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言葉にしたい

頭の中

言葉にしたい

 

決まることのない3ポイントシュートと体育館の静けさを

「ひょうきん族」が始まる前のザワザワするお茶の間を

なかなか顔を見せずに勿体ぶる、給食ワインゼリーのいじらしさを

 

言葉にしたい

 

気になっていた子の視線を感じた視聴覚室の奇跡を

夜中に忍び込んだプールでしか出せない自己ベストのクロールを

誰も居ないはずの保健室から聞こえた会話を

 

言葉にしたい

 

一度しか開かれなかった誕生日会を

サビ隠しのため、赤いガムテープまみれになった自家用車を

別々に録音したギターとベースとドラムが、3台のカセットデッキを通してシンクロした、あの一瞬を
 

言葉にしたい

 

花火大会で「いくじなし」と言った彼女の溜息を

「そのレモンティー、ひと口ちょうだい」と笑った、クラスメートのキツネ目を

「あなたでよかったのかもしれない」という詩を書いた17歳を

 

言葉にしたい

 

6月の雨上がりにしか匂わない土の香りを

夜明け前の水色と、日没後の青い世界を

終電がなくなることを本気で祈った、10月の夜を

 

言葉にしたい

 

無表情という冷たさと対峙した時の動揺を

後でこっそり謝って泣いた、信じていた先輩の裏切りを

気持ちの整理がつかず、葬式の後に向かったバッテングセンターでの虚無感を

 

言葉にしたい

 

「よかったら明日も来いよ」そう誘ってくれた帰り道を

しっかりと目に焼き付けたくて、ワザと歩みを遅らせて見た仲間の背中を

頭の中が映像になった喜びを

 

言葉にしなければ

 

自分のアルバムだけ無いことを知った、押入れの暗さを

「あなただけは歩いて帰るのよ」と囁かれた駐車場のにおいを

「じゃあ、皆んなでいなくなるか」と目を見開いた父親の狼狽を

 

言葉にしなければ

 

横っ面を竹刀で張られた、あの子のひきつりを

腹をくくった2時40分を

黄色が赤に変わる瞬間を

 

言葉にしなければ

 

相手の両親の不機嫌な謝罪を

鼻っ面を折ることの虚しさを

人に巣食った悪魔の輪郭を

 

言葉にしてみたい

 

決まった時間に現れて、302号室のドアを見つめていた女性の内面を

新宿駅でゴミ箱に説教をして蹴っていた、おじさんの憤りを

イオンの屋上で泣いていた、中学生の閉塞感を

 

言葉にしよう

 

今、そして、先にある希望を

「こんなもんじゃない」という気構えを

縁に恵まれて生きてこれた人生への感謝を

 

 

絵が描けないから、言葉を綴る

踊る代わりに、言葉を綴る

「ここにいるよ」と手を振るために、今日も明日も言葉を綴る

 

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(散歩中に見ても、職場から見ても、いつでも滝は新しい。変わることなく「新発売」と謳うケンちゃんラーメンのように、視界に入るたび「はじめまして」なのです)

リア充 ”勝手に” 解体新書

頭の中

本題とのリンクが見えづらいと思いますが、この記事のサブタイトルは

「あなたは、まだポイントを振り分けていないだけなのかもしれない」

という、やけに長いものになっております。

 

「リア充」

自分がまだ日本にいた頃には、存在していなかった言葉……いや、もしかしたら使われていたかもしれませんが、ここまでの認知度はなかったと思います。

 

こちらに来てから、主にネットで目にする頻度が増えた新時代のニューボキャブラリー。

ブログを始めて、ぐっと距離が近くなった新語「リア充」ですが、自分はその正確な意味を掴めておりません。

もちろん意味を検索すれば、いくらでも答えは出てきますが、色々なところで「リア充」が題材になっている記事を読むと、体感的にそれぞれの人の経験に基づいた解釈になっているように思え、「これ」という確実なものを見つけられません。

 

なので勝手に解体新書。

自分が抱く「リア充」のイメージは、いわゆる「イケている人」です。

 

学校や会社などで目立つ存在で、パーティーなどに参加してもオドオドせず、社交的で人前でも踊れます。

自宅ではなくジムで運動し、お気に入りのバーを持っていて、そこでトムコリンズを飲みながらダーツやビリヤードをしています。

非常に偏った思い込みだという自覚はありますが、これが自分の中にある「リア充」像です。

 

上記の例は社会人ですが、「リア充」という言葉を考えるとき、自分の頭に浮かぶのは学生です。

もちろん、いつの年代でも当てはまる言葉だと思うのですが、学生というカテゴリーに属している間は、条件面で周りとの共通点が他の年代と比べて多くなり、無情にもその範疇での「違い」が浮き彫りになるからです。

 

自分の学生時代を振り返ると……間違いなく、リア充ではありませんでした。

十代中盤から後半の思春期真っ只中、周りとの違いを強烈に意識する年頃です。

当然あの頃は、リア充なんて言葉はありませんが、イケてる生徒はクラスに溢れていました。

そんなリア充生徒たちと、反対側にいた自分との間にあった、大きな隔たり。

あくまで勝手な「リア充」解釈ではありますが、自分と彼らの相違点を学生時代の1日の流れと共に、思い返してみたいと思います。

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どうしたらいいのか分からなかったので、服を脱いで走った

大切なもの 頭の中

記事の冒頭ですが、頭を下げさせていただきます。

 

タイトルだけを冷静に見ると、ただの変態です。

上の題から得られる第一印象は、間違いなく頭のおかしな人です。

 

これから順を追って話を進めていきますので、どうか釈明の余地をください。

 

突然ですが、皆さんは服を脱いで走ったことはありますか?

自分はあります。

とはいっても、法に触れるような話や変態的な話題が展開される訳ではありませんので、ご安心ください。

インパクトの問題で、どうしても「服を脱いで走った」という部分に目が行きがちですが、自分が書きたいのはその前にある「どうしたらいいのか分からなかった」という気持ちの方です。

 

自分が服を脱いで走るようになったのは16歳からで、その年の夏から遊ぶようになったグループの集まりに参加し始めたのがきっかけです。

 

うーん、何かもっと良い言い方はないですかね。

これではそのグループが、怪しい集団のように聞こえてしまいます。

 

あの、違います。そういった集会ではありません。

その集まりについては以前書いたことがありますので、読んでいただけたら幸いです。

いつも通り前置きが長くなってしまいましたが、とにかく服と一緒に自分の殻を脱いで走ったのがその時期なのです。

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「もしも」の世界は、パラレルワールド

頭の中

パラレルワールド。

今いる世界と並行して存在する、もうひとつの世界。

 

皆さんは「if もしも」というテレビドラマを覚えていますか? 

1話完結の物語の中で分岐点があり、それぞれ選んだ選択によって結末が変わるお話です。

随分、昔に放送されたものなのですが、中学生になったばかりの当時の自分には、とても刺激的なドラマでした。

話の内容もそうなのですが、自分は「もしも」の先を描くという物語のコンセプトに夢中になりました。

 

もしも、「もしも」の世界が存在したら、もうひとつの「今」ができる。

 

自分が小学生時代に思い描いていた「もしも」はとても限定的で、

(もしも、ウチがお金持だったら、夏休みはディズニーランドに行けたのに)

(もしも、足が速くてバク転が出来たら、凄まじくモテていたのに)

(もしも、2時間前に戻れたら、またハンバーガーを食べれたのに)

といった程度の発想しか浮かばず、イメージもその場面だけで終わっていました。

 

しかし、ドラマを鑑賞し、映像として2つに別れた先の物語を追えたことにより、「もしも」の世界は一時的ではなく、その後もしっかり続いていくのかもしれない、という考えを意識するようになりました。

 

そんな世界があったら面白い。

今までイメージになかった「もしも」の未来に注意を向けた時、パラレルワールドの扉は開かれました。

 

そうなると、想像はどこまでも広がります。

それは日常の些細なことから、絶対に実行できなさそうなことまで。

中学生時代は、まだ仲間たちと出会っておらず、独りでいるのが1日の大半を占めていたので、その殆どの時間を使い空想ばかりしていました。

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家へ帰ろう

カナダ 海外生活

家は、居場所。

 

皆さんにとって、「家」とは何ですか?

 

一口に「家」といっても、その定義は人によってバラつきがあると思います。

ある人にとって「家」とは、家族団欒の場所であり、またある人にとっては、雨風をしのいで眠るだけのスペースという意味しか持たないのかもしれません。

「家」というものに対しての意味合いが変わると、当然その場所も今住んでいる所や実家だけに限定されなくなります。

なので、行きつけの飲み屋やレストラン、人によっては職場が家になりうる事もあるのです。

 

様々な思いに合わせて、意味と形を変えていく家。

 

自分にとって「家」とは、誰の目も気にせず、己の素を全部さらけ出せる場所です。

家という空間にいる自分は、仕事中しっかりと装着している職業ペルソナを外し、ダラダラに緩んだ顔で九割方ヘラヘラしています。

そんな状態のままトイレで思い出し笑いなどしている姿は、間違いなく通報対象です。

玄関を開けた瞬間からダラヘラ星人と化す自分には、「家」と呼べる場所が2ヶ所あります。

 

その1つは、自分がいま住んでいるカナダの家です。

 

この場所では、嫁と家事を折半し、頻繁に彼女の肩をもめば、ダラヘラ星人として生きていても何の文句も言われません。

なので好きなだけ2ニャンズとたわむれ、カナダ版ルマンド、もしくはエリーゼを食べながら小説やブログを書く生活を送れます。

 

正直、とても居心地がいいです。

居心地が良すぎて、外に出たくなくなります。

 

そう思うと、自分は仕事に行くことによって生きる上での色々なバランスを取っているのかもしれません。

もし働きに行かなければ、ネクタイを締めることはないですし、外用に顔も作りません。

家事と嫁へのマッサージ回数は増えますが、年中パジャマで2ニャンズとヘラりんちょしている可能性が大いにあります。

 

うーん、マズイですね。そんな状況、最高ですね。

チョコ菓子を片手に書物を好きなだけしていられる生活……魅力的すぎてニヤけます。

あまりニタニタしていると、嫁に後頭部を蹴られる恐れがありますので、少し気を引き締めますが、マンモスハッピーな毎日が送れることは、火を見るよりも明らかです。

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私が私をやめたなら

頭の中

私が私をやめたなら

あなたは満足するのだろうか

私が私をやめたなら

あなたは代わりを探すのだろうか

 

穴は深く どこまででも続く

 

ほつれた畳の縫い目が近い

ひれ伏した視線は 地面と水平だ

 

私が私を保つあいだは

誰かの叫びは聞こえない

私が私をやめない限り

呼び出される顔ぶれは変わらない

 

「誰かを救っている気分か」だって?

怖くて断れないだけだよ

 

夕日が映えるくたびれた校舎

許されるならこの時間は家にいたいんだ

オレンジ色は始まりの合図

青黒い空は終わりの合図

もう これで何年目だ?

 

今日も降りる駅を三つ飛ばした

見かける制服のデザインが違う

安全区域に入った証だ

 

誰もいない階段下の特等席

上りも下りも私を気にしない

 

カバンに忍ばせたサバイバルナイフ

短い刀身は己の覚悟と比例する

 

私が私をやめるとき

それは あなたがあなたをやめるとき

 

誰も見てないよ

分かってる

私に向ける眼球は 看板の中にいる芸能人だけ

誰も見てないよ

分かってる

それを知っているから 黒い柄を握っているんだ

 

誰にも見られてはいけない

足を向けるのは公衆トイレの個室

ワイシャツの裾からスライドさせて突き刺す

お金を渡すその瞬間 

あなたが喜ぶその瞬間を狙い

喉元めがけて突き刺す

 

白い蛍光灯の下での反復練習

それはまるで 小学校の時に繰り返した素振りのよう

イメージは完璧なんだ

 

勢いよく滑った刃先で中指が切れる

カビだらけのタイル 蜘蛛の巣に絡まる蛾の死骸

滲む鮮血を気にしているあの日が 頭から消えない

披露されることのない練習の成果

私はいったい何をしているのだろう

 

今日も降りる駅を三つ飛ばした

私は私をやめるべきか

十五分おきに入ってくる電車が答えをせかす

 

もう少し待ってくれないか

私は私をやめたくないんだ

 

誰も見てないよ

大きなブレーキ音が背中を押す

誰も見てないよ

なだれ込む雑踏が やけにうるさい

 

私の腰は硬いベンチにおろしたまま

 

また 同じ毎日が始まるのか

 

どうしようもなくなり 何かにすがりたくて顔を上げると

ホーム越しに見える通りの信号が青になった

 

どうしよう 涙が止まらない

 

「大丈夫ですか?」

黄色い線の内側に 黒いローファーが入り込む

「大丈夫ですか?」

目の前に立つ 青いネクタイをしたサラリーマン

「大丈夫ですか?」

彼の声は落ち着いていて とても真面目な顔をしていた

 

「大丈夫です」

赤の他人が仏に見えた

「ありがとうございます」

外は雨だけど 人が優しい

 

とにかく腰を上げよう

 

深く頭をさげて 下りの電車に乗る

行き先は三つ前の駅だ

 

いつもいてくれた仲間

海で拾った猫

声をかけてくれた人

そして姉

 

あなた達がこの世にいたから

私は私をやめなかった

 

誰かが誰かをやめる日は続く

もう これで何件目だ?

 

今日は黒いローファーを履き 青いネクタイを締めて駅へ行こう

今度は私の番だ

 

「大丈夫ですか?」

どうか あなたはあなたをやめないで

「大丈夫ですか?」

今が永遠に続きはしない

「大丈夫ですか?」

痛い思いをした上に居なくなってしまうなんて 

そんなの悲しすぎるから

 

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(種類は問いません。どんな神様だっていい、何なら神様じゃなくたっていい。どうかお願いですから、いじめをなくしてください)

ハッシュタグ「人間を出せ」

頭の中 大切なもの

前回の記事の続きです。

yoshitakaoka.hatenablog.com

ハッシュタグ「人間を出せ」の世界。

これ、個人的に十分あり得る未来だと思います。

自分が例えに出した2037年、今から20年後の世界なんですけど、現在の進化のスピードを考えたら、きっと想像以上のデジタルワールドが自分たちを待っているのだと考えられます

20年。

その年月は多くの常識を変えるのに、十分すぎる力を持っています。

 

例えば今から20年前の1997年。

ビジュアル系と初代プレーステーションが世の中を席巻し、庶民レベルの最先端はポケットベルからPHSへ! という時代でした。

個人的には「モード系とは違う個性」と息巻いて、アイビーやモッズスタイルに憧れ、少し背伸びして下北沢へ古着を漁りに行っていました。

それでも流行りに逆らう勇気はなく、品切れ状態だった紺のラルフローレンのベストを探し回っては街を徘徊し、どうにかしてそれを手に入れて安心感を得ていました。

(そんなラルフのベストも、すぐさま先輩に呼び出され献上する羽目になる暗黒時代真っ盛り。体の痛みと新聞配達時の寒さが身にしみます)

 

とにもかくにも、20年経った今、「あの頃」はもう存在していません。

さようなら、たまごっち。

ありがとう、docomoのiモード。

アステルに、DDIポケット、お世話になりました。

 

そう、泣こうが喚こうが、たまごっちをしようが時代は変わっていくのです。

2037年、今ある大部分の職種が人間以外の手で行われているであろう時代、その担い手になるのが作業用ロボット、AI搭載型ロボット、そして人間と見た目が変わらないアンドロイドだと思います(アンドロイドは費用の面で、そこまで普及していると思えませんが)。

それらの機体は、特に製造業とサービス業の分野によく見られるようになり、自分が働いているホテル業界にもテクノロジーレイバーの嵐は吹き荒れるでしょう。

ということは、自分は仕事を失います。

今から20年後、つまり57歳。

家のローン、返せているかなぁ……。

考えると、末恐ろしい。

長い目で見ると、今の仕事に頼れない。

そうなるってことは、書くのみです。

とにかく死に物狂いで書いて、書いて、書きまくって、20年そこらじゃ人工知能に侵されないであろう執筆業だけで生きていけるようになるのです。

おマンマ食い上げ、はんたーい!!

 

すみません、話が逸れました。

議題は、ハッシュタグ「人間を出せ」です。

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