そう思うと、自分は仕事に行くことによって生きる上での色々なバランスを取っているのかもしれません。

もし働きに行かなければ、ネクタイを締めることはないですし、外用に顔も作りません。

家事と嫁へのマッサージ回数は増えますが、年中パジャマで2ニャンズとヘラりんちょしている可能性が大いにあります。

 

うーん、マズイですね。そんな状況、最高ですね。

チョコ菓子を片手に書物を好きなだけしていられる生活……魅力的すぎてニヤけます。

あまりニタニタしていると、嫁に後頭部を蹴られる恐れがありますので、少し気を引き締めますが、マンモスハッピーな毎日が送れることは、火を見るよりも明らかです。

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